「一時佛住。王舎城(おうしゃじょう)。耆闍崛山(ぎしゃくっせん)中」
王舎城(またの名を王赦城)の中心部より東北の方に変わった形をした小高い山があります。山頂(峰)がまるでハゲワシの頭部のような形をしたその山こそがギッジャ・クータこと耆闍崛山です。
ギッジャとはハゲワシのこと。故に単に鷲峰山や鷲頭山という呼び方もありますが、これでは単に変わった形の山というだけのこと。
やはり霊鷲山という名前こそ、この神秘なるお山にふさわしい名前でしょう。
その名のごとく、ここには沢山のハゲワシや諸々の霊や魔が集まる山、ゆえに名付けて霊鷲山というわけです。
前回の斑足王(はんそくおう)の羅刹(らせつ)たちもこの山の霊の一種。さらに霊鷲山の魔物についてはこんなお話もあります…。
釈迦三尊像よろしく(ちょうど増上寺で戦後初の開帳ですね)文殊菩薩、普賢菩薩を従えて獅駝洞へ降臨されたお釈迦様は、一大王、二大王はそれぞれの主人にまかせ、三大王との一騎打ちに打ってでます。
さすがの三大王も、やはりお釈迦様には敵うはず無く、とうとう動きを封じられてしまいます。
しかしそれでも諦めることなく「兄弟たちよ、こいつらを倒して大雷音寺を「乗っ取ろうぞ」とわめき続けます。倒され捕らえられた後も、悪態をつくのは悟空以外では彼一人でしょう。
かくして獅駝洞一味は壊滅。青獅子と白象は主人のもとにつれ返され、残った大鵬はお釈迦様に引き取られることとなりました。お釈迦様は仰います。
「私の住んでいる山は形が鷲の頭部のようである。大鵬ならば、その姿といい力といい、この山の守護神にふさわしいであろう」…。
というわけで、このエピソード、西遊記中破格の扱いの大鵬こそが、霊鷲山の霊鷲であったという縁起譚となるわけです。
しかも霊鷲山と大鵬との意外な結びつきは、実はこの西遊記だけではないのです…。
元霊断院主任
福岡県妙立寺前住職