日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#073

立教開宗
その二

生年三十二歳にして建長五年癸丑三月二十八日、念佛は無間の業なりと見出しけるこそ時の不祥なれ。如何せん此法門を申さば誰か可用。返て怨をなすべし。人を恐て不申者佛法の怨となりて大阿鼻地獄に堕べし。経文には、末法に法華経を弘る行者あらば上行菩薩の示現なりと思ふべし。言ざる者は佛法の怨なりと佛説給へり。経文に任せて云ならば、日本国は皆一同に日蓮が敵と成べし

波木井殿御書(はきいどのごしょ)
立教開宗

道善房の持佛堂では、都より戻った高学の僧の講話をぜひ拝聴しようと、既に堂を埋め尽くさんばかりの大衆が集まっていました。そこには山内の僧侶や近隣の領民のみならず、公家に連なる荘園領主や帯刀をする武者たち、そして当時最も権勢を誇っていた地頭東条景信の姿までも見られます。人々の間を縫い法座へ昇る大聖人は、大衆に対し南面して座すと、やがて穏やかな言葉で話し始めました。

まずは釈尊御一代の聖教(お釈迦さまのご生涯でのすべての教え)を説き示し、そして出世の本懐(お釈迦さまがこの世に出現された本当の理由)を語り進めると、聴衆はその知識の深さに感嘆し、誰一人として声を発する者もなく、瞬きをすることも忘れて大聖人の話に聞き入りました。しかしやがて大聖人の話が核心に至りはじめると、堂内の空気もまた変わりはじめたのです。

「釈尊の大慈悲の御心は、独り法華経にのみ秘されるもの也。爾前(法華経以前)の経々は未得道のみならず、信ずるならば地獄の業なるべし。信ずるべきは法華経、仰ぐべきは唯釈迦一佛と心得よ」それまでの穏やかな口調と打って変わり、大聖人はまさに獅子吼のごとくそう叫ばれました。これを聞いた人々の顔は見る見るうちに驚きに転じ、そして嫌悪に満ちた表情へと変わってゆくのです。

立教開宗

末法の苦しみの中でただ弥陀の慈悲に救いを求め続けた人々、禅を修し心身の鍛練こそが己を高めると信じていた武家たち、皆一様に自分が信じてきたすべてを真っ向から否定され、後生には地獄に落つべしと一蹴されたのですから、その憤りはいかほどであったでしょうか。先程までの静けさが嘘のように、堂内には説者を詰り怒りをぶつける怒号が響き渡りました。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成29年11月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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