日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#056

諸国への遊学
その九

かの門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の佛、驢牛の三身は車を扶くることあたわず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教、顕乗の四法の人は履をも取ることあたわず」云云。(中略)乞い願わくばかの門徒等心在らん人はこれを案ぜよ。大悪口にあらずや。大謗法にあらずや。しよせん此等の狂言は弘法大師の『望後作戯論』の悪口より起るか

曾谷入道殿許御書(そやにゅうどうどのもとごしょ)
諸国への遊学

さて、いよいよこの遊学の総まとめとも言える学問を修めるために、真言宗の根本道場である高野山を訪れた蓮長(れんちょう)ですが、毎度のことながらこの地で誰に師事をし、どのような教義を学んだのかは定かではありません。

ただ言えることは、この時蓮長の学習目的は、単純に真言密教の奥義を修得することではありませんでした。既に叡山にて天台の法華経教義の神髄を学び尽くした程の蓮長ですので、かつて鎌倉で学んでいた頃のように、理同事勝(りどうじしょう)を鵜呑みにしていたような初心の学僧ではありません。それを思えば、師と仰ぐべき碩学(せきがく)はこの山には存在しなかったのかもしれません。

高野山には一年ほど参籠(さんろう)したと言われています。当然ながら、ここには弘法大師が唐から伝来した膨大な数の密教書や、先師の残した密教論書が所蔵されています。一年と言う滞在期間は、それらの書物をすべて学び尽くすには、けして十分な時間とは言えません。おそらく滞在中の蓮長は、文字通り寝食も忘れてこれらの書物を精力的に読破していったことでしょう。

諸国への遊学

その上で、叡山あるいはこれまでに学んだ天台教義との対比を行い、法華経の最勝性を改めて確信していくのです。蓮長が高野山を目指した目的は、まさにそこにありました。冒頭の御書にも見られるように、新義真言宗の開祖として弘法大師以来の大天才とも称えられる正覚房覚鑁が記した論書を、真言批判の根拠として度々上げられています。また覚鑁の教義を色濃く受け継ぎ、後に新義教学を大成させ、根来の門流を大いに興隆させた俊音房頼瑜は、ちょうどこの頃に同所にて学んでいました。それについては何も触れられていませんが、同時期同所にて学び、おそらく互いに山内では秀才と褒め称えられた間柄ですので、きっと二人は面識を得て度々論を交えたことでしょう。

こうしてこの遊学中に培った知識は、後に日蓮大聖人として諸宗論破の獅子吼を発せられる上で、大切な礎となっていくのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成28年5月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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