日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#072

立教開宗

虚空蔵菩薩の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東條郷清澄寺道善之房持佛堂の南面にして、浄円房と申者並に少々大衆にこれを申しはじめて、其後二十余年が間退転なく申す

清澄寺大衆中(せいちょうじたいしゅうちゅう)
立教開宗

恩師道善御房や同門の僧など清澄の懐かしい人々に迎えられ、長き修学の終わりと無事の帰郷に安堵する蓮(れん)長(ちょう)ではありましたが、その一方で、いよいよ多年に亘る修学の成果を披露せねばならない時が近付いていました。師の勧めにより講話の場を用意された蓮長は、それに先立ち七日間の間一人草庵に籠もると、深い瞑想の日々を送りました。

それは心穏やかに・・・とは決していきません。その胸の内では、常人にはおよそ耐え難き程の葛藤が、絶え間なく蓮長を苦しめ続けたのです。かつての虚空蔵菩薩への願掛けによって、我が身は日本第一の智者となって真実を得ることが出来た。その大恩に報いるならば、御佛の使いとしてその真実を世に示し、人々を救わねばならぬのは当然のこと。しかしその為に起こり来るであろう苦難は想像に易く、まして縁ある人々にまでそれが及ぶとなれば・・・。蓮長は幾度となくその自問自答を繰り返し続けました。

建長五(一二五三)年四月二十八日、ついに満願となる八日目を迎え、蓮長はまだ人々が寝静まる寅の刻、そっと堂を後にします。しばし山中を歩いた後、太平洋を眼下に見渡す清澄山の中腹に立つと、黎明の静けさの中で一人その時を待ちました。

やがて空も白み始め、遠く太平洋の彼方より大海原を明けそめる旭日が深き闇を切り裂くように現れると、大日天子の威光を一身に浴びた蓮長は、天地に轟くがごとく大音声を発しました。「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と。それはまさに、人類史上誰一人としてこの閻浮提内に示すことの叶わなかった、壽量本佛の大慈悲の言霊、そして蓮長自身の魂の発露に他なりません。

立教開宗

死身弘法の覚悟を以て旭日の前に佇む聖僧は、もはや求教の徒であった蓮長ではありませんでした。それを示すかのように、この期を境として蓮長は自らの名を「日蓮」と改めました。御歳三十二歳の春、我等が宗祖日蓮大聖人のお誕生の瞬間です。その名が示すものは、どこまでも輝き続ける日輪の如く世間の闇を照らし、汚泥にあって気高く咲き誇る蓮華の如く濁世を生き抜かんとする、日蓮大聖人の大慈悲の御心そのものでした。

かくして御題目始唱を果たされた大聖人は再び持佛堂に戻られると、同日午の刻(正午)を待って参集する聴衆に対し、その後の弘教人生の幕開けとなる第一声を発せられたのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成29年10月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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