日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#044

比叡山での修学
その6

源信(恵心)僧都の意(こころ)は、四威儀に行じ易きが故に念佛をもつて易行と言い、四威儀に行じ難きが故に法華をもつて難行と称せば、天台、妙楽の釈を破る人なり

守護国家論しゅごこっかろん
比叡山での修学

三塔総学頭と称えられた俊範より天台教義の奥義を学んだ蓮長(れんちょう)は、天台本覚法門の神髄に触れ「一切衆生は皆佛である」との確信を強めていきました。しかし俗世の有り様を見れば、民は飢えや病に苦しみ、施政者は己の利権を争うばかりで、とても佛の姿とは思えません。それどころか当時の比叡山々内であっても、佛はもとより、佛身を成就せんと修行に励む僧侶の姿すら、誰一人として見ることが出来ません。それというのも「中古天台」と呼ばれる悪しき時代の思想が、山内に蔓延していたからなのです。

「中古天台」とは、十一世紀末から十七世紀にかけての天台学を呼称するものです。蓮長が比叡山を訪れたのは十三世紀半ばですので、山内の学風は既にこの中古天台期となっていました。

中古天台の教義では、恵心流の本覚法門が主流とされました。「本覚」とは「本より覚あり」、すなわち私たち誰もが無上の悟り(佛)をその身の内に秘めているという意味ですので、成佛を至上の目標とする佛教においては、何よりも大切な教えとなります。

天台宗の始祖である天台大師も、法華経の教義を探求した結果この本覚に注目をし(天台大師は本覚という語は用いませんが)、一切衆生の成佛の可能性を見出します。そして自身の内に秘めたその至宝を確かめんとして、「止観」の行を定めたのです。それ故に、天台学の流れとは、すなわち本覚法門が直流であるといっても過言ではないのですが、中古天台の本覚法門が、後に宗史上最大の汚点とまで言われてしまうのは、偏にその歪んだ解釈によるのです。

比叡山での修学

中古天台の本覚法門の特徴は、極端な現実肯定主義にあると言えます。平たくいえば、「最初から佛なんだから、着の身着のまま何をしても良いじゃないか」ということです。これでは誰一人として学問も修行もしなくなってしまいます。もっと悪いことには、物を盗んでも、人を殺めても、佛なんだから良いだろうといった、大変な考えに至ってしまうのです。これでは何の為の成佛なのか分かりません。

またすべてを肯定していきますので、世に念佛が流行れば「それも良いじゃないか」と安易に迎合していきます。後に日蓮大聖人は、『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』や『十章鈔(じっしょうしょう)』にて「或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経となし、或は天台大師の講を停めて善導の講となす。かくのごとき群類、それ誠に尽し難し」、「当世に父母を殺す人よりも、謀反をおこす人よりも、天台・真言の学者といわれて、善公が礼讃をうたい、然公が念仏をさいずる人々はおそろしく候なり」と当時の山内の様子を大変嘆かれています。

また以前ご紹介したように、清澄にて師道善房に勧められて称名念佛に励んだ事もあるといった過去があるのも、このような天台宗に蔓延る悪しき時代の影響があったのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成27年4月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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