日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#045

比叡山での修学
その7

法然が念佛宗のはやりて一国を失はんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり。師子の身の中の虫の師子を食ふと、佛の記し給ふはまことなるかなや

撰時鈔せんじしょう
比叡山での修学

中古天台期の思想の特徴としては、本覚法門と並び「観心主義」や「口伝法門(くでんほうもん)」がありました。観心主義とは、過去に伝承されてきた教えを学んで悟るのではなく、己の心を観て悟るとするもので、早い話が“閃(ひらめ)き”で悟りなさいということです。さらに口伝法門は、本当に大切な秘法は佛典や文証に依らず、師子相承の口伝えによって伝授されていくといった考え方です。

確かに天台大師も己の心の最奥を探る「観心」を、成佛の為の大切な教義と位置付けました。重要な教義書である天台三大部の中心とも言える『摩訶止観(まかしかん)』は、主にこの観心について教示されたものです。しかし、この時代の勝手気儘な思想に用いられる「観心」と、天台大師直伝の「観心」には、その根本理解として雲泥の差があるのです。

また口伝法門も、一見すると秘儀伝授の奥深い儀式のようにも捉えられますが、伝言ゲームの最初と最後の文言がまったく違ってくることは、皆さんもよくご承知の通り。文証に頼らず師から弟子へと口伝えされたものは、必ず恣意が加わってその解釈が変わっていくのです。

比叡山での修学

こうして「観心主義」や「口伝法門」の両者が相まって、更に山内を覆い尽くす中古天台の本覚思想が加われば、もはや佛法も佛の実語などではなく、衆生救済の大白法どころか、かえってそれが世の衰退を招くことは火を見るよりも明らかです。人々は天台教義を学ぶと言いながら、思い思いに念佛を唱え、ある者は寺領から上納される莫大な財を蓄えることに執心し、またある者は叡山の扱いが悪いと言っては、手に刀や長刀を持って強(ごう)訴(そ)に及ぶのです。

彼の有名な白河上皇の嘆き、「賀茂河の水、双六の賽、(叡山の)山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」や、織田信長の怒りによってもたらされた、比叡山焼き討ちの大惨劇なども、こうした状況が背景となり起こった歴史の悲劇なのです。

最高の学問を修めんと、心躍らせて比叡山を訪れた蓮長(れんちょう)ではありましたが、こうした山内の惨憺(さんたん)たる姿は、いかにその両の眼に映ったことでしょう。「もはや佛語を真実たらしめる者は誰もいない。この私が、正しい佛の教えを守り伝えなければならない。」改めてその使命が、暗き末法の世を照らし出す大きな炎として、蓮長の心に燃え上がっていくのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成27年5月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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