日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#058

諸国への遊学
その十一

有は秘密真言の教によりて五瓶の水を灑ぎ、有は坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、もしくは七鬼神の号を書して千門に押し、もしくは五大力の形を図して万戸に懸け、もしくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、もしくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行う。しかりといえども、ただ肝胆を摧くのみにしていよいよ飢疫逼る

立正安国論
日蓮大聖人-蓮長

蓮長(れんちょう)が高野山に滞在しておよそ一年の歳月が過ぎようとしていました。その間、碩学と呼ばれる諸師よりの秘伝に耳を傾け、山内に確護される大陸伝来の経釈論をつぶさに紐解き続けたことでしょう。山籠はわずかな期間ではありますが、人並み外れた蓮長の頭脳と、寸暇を惜しみ学び続けるその熱意をもってすれば、真言の秘奥を学び尽くすこととて決して不可能ではありません。これをもって蓮長は此度の遊学の大きな目的の一つを遂げ、いよいよこの山を後にするのでした。

そして立派な真言密教の高僧となって・・・、とは勿論まいりません。既に比叡山にて深く会通した天台の法華経教義と、真言密教の教義との大きな相違が蓮長の中ではっきりとした結論として導き出されているのです。そして我が身に課せられた佛(ぶっ)勅(ちょく)とは何か、今までおぼろげであったその姿も、確たるものとして蓮長の眼には映っていたことでしょう。

諸国への遊学

その使命を果たすためには、蓮長が辿り着いた真実の教えをいかにして末代の凡夫に伝えるべきか、そして如何なる手段をもって滅び行くこの日本国を救うべきであろうか。

十数年に亘る遊学の日々も残すところわずか、帰郷までの残された日々の中で、蓮長が導き出さなければならない答えは、その一点のみとなりました。

さて高野山を離れた蓮長は、すぐに比叡山への帰山はせずに、和泉国(現在の大阪府南西部)へ立ち寄り、更には京都まで足を伸ばしたとされています。

そのあたりのお話は、また後ほどご紹介致しましょう。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成28年7月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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