そう、南無妙法蓮華経もまたれっきとした名前なのです。名前ですから、当然ながらそれは、ある存在の根源や本質を一言に集約しているわけです。
そうは言っても、さすがに南無妙法蓮華経ともなれば、何と何と!ただ一言を以て、同時に二つの存在を現すことができるのです。
但一切の諸法に亘て名字あり。其名字皆其体徳を顕はせし事也。
内房女房御返事
一つは当然のことながら、「経典」すなわちお経に対する名前です。
南無妙法蓮華経は、通常「お題目」と言いますが、この「題目」とは、表題つまり書物や作品のタイトルを意味するんです。
夫以れば一乗妙法蓮華経は、月氏国にては一由句の城に積み、日本国にては唯八巻也。
内房女房御返事
お釈迦さまが説かれた真実最高のお経である『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(妙法蓮華経)』。その原本は、一由旬(七キロぐらいらしいです)のスケールで造られた、超ビックなお城の中に、ギュウギュウに詰め込まれる程の分量であったと、伝説に語られています。
そんな「グイン・サーガ」も「大菩薩峠」も「失われた時を求めて」も、そしてあの「ペリー・ローダンシリーズ」さえもが、歯牙にも掛けられない程の、圧倒的なまでに厖大な量を誇る大長編の経典であった法華経の原本。それが震但で翻訳され、(訳者は御存じ!「鳩摩羅什三蔵法師」。ただし西天取経した玄奘三蔵法師とは別人ですし、夏目雅子さんのような女性でもありません)日本に渡ってきた時は、なんと全八巻廿八品(八冊で全廿八章ということです)となっていたわけです。
まさにスリム化にスリム化を重ね、超絶なまでにコンパクト化された『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』。そんなコンパクトな漢訳バージョンにおける題目(つまり題名)こそが、皆さま御存じの『妙法蓮華経』なのです。
その妙法蓮華経に対し、「全身全霊を以て信ずる」という意味の「南無(これも印度のナームの漢訳ですね)」を付けたのが、南無妙法蓮華経のお題目となるのです。
或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ、或は又一期の間に只一度となへ
月水御書
ですから厳密に言えば、お経の題名(題目)に当たるのは、あくまで妙法蓮華経の五字なのですが、南無を付けた七文字の南無妙法蓮華経を、私たちは「お題目」と呼んでいるのです。
だって人の本名を呼ぶなんて、人の寝室にズカズカ侵入することよりも、人のケイタイを勝手に見まくることよりも、いえいえ、人のPCのデーターを勝手に閲覧しまくることよりも、もっともっと失礼なこと。部下や目下の者ではなおさらのこと、絶対なるタブーだったのです。
一般的なイメージで「お題目」という言葉を使う時は、否定的な意味で使われることも多いようようです。曰く「お題目ばかりで中身は無い」云々と・・・。
のみならず、大聖人の門下に連なる方々でさえも、「お題目は七文字だから○○回唱えれば法華経八巻の経文の数と一致するので、八巻を全て読破したのに等しい」云々と、物知り顔で公言してしまう者もいる始末。
残念なことですが、これらの発言は、名前というものを単なる標識程度にしか理解できていないからなのです。
是皆名に徳を顕はせば、今妙法蓮華経と申候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収たるが如し。一塵に三千を尽す法門是也
御義口伝
イラスト 小川けんいち
元霊断院主任
福岡県妙立寺前住職