日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教学部長
千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

#016
清澄寺ご修学
その二

このご文章は、前回ご紹介しました浄顕房にお送りになったものです。これによると、諸国遊学を終え清澄での初転法輪(初めてのお説法)の折、熱心な念仏の信者であった地頭東条景信の怒りにふれ、山を追われることとなった日蓮さまに付き従い、浄顕、義浄のご両師も忍び山を下りられたというのです...


#015
清澄寺ご修学
その一

さて先月まで長々と寄り道を致しましたが、ここまでお話した混沌とした時代背景の中、入山を果たした善日麿(ぜんにちまろ)は薬王丸(やくおうまる)と名を改め、いよいよ清澄での修学の日々が始まります...


#014
清澄寺ご入山
その六

鎌倉幕府の成立によって、いよいよ治世にまでその力を及ぼし始めた武士に対し、当然のことながら本来の施政者であった朝廷勢力は不満を募らせてゆきます。そしてその不平が頂点に達した承久三年、遂に「承久の乱」が勃発したのです...


#013
清澄寺ご入山
その五

今回の横道は、数月号にわたりだいぶ大幅に逸れてしまいましたね。そろそろ皆さんから「お祖師さまのお話は、どこへいってしまったの・・・?」と言われてしまいそうですが、日蓮さまの思想の根底を形成する大切な時代背景となりますので、今暫くお付き合い下さい...


#012
清澄寺ご入山
その四

この日本国に国家が形成されてより平安中期に到るまで、帝をはじめ朝廷勢力は絶大な力をもって国を統治していました。この当時の国の支配と言えば、「民」そして「土地」の掌握に他なりません。朝廷は律令制のもと国中に広大な御領地を設け、また地方の豪族や荘園領主に土地の安堵を約束し、租税を納めさせることによって莫大な富と権力を得ていたのです...


#011
清澄寺ご入山
その三

前号までに善日麿が清澄へ上がられた経緯についてお話を致しました。その折にご紹介した『破良観御書』にて「所願」という言葉に触れさせていただきましたが、今回は少し話を戻して、善日麿が清澄寺入山に到るまでの時代背景、幼き子に大きな決意を抱かせた鎌倉という時代についてお話をさせていただきます...


#010
清澄寺ご入山
その二

かくして清澄寺への入山を果たされた善日麿は、改めて師となった道善御房により「薬王丸(麿)」の稚児名を授けられました。そして当初よりの「所願」を果たすべく、山内の誰もが驚くほどに勉学に打ち込まれたのです...


#009
清澄寺ご入山
その一

天福元(一二三三)年、日蓮大聖人さまにとって最初の、そして大きな転機が訪れました。同年五月十二日、御歳十二となられた善日麿は、住み慣れた生家やご両親のもとを離れ、いよいよ清澄寺へと修学に上がられる時を迎えられたのです...


#008
ご幼少期
その二

房州小湊の地には、今でも「御乳(ごち)さん」と称される家があります。これは乳母雪女の生家であった滝口三郎左衛門ゆかりの家であると言われ、この家系では代々女の子が生まれると「雪」の字をその名に冠す習わしがあるそうです・・・


#007
ご幼少期
その一

お誕生より幾年の月日が流れ、房州の美しい海と暖かい日差しの下、元気に育つ善日麿(ぜんにちまろ)のお姿がありました。善日麿は・・・、と書き進めて参りたいところではありますが、残念ながらお誕生と同じく、ご幼少期についてもその資料となるものは非常に乏しく、それは史実というよりは「言い伝え」の域を出ないものです・・・


#006
お誕生にまつわる秘話
その二

さて、日蓮大聖人さまのお誕生にまつわるお話も、だいぶあらぬ方向へ進んでしまいました。特に意図して横道へそれているわけではありませんが、できるだけ皆さんに興味を持っていただけるようなお話をと思うと、どうしてもサイドストーリーをご紹介したくなってしまうものです。


#005
お誕生にまつわる秘話
その一

それは古い古い神話の時代のお話です。四国は阿波の宮に住まう天富命(あめとみのみこと)は、綿や麻の栽培に適した地を探し求め、一族を伴い長い船旅に出立しました。南西より流れる黒潮の海流に乗って船を進めて行くと、やがて適度な平野の広がる半島へたどり着きました。一族はその地へ定住することを決め、土地を開墾し、貴重な綿や麻を豊富に育てることが出来たのです。またその地は豊富な海の幸にも恵まれ、ことに大粒の鮑は西国の神々への供物として珍重され、やがてこの地は東国の要地として栄えていったのです。


#004
お誕生
その三

梅菊が不思議な夢を見たあの晩より月日は流れ、片海(現在の小湊地域)のみならず、近隣各地ではその夢のお告げで持ちきりとなっていました。

「なんでも日天子さまの不思議なお告げを受けた女房がおるそうな、その者はお告げと共に懐妊したと聞く」「ほう、それは何とも奇異な話じゃ、そのやや子はいかなる賢者か、はては聖人のお出ましやもしれん・・・」人々は口々にそう噂し、日輪の御子の誕生を今か今かと待ちわびていました。そしていよいよ月は満ち、貞応元(一二二二)年二月十六日、更に人々を驚かす出来事が起こり始めるのです。


#003
お誕生
その二

日蓮大聖人さまは、ご自身のお生まれになった安房の国に大変ご執心なさっておられました。それは単に生まれ故郷であるという以上の強い思い入れを感じさせます。この御文章にも見られるように、そこには何らかの深いご縁があったのやもしれません。それはまた、いずれかの機会にお話させていただきましょう。


#002
お誕生
その一

「日蓮は日本国東夷(とうい)東条安房国海辺の旃陀羅(せんだら)が子也」(佐渡御勘気鈔)

安房の国(現在の千葉県南房総地域)は大変温暖な気候に恵まれた土地で、北からは親潮、南からは黒潮と両海流の恵みを受け、季節を問わず豊富な海の幸を堪能することができます。


#001
日蓮大聖人の歩まれた道

「日蓮さきがけしたり。わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉、阿難にも勝ぐれ、天台、傳教にもこへよかし」(種種御振舞御書)

私たちは大変なご縁をいただいて、お題目の不思議なご守護の力に触れ、誠の信仰の道へ入ることができました。

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