日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
法華経のお話 法華経のお話

#081
無量義経の段その三十九

1.山は樹を以て茂り 国は人を以て盛なり
(吉田松陰)

法華経のお話_無量義経の段その三十九

明治以前までの日本には、六十六の国々があったそうです。

今でもよく聞く大和魂に河内音頭。美濃の蝮(まむし)に信濃のコロンボ、伊賀の影丸にカバ丸。越後の縮緬(ちりめん)問屋に越中富山の薬売り。讃岐うどんに丹波牛、備前焼に越前焼云々・・・、と言った言葉に含まれている、現在の公式な行政区ではない地域名や地方名というのは、殆どがこの昔の国名に当たるんですね。

日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して、一も残さず。月氏の両字にあに七十ケ国なからんや。妙楽云く、「略して経題を挙るに、玄に一部を収む」。また云く、「略して界如を挙るに、具さに三千を摂す」。

四信五品抄

今では公式ではないと言っても、実はこちらの方が、平安の世から江戸の終わりまで、何百年も変わりなく使われてきたのですから、断然年季が違うというもの。いくら明治政府によって強引に変更されても、本来の国名はこうしてちゃんと残っているわけなんですね。

六十六国・二嶋・已上六十八ケ国

神国王御書

この六十六の国々に、二つの島を加えた六十八の国の集まりが、言わば明治以前の日本の全貌。二つの島と言っても、それは壱岐・対馬のことであって、北海道と沖縄のことではありません。この二カ所は古事記日本書紀では日本の外、いわば外国だったんですね。

それにしても壱岐・対馬はとても小さな島なのに、なぜか斯様な別格扱い。しかも、古代より朝廷に重要視されてきた神社(式内社)がとても多いのも、この二島の特徴なんです。

なにしろ西海道の国々では、この壱岐・対馬が最も式内社が多いそうです。それだけ壱岐・対馬って、日本のとってもとっても大好きな重要ポイントなんですね。

2.我が名はレギオン。我々は大勢であるが故に
(レギオン)

法華経のお話_無量義経の段その三十九

今の日本よりも範囲は狭いとは言え、それでも大小六十六もの国々。そこには広大な自然と様々な文明の所産があり、多種多様な生物、そして人間たちが生活していたわけです。

そう、大聖人さまこそが、名前の大切さを知る古の人々の中にあって、なお一層深く、そしてより的確に、名前というものの本質、実態を把握されていたお方だったのです。

妙法蓮華経の五字は経文にあらず、その義にあらず、ただ一部の意のみ。初心の行者その心を知らざれども、しかもこれを行ずるに、自然に意に当るなり

四信五品抄

さればこそ、大聖人さまは断言されます。妙法蓮華経の五字は、単なる標識ではなく、いわんやその内容でもないのです。法華経一部八巻に込められた、壽量ご本佛・お釈迦さまの悟りそのものなのだと・・・。

3.レベルルェベルが違うんだよコノヤロー!
(外道)

だからこそ、お題目を信じる人は、その意味が解らなくても、唯々お題目を唱えるだけで、不思議と法華経に込められたご本佛さまのお悟りを直に受け取ることができるのです。お題目の信仰者は、たとえ佛道修行者として初心にも満たない単なる凡夫であっても、お題目をお唱えするだけで、真言宗の祖・善無畏三蔵法師、華厳宗の祖・智厳、法相宗の祖・慈恩大師、律宗の祖・澄照大師道宣、禅宗の祖・達磨祖師、そして浄土宗の善導和尚等々といった、遥かに高位な祖師の方々よりも、百千万億倍優れたる存在である。故にその姿や能力だけで、侮ったり蔑んではいけないんだと、大聖人は懇ろに教え諭されていらっしゃるのです。

是皆名に徳を顕はせば、今妙法蓮華経と申候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収たるが如し。一塵に三千を尽す法門是也

御義口伝
※この記事は、教誌よろこび平成27年2月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

塩入幹丈

元霊断院主任

福岡県妙立寺前住職

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