大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)
薬王菩薩の使命は、お釈迦様と日蓮大聖人の間を繋ぐこと。 前世紀最高の物理学者といえば、ご存知アインシュタインですが、その天才といえども、それまでの物理学者たちの活躍の歴史あってこそ、はじめて相対性理論が発見できたもの。大聖人もご本佛お釈迦様の直弟子であっても、地上においては、弐千年に亘る法華経の信仰と教学の歴史があってこそ、はじめて日蓮佛教の宣言に至れるわけです。 その歴史を繋ぐため、薬王菩薩は人の世にやってきたのです。それも一度とならず二度までも・・・。 一度目は天台大師として震旦に、そして二度目は伝教大師としてここ日本に転生されたのです。
天台大師とは、西暦でいう五三八年に震旦は今の湖南省(毛沢東の出身地ですね) に誕生され、西暦五九六年にご入滅(お亡くなりになること)された、天台宗の高僧です。その当時の震旦は、南北朝時代の終わり頃から隋の時代(聖徳太子から超上から目線の国書を送くられちゃった国が、この隋なんですね)、日本では古墳時代から飛鳥時代の初め頃に当たります。続く伝教大師は、西暦の七六六年(七六七年説もあり)に、日本は今の滋賀県に誕生され、八二二年にご入滅された、日本天台宗の開祖です。時代は奈良時代から平安時代の初期となります。古墳時代から平安の初期といえば、お釈迦様ご入滅後の正法壱千年・像法壱千年・末法万年の三区分の内、どちらも像法の時代。
まさに、まさにお釈迦様と末法の日蓮大聖人との間に位置しているんですね。
とはいうものの、これは決して、震旦は隋の時代に天台大師という高僧が活躍された、平安時代に伝教大師と呼ばれた高僧が活躍された、という意味ではありません。隋の時代に活躍された天台宗の高僧とは智顗(ちぎ)禅師であり、平安時代に日本で天台宗を開かれた高僧とは最澄上人のこと。
同様に最澄上人へは、その亡き後に「伝教大師」の名が贈られたのです。
そう、今では天台大師、伝教大師、天台大師、伝教大師…と当り前のように言っていますが、実はどちらも当人の生前中には全然使われなかった名前、その亡き後に作られた名前なんですね。
「八重の桜」では七代目市川染五郎が孝明天皇を演じていました。
又、その前の「平清盛」では松田翔太が後白河法皇を演じていました。
でも本当は孝明天皇という御名も後白河法皇という御名も、その生前のお名前ではありません。
江戸末期に即位された第一二一代天皇は、その本来の御名を統仁(おさひと)と言われ、崩御後に孝明天皇という御名が贈られました。
同様に平安末期に即位された第七七代天皇は、その本来の名を雅仁(まさひと)。
退位され出家されてからは行真法皇と名乗られました。
その法皇の崩御後に贈られた御名が後白河院であり、さらに改めて後白河天皇の御名が贈られたのは、七〇〇年後!の明治になってから・・・。
こうした、今では当たり前のように使ってる名前が、その当時とは全然違うという例、実はまだまだ沢山あるんですね・・・。
イラスト 小川けんいち
元霊断院主任
福岡県妙立寺前住職