日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#051

諸国への遊学
その四

円珍と申す人あり。後には智証大師とがうす。(中略)去ぬる仁嘉三年に御入唐、貞観元年に御帰朝、七年が間天台、真言の二宗を法全、良等の人々に習ひきわむ。天台・真言の二宗の勝劣鏡をかけたり

随自意御書
諸国への遊学

蓮長(れんちょう)が三井寺に赴いた主な目的は、比叡山第五代座主であり、三井寺では開祖とも仰がれる智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が、唐より請来した千余巻と言われる経疏(きょうしょ)の閲覧と学習でした。

三井寺には、智証大師伝来の『青龍寺求法目録』が格護されています。この目録には、円珍入唐の折に西安の青龍寺にて師事した、伝法阿闍梨法全より求得したとされる密教経典類百十余巻、曼荼羅、法具などが収録されていました。

法全阿闍梨は、密教振興の祖とも称される善無畏三蔵の正統な流れを汲む弟子とされますので、いわゆる密教の正系を継ぐ僧と言えます。円珍はその法全より密教の奥義を授かり、日本への帰国後には、同じく法全より伝法を受けた円仁に続き、伝教大師の悲願であった天台密教(台密)の興隆に力を尽くすのです。

青龍寺と言えば、当時の唐においては密教の中心とされる寺です。ここでは円珍のみならず、時代を遡って第三代天台座主であった円仁や、日本真言密教の開祖とも言える弘法大師空海も、やはり密教を深く学びました。弘法大師は、同寺にて恵果阿闍梨より金剛、胎蔵の真言両部を授かり、灌頂を受けて日本に真言密教を弘めたとされています。

諸国への遊学

円珍の求法目録には、伝授された経典類の記録だけではなく、併せて伝法の経緯も詳細に記されています。そのことは、師こそ違えども円珍が空海と同流となる密教の奥義を伝えられ、それを比叡山にもたらしたことを示しているのです。

円珍は自身の授かった密教教義を比叡山に持ち帰ることによって、真言密教に遅れをとっていた天台密教の大成を成し遂げまし経の方が実践では勝るといった理屈をも、天台宗内に蔓延させてしまう結果となったのです。

当然のことながら、円珍を祖と仰ぐ寺門派の三井寺では、殊更その傾向は強かったことでしょう。そのような風潮の中に身を置きながら、蓮長は密教教義の神髄を探っていったのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成27年12月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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