日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#013
清澄寺ご入山
その五

「此(こ)の五六年以來(ごろくねんいらい)、洛中城外各安穩不(らくちゅうじょうがいおのおのあんのんならず)。五畿七道皆以(ごきしちどうみなもっ)て、滅亡(めつぼう)す。偏(ひとえ)に弓箭甲冑之事(きゅうせんかっちゅうのこと)を営(いとな)み、併(あわ)せて農作乃貢之勤(のうさくのうぐのつとめ)を抛(なげう)つ茲(これ)に因(よっ)て都鄙(とひ)の損亡(そんぼう)、上下(じょうげ)の飢饉(ききん)、一天四海眼前(いってんしかいげんぜん)に煙滅(えんめつ)し、無双之愁悶(むそうのしゅうもん)、無二之悲歎候也(む)(にのひたんそうろうなり)」

(吾妻鏡 第三巻 壽永三年二月大廿日己卯)

今回の横道は、数月号にわたりだいぶ大幅に逸れてしまいましたね。そろそろ皆さんから「お祖師さまのお話は、どこへいってしまったの・・・?」と言われてしまいそうですが、日蓮さまの思想の根底を形成する大切な時代背景となりますので、今暫くお付き合い下さい。

文頭にご紹介したのは、「吾妻鏡」の一節です。時はまさに源平合戦の最中、日蓮さまのお生まれになるおよそ四十年ほど前のお話です。先月号にて触れました武士の台頭と、それに伴う源平両家の覇権争いが激しくなるにつれ、人々はこぞって刀や槍を手に取るようになり、田畑を耕す者は誰もいなくなってしまいました。その結果、身分の上下にかかわらず誰もが飢えに苦しみ、やがて日本国すべてが灰燼に帰してしまうような危機的状況に陥ってしまうのです。

清澄寺ご入山

その状況に一応の終止符を打つのが、源氏の大勝利と鎌倉幕府の成立なのですが、それはまた、新たな争いの火種となる出来事でもありました。

幕府の長、いわゆる「将軍さま」は、何も源頼朝が最初というわけではありません。朝廷より任を与えられた歴代の征夷大将軍と言えば、大伴家持や坂上田村麻呂などなど、歴史の教科書でその名を目にした方も多いと思います。しかし鎌倉以前の将軍達は、名実ともに「朝廷の命によって」働く軍隊の総司令官であって、遠征の折りには各地で陣(幕府)を張りますが、それはあくまで限定的な出城の役割でしかありません。対して頼朝の設立した鎌倉幕府は、関東武士団が朝廷より独立を果たした意味合いを持ち、その長たる将軍は、軍事面のみならず、政治的な権力をも手中に収めることとなっていったのです。

この歴史的大事件によって、朝廷勢力はいよいよその力を削がれていくこととなります。かつては神の如く絶対的な存在として誰もが崇め奉った帝や院たちは、従順な筈の「王家の犬」に牙を剥かれ、恐れ暮らさなければならない惨めな立場となってしまったのです。それは単なる貴族から武士への権力移行だけではなく、人々の価値観をも変化させる歴史の転換期でもあったのです。

イラスト 小川けんいち

小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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