日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#071

立教開宗前夜

日蓮此れを知りながら人々を恐れて申さずば、『寧喪身命不匿教者』の佛陀の諫暁を用いぬ者となりぬ。いかんがせん。いはんとすれば世間をそろし。止とすれば佛の諫暁のがれがたし。進退此に谷り。むべなるかなや、法華経の文に云く『而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや』。又云く『一切世間怨多くして信じ難し』等云云

報恩鈔(ほうおんしょう)
立教開宗前夜

建長五(一二五三)年、比叡山を後にした蓮長(れんちょう)は故郷安房国を目指して帰郷の徒につきました。おそらく東海道を通ってまっすぐに向かったと思われますが、その年の春には清澄寺へ帰山したとされています。

清澄では師道善房を始め山内の兄弟子や同輩、そして帰山の噂を聞きつけた近隣の僧侶や貴族、武士たちも押しかけ、大変な賑わいとなっていました。それだけ比叡山で高学を修めた修行僧を迎えることは、片田舎の寺院にとって誉れ高きことであったのです。

蓮長はさっそく師に帰山の報告をし、また懐かしい同門の僧侶たちと対面しました。皆蓮長を囲んでは、口々に色々なことを訪ねます。叡山での高度な学問のことから、まだ見ぬ都の様子まで、中には都で学問を積んだ偉い坊さんが帰ってきたから、一目その顔を拝みたいと来山する者までいたことでしょう。

旅の疲れを癒す間もなく、蓮長は次々と訪ね来る人々と対面をします。一様に穏やかな面持ちでそうした人々と相対する蓮長ではありましたが、なぜか発せられる言葉は決して多くはありませんでした。なぜならば、蓮長の帰山の目的は明らであり、それは師や兄弟子と言えども軽々に明かすべきものではなかったからです。

立教開宗前夜

それは、佛滅後の長き歴史の中で唯一天台智者大師のみが示し、伝教大師が我が国にもたらした真実の法、『法華経』の教えを正しく復興し、世間に蔓延する邪信を正すことに他なりません。それが虚空蔵菩薩に誓願を立ててより二十年にも亘る修学の成果として、導き出した答えであったのです。

蓮長が為すべきことははっきりとしていました。しかし、それを成し遂げることが己に出来るのであろうか。末法といわれ僧服を纏う者までが本心を失った時代に、釈尊の真実の法を口にするならば、人々の誹謗中傷の的となることは明らかでした。誓願を立てた己が身に及ぶものならばまだしも、それが恩深き父母、親類縁者までもが危機を蒙るとしたら、はたして自分はそれに耐え得るであろうか・・・。

叡山を下りてよりこの方、蓮長は激しい葛藤に苦しみ続けました。間もなく迎えるであろう光り輝く夜明けも、今はまだ深き夜のとばりにつつまれているのでした。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成29年9月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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