元霊断院主任 福岡県妙立寺前住職
ことほどにかつての皇室には、佛教との強固なる関係が存在していたのです。
しかし、今やその面影すらもありません。神道の長たる皇室の佛教との断絶は、そのまま神仏習合という日本文化の大いなる美点、優れた特色の喪失に繋がっていったのです。まさに失われた百四十五年!...
十一月二十三日といえば、皆様ご存じの通り勤労感謝の日。
同じ秋の祝日でも、敬老の日や体育の日はクルクル変わって何時なのかよくわかりませんが、この勤労感謝の日だけは、そうそう変えるわけにはいきません。...
火葬こそは、お釈迦様以来の佛教の伝統。しかも火葬後に残ったお骨を、ガンジス川に流すことなく祀ることは、佛教独自の奥義であるのです。
法華経本編にも、多くの佛様が涅槃(お亡くなりになること)の後に火葬され、塔を建てて佛舎利(お骨)をお祀りされたことが説かれています。...
聖徳太子の世よりこの方、日本国は神仏習合こそが基本。
大曼荼羅御本尊様には、天照大神、八幡大菩薩が勧請(お祀り)されていることはご存じの通り。また日めくり過去帳でお馴染みの三十番神は、私たちお題目の信仰者を毎日交代でお守り下さる日本の神々のこと。...
三十五歳以上の方なら憶えておられることでしょう、平成二年一月二十三日から、ほぼ一年にわたり執り行われた、今上天皇陛下の即位に関する様々なる行事のことを。
その様子を伝えるテレビ・ラジオ(まだまだインターネットの時代ではなかったんですね)は、皆口を揃えていったものです。「古より伝えられてきた皇室の儀式です」云々と…。...
さてさて、菊慈童を中継することで、千年の時を超えて伝えられた四海領掌の偈は、南岳大師から天台の教えに組み込まれて以降、更なる進化を遂げたと伝えられます。
それこそが、偉大なる王者の即位のための秘儀、即位灌頂(そくいかんじょう)です。...
日蓮大聖人様が、お釈迦様に次ぐ高僧として最も尊敬されたのが、震旦の天台大師と日本の伝教大師でした。
実は伝教大師は天台大師の生まれ変わりであり、その天台大師は薬王菩薩の再来であると伝えられています。...
なんだか「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の十字軍兵士を彷彿させるお話ですが、この菊慈童が千年の時を超えて再登場した日は九月九日だったと伝えられています。...
私がこの縣山に流刑となることが決まるや、穆王様は思い出の枕を形見にとお授けくださり、その際にそっと二つの句をお教えくださいました。
それこそは王様がはるか天竺で相伝されたという口外法度(こうがいはっと)の「四海領掌の偈」。...
此八幡大菩薩は日本国人王第十四代仲哀天皇は父也。第十五代神功皇后は母也。第十六代応神天皇は今の八幡大菩薩是也(四条金吾許御文)
魏の時代といえば、日本ではあの神功皇后の世。...
勅命を受け、水の流れを遡り、深く険しい山中へ踏み込んでいく調査隊。
そこで彼らが発見したのは、古びた妖しき庵。それも廃墟ではなく、あきらかに人の生活している気配!...
千年も一瞬の光の矢。薄幸の美少年が流罪されてから、時は流れて一千年。
周王朝もやがて滅び、秦帝国、前漢帝国、新帝国、後漢帝国と震旦の支配者もその間に目紛(めまぐる)しく変わり、やがて魏・呉・蜀の三国が覇権を競う世、震旦歴史上最も人気のあるだろう、お馴染み三国時代でのことです。...
王宮での穆王は菊慈童(きくじどう)という名の美少年を常に侍(はべ)らせ、殊のほか寵愛したといいます(すいません!ソクラテス・シーザー・劉邦・信玄・信長・家光等々と、キリスト教が広まる以前の国々は東西問わず、美しければジェンダーに拘らない英雄、賢者は多いものなんです…)。...
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