日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#004
お誕生(その三)

梅菊が不思議な夢を見たあの晩より月日は流れ、片海(現在の小湊地域)のみならず、近隣各地ではその夢のお告げで持ちきりとなっていました。

なんでも日天子さまの不思議なお告げを受けた女房がおるそうな、その者はお告げと共に懐妊したと聞く」「ほう、それは何とも奇異な話じゃ、そのやや子はいかなる賢者か、はては聖人のお出ましやもしれん・・・」人々は口々にそう噂し、日輪の御子の誕生を今か今かと待ちわびていました。そしていよいよ月は満ち、貞応元(一二二二)年二月十六日、更に人々を驚かす出来事が起こり始めるのです。

その日は早朝より見事に晴れわたり、穏やかな波に旭が燦然と輝く中、梅菊はお腹の子に優しく語りかけます。「さあ、日輪の御子よ、そのお声をわれらに聞かせておくれ」そうささやくやいなや、珠のような男の子が大きな産声を上げたのです。そしてその声に応えるように、庭には突如清らかな水が湧き出しました。父貫名次郎は大変驚きながらも、その清水を汲むと、生まれたばかりの赤子の産湯としました。不思議な出来事はそればかりではありません、浜辺には時ならぬ青蓮華が次々と咲き始め、浅瀬には無数の鯛が群れをなして集まって来るではありませんか。噂を聞きつけた人々は、この奇瑞を一目見ようと遠近各地より集まり、まるでそれは市のような賑わいでありました。

この不思議は「三奇瑞」として今に伝えられています。ことに群れをなさず深海に住むはずの鯛が、まったく正反対の生態を見せている事実は、著名な海洋学者も説明がつけられず、昭和四十二年には国の特別天然記念物として指定されました。そして現在でもこの一帯は禁漁区として、不思議な鯛の群れは大切に守られているのです。また房州の地は石灰を多く含んだ地層ですので、通常では濁りのない清水が湧き出したり、泥土で育つはずの蓮華が咲くことは考えられません。それは現代となっても説明することのできない、まことに不思議な出来事なのです。皆さんが日蓮大聖人さまお誕生の聖地である大本山誕生寺をお参りする折りには、「蓮華ヶ淵」や「妙(鯛)の浦」などこれらの奇瑞にちなんだ名所を訪れることができます。まもなく御降誕八〇〇年を迎えようとする今、ぜひ当地を訪れ、日蓮さまお誕生の当時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

両親はこの珠玉のような赤子に「善日麿」と名を授けました。このお名前が日蓮さまの最初のお名前です。ところで、「善日麿」とは漁師の子としてはいささか仰々しいお名前と思われた方もいるかもしれません。確かに公家や武士の幼名のようにも感じられます。そこには日天子の不思議な夢、そしてお誕生にまつわる不思議な出来事を受けて、「この子はきっと、日輪のように世の中を照らす大人物となるに違いない」との両親の切なる願いがあったことでしょう。果たして父母の予見どおり、後に日蓮さまは末法の暗き世を照らす聖人として育っていかれるのです。しかしまた、このお名前には色々な秘密が隠されているとも伝えられています。そのお話はまた次号で。

小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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