日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#057

諸国への遊学
その十

華厳宗と真言宗とは本は権経権宗なり。善無畏三蔵、金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとて自宗の肝心とし、その上に印と真言とを加て超過の心ををこす。その子細をしらぬ学者等は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう

開目鈔(かいもくしょう)
諸国への遊学

蓮長(れんちょう)が高野山を訪れた翌年の宝治三※建長元(一二四九)年、高野山の高僧である道範が帰山をします。道範は院派と分裂した後の本地(金剛峯寺)派を牽引し、「高野の八傑」と称えられた程の鎌倉時代を代表する学匠でした。寛元元(一二四三)年、道範は金剛峯寺と伝法院の争いに巻き込まれ、伝法院焼き討ちの責任を問われて隠岐へ流罪となってしまいます。そして六年間の配流の後、罪を赦免され高野山への帰山となったのでした。

道範は金剛峯寺派の古義真言教義を継承しつつ、自身が学んだ様々な思想を加味して、独自の教義を確立させていきました。その特徴の一つは、古義真言にも見られる「本地身説」の提唱と発展です。真言の教義で説くところの「本地(すべての事象の大本)」とは大日如来を指しますが、その本地(大日如来)はこの宇宙新羅万象の本地であり、そこから生まれる現象世界は、悉く大日如来と同一であるとする「不二門」の思想を展開します。

諸国への遊学

教学を学ばれている方ならば、すぐにピンと来たかも知れません。この思想は、天台教義の骨子ともいえ、後に日蓮大聖人もご自身の教義の中で最も大切にされた「一念三千」の法門と酷似しているのです。 但しその成立には、天地ほどの隔たりがありました。天台大師の提唱した「一念三千」の教義は、『法華経』を拠り所として、その経文に確かな理論の裏付けがなされています。しかし、真言宗の主張する「本地身説」や二門」の教義は、彼の宗が拠り所とする『大日経』や『金剛頂経』等にはその裏付けとなる文が見受けられません。あるいは『華厳経』の「心如工画師(心は巧みな絵師のようなもの)」などそれらしき文を上げて、そこに天台大師の法門を巧みに組み入れたと、同書にて大聖人は指摘されています。

天台大師ご在世の頃は、『法華経』を拠り所とした「一念三千」の法門の前に、中国全土の誰もがひれ伏し、『法華経』が最も優れた教えであることを、否定出来る者は誰一人いませんでした。しかし時が経つにつれ、余りに難解な教義を受け継ぐ者は少なく、その威光も遂には輝きを失い、我が国の天台宗最高学府ともいえる比叡山ですら、真密を重んじる体たらくと成り下がってしまうのでした。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成28年6月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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