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  • 第84回 師厳道尊 ~ひたむきな心~

    第84回 師厳道尊 ~ひたむきな心~

    第84回 師厳道尊 ~ひたむきな心~

    宮崎県 龍雲寺聖徒団団長
    霊断院弘宣局教宣部長
    吉田憲由

    「みなさんの師(先生)は誰ですか?」

    「目を閉じると顔が浮かんできますか?」

    九州の剣豪宮本武蔵は『我以外は皆、師である』と言われています。

    振り返りますと私は今まで沢山の師に出会い教え導かれてきたことを実感いたします。

    師父上人はもちろん、家族・霊断師会本部での先輩・法友・檀信徒の皆さん、全てのおかげさまが私の師であり、今の私を作っているのです。

    特に私に僧侶として道・心構えを教えて下さった師が島根県妙本寺の吉田亮善先生です。

    初めて先生とお会いしたのは、平成十年、霊断の修行に行った時でした。亮善先生の迫力のある大きな声。心根の太い信仰。その熱い講義に、正に目からが落ち「こんな私でもお祖師様のお役に立てる!衆生を救済していける」とが落ちたような衝撃を受け血沸き肉躍ったことを覚えています。

    『先生のようになりたい』『先生のように布教していきたい』と憧れ、先生の門を叩き今日までの二十年、本当に沢山の事を学ばせていただきました。お茶くみ(コーヒー入れ)から始まり身の回りのお世話、先生の言われることを漏らさぬようにメモし小判サメのようについて歩きました。

    教え方は「見て覚えろ。頭でなく体で覚える」なのでことさら詳しく教えて下さいません。

    特にお説教にはの厳しかった。普通は正月から一年が始まるのが当たり前ですが、私の始まりは五月三日からです。何故かと言うと、その日島根の先生のお寺で一年かけて作ってきたお話を亮善先生、そして妙本寺の聖徒さんの前でお説教をさせていただくのです。そしてその後先生に厳しく講評をしていただき手直しをして、その話を一年間お説教をして行くのです。ですから私の一年は五月三日に始まり五月二日に終わるのです。それをコロナ禍になるまで十五年間毎年欠かさずにさせていただきました。説教の後の先生の講評は、それはそれは立っていられないくらい叱られます。しかしたまに励まして下さいます。

    「憲由。お前は本当に不器用だな~。でもそこがお前の良い所だ!坊主は不器用な方がいい!不器用な人の方が、ひたむきさを持っている」「器用な人は、確かに物事を素早く吸収して上達は早いけれど、難しいことや、出来ないことに対しては、簡単に諦めてしまうものだ。逆に不器用であれば、たとえ失敗したとしても、難しいことにも腰を据えて出来るまで根気強くやるもんだ!憲由!諦めずに頑張れよ!」と背中をポンと叩いて励まして下さいました。それが励みとなって今日まで歩んで来れました。

    日蓮大聖人は『上野殿御返事』で

    法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時は燃立ばかり思へども、遠ざかりぬれば捨つる心あり。水の如くと申すはいつも退せず信ずる也

    とお示しです。

    法華経を信仰するということは、熱しやすく冷めやすい火の様な信仰ではだめだよ。いつまでも変わる事のない水の流れの様な信仰でなければいけないよ。我々の人生も同じこと、色んなことはあるけれど、あきらめずに水の流れのようにひたむきに生きていく事こそ大切なのだと、ご教示下さっています。

    そして亮善先生もお経やお説教・霊断を通して、厳しい言葉の中『ひたむきな心』の大切さを私に教えて下さっていたのです。

    「~師厳にして然る後に道尊し~」

    森羅万象全てを師と受け取め、これからも団長上人・聖徒団のみんなと共に俱生神月守を着帯し、お題目を唱え、お題目を持ち・行い・護り・弘める尊い道をひたむきに歩み続けて参りましょう。

    御本仏様は、振り返った時に必ずあなたに一番合った形で願いを叶えて下さいます。

    宮崎県 龍雲寺聖徒団団長霊断院弘宣局教宣部長吉田憲由 「みなさんの師(先生)は誰ですか?」 「目を閉じると顔が…

  • 第90話 立正安国への思い その二

    第90話 立正安国への思い その二

    第90話 立正安国への思い その二

    余此等の災夭に驚きて、ほぼ内典五千外典三千等を引き見るに、先代にも希なる天変地夭也。しかるに儒者の家には記せざれば知る事なし。佛法は自迷なればこゝろへず。この災夭は常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず。定めて佛法より事起るかと勘へなしぬ

    下山御消息(しもやまごしょうそく)

    大聖人は止むことなき各地での天変地異、そしてついに鎌倉をも襲った前の大地震を目の当たりにし、その原因を今一度深く考察されました。震災にて大打撃を受けた鎌倉の街を隅々まで歩き、家を焼け出され今まさに道ばたで命を落とさんとする人々の、かすかな声に耳を傾け続けます。

    権威を誇る幕府は、そして大伽藍の寺院は、本来こうした人々にとって最も頼みとすべきそれらの勢力は、事ここに至ってなんら救いの力とならぬことを改めて知るのです。そしてもはやこの惨状の原因となるものは、国政などの世間の法に拠るものではなく、武士も商家も農民の別もなく、すべての人々の心深くに根付く法に由来があることに思いが至るのでした。それはすなわち、佛法に対する過ちより起こり来る災いであるとの結論です。

    大聖人はすぐさまその原因を探るべく、一切経と呼ばれる膨大な経典を再び紐解き直すことを決意されました。そして正嘉二(一二五八)年、当時は天台宗寺院であった岩本實相寺の経蔵へ入られたのです。

    實相寺は久安元(一一四五)年に鳥羽法皇の命により智印法印が建立した、天台宗(現在は改宗され、本宗の霊跡本山です)の古刹でした。天台宗の名僧円珍は、唐より二組の南宋判一切経を招来しましたが、その内の一組は以前にご紹介しました三井寺に、そしてもう一組がこの實相寺に納められていたのです。大聖人はその一切経の閲覧を求め、この地を訪れました。

    一切経と一言に言いましても、その巻数は数千に及びます。一度経蔵に入った大聖人は文字通り寝食を忘れて参籠し、来る日も来る日も経典を拝読され続けたのです。それはまさに教主釈尊に相対し、日本国を救うための真の答えを問い続けるかのようなお姿でした。

    そしてその傍らには、まだ十四、五歳の日朗上人が一時も離れず傅き、身の回りのお世話をされたと言われています。国のため、正しき佛法のため、身命を賭して答えを追い求めんとする大聖人のお姿を、誰よりもお側近くにあって見守り続けた日朗上人の心は、いよいよ師に対する篤い信望に満ちてゆくのでした。

    余此等の災夭に驚きて、ほぼ内典五千外典三千等を引き見るに、先代にも希なる天変地夭也。しかるに儒者の家には記せざ…

  • 第83回 『名前の持つパワー』~呼ぶだけで元気が出る~

    第83回 『名前の持つパワー』~呼ぶだけで元気が出る~

    第83回 『名前の持つパワー』~呼ぶだけで元気が出る~

    東京都八王子市 日朝寺光明聖徒団団長
    尾崎妙翠

    人にとって「自分の名前」というのは、とても特別で大切なものですよね。

    道を歩いていて「あのー」とか「スミマセンー」と呼びかけられても、誰の事だか分からず素通りしちゃうかもしれません。ですが「妙翠さん」って名前で呼ばれたらすぐに気が付くことが出来ます。また、病院の待合室などでも、大勢の人がその場にいたり、本を読んだりしていて意識がそちらに向いていない時にも、不思議な事に看護師さんに「尾崎妙翠さーん」って呼ばれたらハッと「私だ、次の番だ」って気が付くことが出来ますね。自分の名前を呼ばれるという事は、とても特別ですごい力があるのだなぁと感じます。

    さてわたくしは、お坊さんになることを志し、六年ほど前に現在の「妙翠」という名前に改名致しました。生まれた時に両親が私に付けてくれた名前は「緑(みどり)」です。師父である文英上人は、私の事を小さいころ「みどり君」と呼んでいました。家にいる時、たまにどこからか「みどりくーん」って父の声が聞こえてくるので、声のする方に行ってみて「なぁに?今呼んだ?」って聞くと「あぁ、用事がある訳じゃなくて、ちょっと呼んだだけだよ、呼ぶとね元気が出るんだよね」と言われました。「へんなのー」と子供の私は思っていましたが、今よく考えてみますと私の名前を呼んだだけで元気を出して貰えるなんて、嬉しくて、とても幸せだったのだなぁと思います。

    若い恋人同士は、お互いの名前を呼び合うだけで愛を確かめ合うことが出来るし、高校生の時に河原で「○○ちゃーん好きだー」と好きな女の子の名前を叫んだ!なんていう青春時代の話を聞いたこともあります。そう考えるとこの「名前を呼ぶ」ことに含まれるパワーは「愛」なのかもしれませんね。

    さて、いつも皆さんが声に出して呼んでいる名前は、誰の名前ですか?お子さんの名前?旦那さんの名前?ペットの名前を一番多く呼んでいるわっていう方もいるかもしれません。生活の中で、「お父さんご飯だよ~」とか、「○○ちゃんもう起きなさ―い」とか。名前を呼びますよね、実はこうした日常の中で名前を呼ぶことからも、私たちは、そこに含まれる「愛のパワー」を受けています。だって独りじゃないってことですから、とても有難いです。では、お家に一人の人はどうしよう?毎日お仏壇のお茶やお水を変える時、名前呼びましょうよ。声に出して呼びましょう。たぶん、皆さんすでにやっていると思います。

    私も毎日、仏壇で師父のお位牌と写真に向かって「お父さーん、おはよう。お水取り替えます」と話しかけます。

    そうすると、返事が返ってくるのです。「おとうさーん」って言うと「みどりくーん」って返ってきます。これは、いつでも、何回でも呼べば必ず!私の心の中に響いてきます。

    「おとうさーん」
    「みどりくーん」

    それだけで、私も、元気が湧いてくるんです。父が昔言っていた「名前を呼ぶだけで元気が出る」という意味が、今になって私の心に響いています。

    妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、三世の諸仏の妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたる也。

    法華初心成仏抄

    私たちは誰もが心に「仏性」を持っています。この私たちの「仏性」が、大曼荼羅ご本尊に書かれているような名だたる神仏たちの「仏性」と全く同じだというのです。また、仏様の「悟りの心理」と全く同じだとおっしゃっています。そしてそれらを「妙法蓮華経」と名付けられたのです。

    私たちが毎日「南無妙法蓮華経」とお唱えする事は、自分や神仏の「仏性の名前」を呼び起こしていることになります。「南無妙法蓮華経」とお唱えする度に、仏さまの「悟りの心理の名前」を繰り返し、呼んでいることになります。

    だから、私たちはこの「南無妙法蓮華経」という名前を呼ぶだけで、その名前の持つパワーで、元気がいただけるのですね。いつでも「南無妙法蓮華経」と呼びかけましょう。必ずあなたの心の中に返事が響いてきます。名前を呼ぶだけで、元気が湧いてきます。

    これからも皆さまが共に「南無妙法蓮華経」と唱え、元気な心でいられますように。また大切な方とお互いの名前をたくさん呼び合えますように。ご祈念いたしております。

    東京都八王子市 日朝寺光明聖徒団団長尾崎妙翠 人にとって「自分の名前」というのは、とても特別で大切なものですよ…

  • 第89話 立正安国への思い

    第89話 立正安国への思い

    第89話 立正安国への思い

    諸天は妙法を聞くことを得ず、法味を嘗めざれば、威光、勢力あることなく、四天王並に眷属この国を捨て、日本国守護の善神も捨離し已んぬ。故に正嘉元年には大地大に震い、同じき二年にも春の大雨に苗を失い、夏の大旱魃に草木を枯らし、秋の大風に果実を失い、飢渇忽ち起りて万民を逃脱せしむること、金光明経の文のごとし。あに選択集(念佛の要文集)の失にあらずや。佛語虚しからざるが故に、悪法の流布ありて、すでに国に三災起れり。しかるにこの悪義を対治せずんば、佛の所説の三悪を脱るべけんや

    守護国家論(しゅごこっかろん)

    そろそろ話しを元に戻し、今一度日蓮大聖人のお姿を追いましょう。冒頭の御書『守護国家論』は、大聖人が鎌倉へ移られてより数年の後に記された物です。この頃の鎌倉、というよりも日本国といえば、各地で天変地異が相次ぎ、民の暮らしはおろか国家そのものが滅亡するのではないかと誰もが憂うほどの惨状でした。

    長雨や日照り、そして冷夏や台風が次々と農作物を襲い、人々は口に出来るありとあらゆる物を食んで飢えを凌ぎますが、それも既に限界に達していました。そしてそれに追い打ちをかけるように、大規模な震災が次々と各地を襲うのです。

    そのような状況の中で大聖人は昼夜に暇を惜しむように、道行く人々に法華経の功徳、お題目による国家の安寧を説き続けました。その甲斐あってか、ひとり、またひとりとその声に耳を傾ける者は増え、信徒となるのみならず、弟子として生涯を法華経に捧げることを誓う者も現れました。

    しかしながら、世の有り様を見れば、それでは到底間に合わぬかもしれません。大聖人は刻一刻と迫り来るこの国の末路を目の当たりにされ、いよいよ我が身を賭して重大な役目を果たさねばならぬことを感じ始めていました。

    まさにその時、かつてない大地震が鎌倉の地を襲ったのです。『吾妻鏡』によれば、正嘉元(一二五七)年旧暦八月二十三日戌の刻、マグニチュード七以上ともいわれる大地震が相模湾内で発生しました。同書には「神社仏閣一宇として全きこと無し。山岳頽崩し、人屋顛倒す。築地皆悉く破損し、所々の地裂け水湧き出る。中下馬橋の辺地裂け破れ、その中より火炎燃え出る。色青しと。」とあり、鎌倉市中全域が大規模な被害を受けたことが窺い知れます。

    当然ながら大聖人の御草庵も、かなりの損傷を受けたことでしょう。あわや倒壊の憂き目に遭ったやもしれません。夜半に慌てて外へ飛び出してみると、地割れより薄気味悪く燃え出す青い炎が目に飛び込んできたのです。それはまさに、この国の終わりを暗示する悪鬼たちの姿として大聖人の目に映ったに違いありません。

    諸天は妙法を聞くことを得ず、法味を嘗めざれば、威光、勢力あることなく、四天王並に眷属この国を捨て、日本国守護の…

  • 第82回 死について学ぶ ~コロナでは死なない~

    第82回 死について学ぶ ~コロナでは死なない~

    第82回 死について学ぶ ~コロナでは死なない~

    長崎県佐世保市 大光寺聖徒団団長
    霊断院講師
    大野光法

    令和二年の春に感染拡大した、新型コロナウイルスによる不安な世相のなかで、今まで全くと言ってよいほど意識しなかった「死」について、若い世代の人達までもが、死は身近なものとして捉えるようになりました。

    ところで、私は皆さんに「コロナで亡くなった人は一人もいません」と話しています。怪訝な顔をされますが、昔の方は、人は病気では死なない、寿命を迎えて死んでいくと教えてくれています。コロナもガンも交通事故も、その人の寿命、きっかけなのです。誰しも一度は死にます。それは平等です。ですから、死について学ぶことが重要です。

    臨終が近づいて、意識もなく、大きく口を開き、苦しそうな息をしている姿を見ると、苦しいのだろうなと思いますが、この頃には魂は出たり入ったりしています。ですから、たぶん苦しみは感じていないかも知れません。

    「誰々さんが来た」というお迎え現象は、看護師さんにとっては常識です。臨終が近いことを知らせてくれるサインです。

    さらに、死ぬ瞬間が怖いと思っている方が多いようですが、臨終が近づくと、お花畑、川、そして川向こうにいる懐かしい人たちを見る方が多いようです。

    ではなぜ臨死体験の人たちが見てきたという風景が浮かぶのか。それは、進化の過程で身につけた死の緩和ケアなのです。臨終の瞬間、苦しくないようにそのような世界が見えるものと考えられています。ですから、実は死の瞬間は苦しくないのです。

    私が霊園を経営している関係から、来園者から様々な質問を受けます。そんな中に、父親のご葬儀でのこと、「院号を断ったら、ご住職から親不孝のように言われ、院号をつけると、もっといい世界に行けるとも言われました。本当ですか?」という質問を受けました。

    それでは、日蓮大聖人様に、お伺いしてみましょう。ご葬儀の引導文で、聞かれた方も多いかと思いますが、

    此法華経は三途河にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥途にては燈となり、霊山へ参る橋也。霊山へましまして艮の廊にて尋させ給へ、必待奉るべく候

    波木井殿御書

    と、死出の旅路の安心と、自分が(日蓮が)待っているよと示されます。

    しかし、この文章には続きがあります。分かりやすいように、意訳してみましょう。

    ただし、それぞれの信心によるものである。生前の信心が弱かったならば、日蓮の信仰に繋がる者と言っても、通用するものではない。石が下に転がり落ちるように、雨が空から落ちてくるように、地獄に落ちてしまうであろう。その時に日蓮を恨むのはお門違いだよ。もう一度言うよ、それぞれの信心こそが大事なのだ」

    九識霊断法に縁があってご信心をされている皆様は、霊断法の霊験神秘を体験されている方々です。何かことがあるたびに霊断法による指導を受け、その不思議体験により信心は堅固となり、自然と霊界の門を開くことが出来ます。

    自分の行く世界を決めるのは、自分自身だと心に留め、益々のご信心に励んで参りましょう。

    長崎県佐世保市 大光寺聖徒団団長霊断院講師大野光法 令和二年の春に感染拡大した、新型コロナウイルスによる不安な…

  • 第88話 弟子檀越との結縁 その四

    第88話 弟子檀越との結縁 その四

    第88話 弟子檀越との結縁 その四

    一切はをやに随ふべきにてこそ候へども、佛になる道は随はぬが孝養の本にて候か。されば心地観経には孝養の本をとかせ給ふには、「棄恩入無為 真実報恩者」等云云。言はまことの道に入るには、父母の心に随はずして家を出て佛になるが、まことの恩をほうずるにてはあるなり。世間の法にも、父母の謀反なんどををこすには随はぬが孝養とみへて候ぞかし

    兄弟抄(きょうだいしょう)

    では池上兄弟について、少し詳しくお話しを致しましょう。

    池上氏の出自は諸説あるようですが、元は京の摂政藤原家に連なる名門で、東国平定を命として武蔵国へ下向したともいわれています。この折り武蔵国千束池に居を構えたことを縁として、藤原より「池上」へ姓を改めたともされます。

    兄である右衛門大夫志宗仲は、池上家の所伝によりますと、鎌倉幕府の作事奉行の任に当たっていたと伝えられています。晩年大聖人が池上兄弟へ宛てられた『八幡宮造営事』には、「御造宮の大ばんしゃう(番匠)をはづされた(外された)るにやあるらむ」とあり、鶴岡八幡宮の造営事業に際し、宗仲氏が大番匠として候補に上がっていたが、残念ながら外されてしまったことが記されています。

    一方で弟の兵衛志宗長は、幕府の御馬番としての役に就いていたとされます。御馬番というとたんなる厩の世話係のように聞こえますが、当時は馬と言えば何よりも大切な軍馬ですので、兄と並び高い官職に就いていたといえます。それもあってのことか、さる尼御前が身延の大聖人を訪れる際、大変貴重な馬に乗せて向かわせたとあります。

    さて池上兄弟は、先月ご紹介したとおり鎌倉にて大聖人と出会い、その教えの素晴らしさに深く帰依をするようになります。そして喜び勇んで父にその教えを伝えたのです。しかし父である左衛門大夫康光は、大聖人が強く非難する律宗の僧、良観を信奉していました。そのため父は兄弟の信仰を厳しく咎めますが、二人のお題目に対する思いは決して揺るぐことなく、やがて兄宗仲は父より二度の勘当を受けることとなるのです。

    大聖人は兄弟の境遇を大変に気遣われながらも、「現世で父に逆らうは世の教えに反するようであっても、法華経によって父を未来の成佛に導くならば、それが本当の孝ではなかろうか」と二人を励まされます。

    やがてお題目への信を貫き通した兄弟は、そんな頑なな父をも改心させ、お題目信仰の道へと導くのでした。

    一切はをやに随ふべきにてこそ候へども、佛になる道は随はぬが孝養の本にて候か。されば心地観経には孝養の本をとかせ…

  • 第80話 無量義経の段 その三十八

    第80話 無量義経の段 その三十八

    第80話 無量義経の段 その三十八

    1.大魔王ガルバーとは二人の名前だったんだ!
    (ビュビューン)

    そう、南無妙法蓮華経もまたれっきとした名前なのです。名前ですから、当然ながらそれは、ある存在の根源や本質を一言に集約しているわけです。

    そうは言っても、さすがに南無妙法蓮華経ともなれば、何と何と!ただ一言を以て、同時に二つの存在を現すことができるのです。

    但一切の諸法に亘て名字あり。其名字皆其体徳を顕はせし事也。

    内房女房御返事

    一つは当然のことながら、「経典」すなわちお経に対する名前です。

    南無妙法蓮華経は、通常「お題目」と言いますが、この「題目」とは、表題つまり書物や作品のタイトルを意味するんです。

    2.名探偵コナンについてもうすぐ八〇巻突破しますが、長すぎじゃないですか?・・・
    (ヤフー知恵袋より)

    夫以れば一乗妙法蓮華経は、月氏国にては一由句の城に積み、日本国にては唯八巻也。

    内房女房御返事

    お釈迦さまが説かれた真実最高のお経である『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(妙法蓮華経)』。その原本は、一由旬(七キロぐらいらしいです)のスケールで造られた、超ビックなお城の中に、ギュウギュウに詰め込まれる程の分量であったと、伝説に語られています。

    そんな「グイン・サーガ」も「大菩薩峠」も「失われた時を求めて」も、そしてあの「ペリー・ローダンシリーズ」さえもが、歯牙にも掛けられない程の、圧倒的なまでに厖大な量を誇る大長編の経典であった法華経の原本。それが震但で翻訳され、(訳者は御存じ!「鳩摩羅什三蔵法師」。ただし西天取経した玄奘三蔵法師とは別人ですし、夏目雅子さんのような女性でもありません)日本に渡ってきた時は、なんと全八巻廿八品(八冊で全廿八章ということです)となっていたわけです。

    まさにスリム化にスリム化を重ね、超絶なまでにコンパクト化された『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』。そんなコンパクトな漢訳バージョンにおける題目(つまり題名)こそが、皆さま御存じの『妙法蓮華経』なのです。

    その妙法蓮華経に対し、「全身全霊を以て信ずる」という意味の「南無(これも印度のナームの漢訳ですね)」を付けたのが、南無妙法蓮華経のお題目となるのです。

    或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ、或は又一期の間に只一度となへ

    月水御書

    ですから厳密に言えば、お経の題名(題目)に当たるのは、あくまで妙法蓮華経の五字なのですが、南無を付けた七文字の南無妙法蓮華経を、私たちは「お題目」と呼んでいるのです。

    だって人の本名を呼ぶなんて、人の寝室にズカズカ侵入することよりも、人のケイタイを勝手に見まくることよりも、いえいえ、人のPCのデーターを勝手に閲覧しまくることよりも、もっともっと失礼なこと。部下や目下の者ではなおさらのこと、絶対なるタブーだったのです。

    3.剣は凶器、剣術は殺人術、お題目を口にしてもそれが真実
    (斉藤一)

    一般的なイメージで「お題目」という言葉を使う時は、否定的な意味で使われることも多いようようです。曰く「お題目ばかりで中身は無い」云々と・・・。

    のみならず、大聖人の門下に連なる方々でさえも、「お題目は七文字だから○○回唱えれば法華経八巻の経文の数と一致するので、八巻を全て読破したのに等しい」云々と、物知り顔で公言してしまう者もいる始末。

    残念なことですが、これらの発言は、名前というものを単なる標識程度にしか理解できていないからなのです。

    是皆名に徳を顕はせば、今妙法蓮華経と申候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収たるが如し。一塵に三千を尽す法門是也

    御義口伝

    1.大魔王ガルバーとは二人の名前だったんだ!(ビュビューン) そう、南無妙法蓮華経もまたれっきとした名前なので…

  • 第87話 弟子檀越との結縁 その三

    第87話 弟子檀越との結縁 その三

    第87話 弟子檀越との結縁 その三

    大夫志殿の御をやの御勘気はうけ給ひしかども、ひやうへの志殿の事は、今度はよもあににはつかせ給わじ。さるにては、いよゝ大夫志殿のをやの御不審は、をぼろげにてはゆりじなんどをもいて候へば、このわらわ、鶴王の申し候は、まことにてや候らん。御同心と申し候へば、あまりのふしぎさに別の御文をまいらせ候。未来までのものがたり、なに事かこれにすぎ候べき

    兄弟抄(きょうだいしょう)

    さて今少し日蓮大聖人と、弟子檀越方の出会いについてお話をしましょう。鎌倉布教時に入信したとされる檀越たちは、かなりの人数が数え上げられます。と申しますのも、建長五(一二五三)年の立教開宗直後に始まり、文永八(一二七一)年に佐渡へご流罪になられるまで、十八年(伊豆のご流罪を除くと十五年)もの年月を鎌倉を拠点とした布教に充てられているからです。以前にもお話ししました通り、それほど鎌倉は大聖人にとって注目すべき場所であったのです。

    しかもこの時期には、後に語られる武士たちの入信も多く見受けられました。その背景には、鎌倉幕府が制定した制度が大きく関わっていたものと考えられます。当時鎌倉方の武士たちには「御家人役」と呼ばれる軍役が課せられていました。いわゆる幕府への「ご奉公」です。その一つに鎌倉幕府の警護に当たる「番役」があり、地方の御家人たちも定期的に鎌倉への参集が義務付けられていたのです。そのため様々な国に領土を持つ武士たちも、みな鎌倉の地で大聖人の教えに触れることとなるのです。

    その中には、下総国周辺の曽谷氏、富木氏、太田氏や道野辺氏、そして大野氏、また安房国の工藤氏がいました。更には駿河の南条氏や鎌倉武士の四条氏、宿屋入道、北条弥源太等々、みな様々な出身の者たちが大聖人に入信していくのです。

    冒頭でご紹介した武蔵国池上宗仲(大夫志殿)氏も、その一人とされます。通説によれば、宗仲氏は当初建長寺の大覚禅師に師事して、熱心に禅の教えを学んだとされます。後に松葉ヶ谷に風変わりな僧がいて「禅は天魔の業也」と痛烈に避難をしていると耳にし、「どれ一つ話しを聞いてやろう」と、物見遊山で大聖人のもとを訪れたといわれています。そこで初めて大聖人の深い教えに触れ、感銘を受けて入信したとされるのです。

    しかし、以前にご紹介した大聖人の一番弟子ともいえる日昭上人は、父左衛門尉康光の義理の弟にあたる人物です。つまり池上宗仲、宗長兄弟は甥子となります。そうした間柄を考えますと、果たしてここまで全く面識もなく、ただ偶然大聖人と知り合ったとは、些か考えにくい気もいたしますが・・・。あくまで一説によればというお話ですが、池上家との結縁はもっと以前に遡るのではないかとの見解もあるようで、残念ながら今となっては最早それを知る術はありません。

    いずれにせよ出会いの前後は関係なく、池上兄弟は大聖人に深く帰依した大切な檀越方ですので、次回もそのお人柄をご紹介したいと思います。

    大夫志殿の御をやの御勘気はうけ給ひしかども、ひやうへの志殿の事は、今度はよもあににはつかせ給わじ。さるにては、…

  • 第81回 仏の子として

    第81回 仏の子として

    第81回 仏の子として

    和歌山県和歌山市 妙宣寺聖徒団団長
    日蓮宗全国霊断師会連合会副議長
    弘宣局教宣部部員
    蘆田恵教

    月参りをしているお檀家さんとの会話で、「お上人、一生懸命に仕事をしてきて、それなりに楽しく暮らしてきたんだけど、最後死ぬ時『いい死に方』ってどういうことを言うんですかね」と言われた方がおられました。以前ある雑誌に「いい死に方」と「悪い死に方」について掲載されていました。

    それには「いい死に方」とは「幸せな死に方」であり、それには世俗的な価値観から距離をおいてみる。死を見据える、今までとは違う生き方をしてみるのが良いとの事。また、菩提寺の無い方は供養をお願いしたいお寺を見つけて、このお寺に葬ってもらうのだという安心を得る事だそうです。

    現代社会では、身寄りが居ない方でも医療機関が最後を看取ってくれます、葬儀も葬儀社がしてくれます。しかし、故人が遺骨になってからは、弔って供養してくれる人・場所が必要になります。

    そして「悪い死に方」とは「惨めな死」のことであり、「死後、自分を供養をしてくれる人」がいないという「死後の不安」を持つ死に方だということです。家族や親族がいても、引き取り手の無い遺骨や忘れ物として届けられる遺骨が増えているようです。

    死は必ず訪れます。だからこそ、先ず死後の自分を考えるべきであります。

    昔、「大往生」(永六輔さん)という「死」をテーマに書かれた本の中に「いかに死ぬかという事は、いかに生きるかということ」「死に様とは生き様の事」という言葉がありました。

    日蓮大聖人は『妙法尼御前御返事』という御遺文の中で

    人の寿命は無常なり。出る息は入る息を待つ事なし。風の前の露、なお譬えにあらず、賢きも愚きも、老いたるも若きも定めなき習いなり。されば先ず、臨終の事を習うて後に他事を習うべし

    この御遺文はご信者である妙法尼さんからの、「主人は南無妙法蓮華経を夜も昼も唱えて、いよいよ臨終が近くなったら二声高声に唱えました。そして最後は生きている時よりも、安らかな顔でした」という、ご主人の臨終された報告のお手紙に対する御返事です。

    これに対して日蓮大聖人は、人の寿命の無常さを風の吹く前の露に喩えられて、「先ず臨終の事をわきまえて、その後で他の事を学ぶべきである」と、どんな人でも必ず死んでしまう、だからどの様に死を迎えるか、また自分の死後の事を弁えておく。とお示しになりその為には、どう生きなければいけないのか。生きるべきなのかを言われています。

    「法華経の名号を持つ人は、今生と過去世の黒業の大悪が変じて白業の大善となる。まして過去世からの善根はみな変じて金色になる」また「あなたのご主人は臨終に際し南無妙法蓮華経をお唱えになられたのであるから、無死の悪業も変じて仏様の種となったのです。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏という法門はこのことなのです。このような人と夫婦として縁を結ばれたのですから、あなたの女人成仏も疑いないのですよ。」と、この言葉は妙法尼さんにとって、この上ない救いになった事でしょう。

    法華経に「今この三界は皆是れ我が有なり、その中の衆生は悉く是れ我が子なり」と説かれています。この世界は仏様の大事な財産であり、生きとし生ける私たちは仏様の子供であると言われています。仏の子として恥じない生き方をしなければなりません。いい加減な毎日を送る事は出来ないでしょう。

    この世において、受け難き人身を受け、会い難き妙法に出会えた私たちは、この限りある人生の中で果たしていく使命があります。それは各々の立場で南無妙法蓮華経の道を持ち、行い、護り、弘めることです。私たちを一人ひとり見守ってくださっている俱生神さまとの契りの符である俱生神月守を着帯し、南無妙法蓮華経をお唱えする信仰を生活の基として、みんな一緒にみんなの幸せを願うことです。

    共に生き、共に栄えて、共に歩んでいきましょう。

    和歌山県和歌山市 妙宣寺聖徒団団長日蓮宗全国霊断師会連合会副議長弘宣局教宣部部員蘆田恵教 月参りをしているお檀…

  • 第80回 心から信じる事の大切さ

    第80回 心から信じる事の大切さ

    第80回 心から信じる事の大切さ

    富山県利生寺聖徒団 副団長
    弘宣局教宣部部員
    霊断法解説講師
    末吉正道

    私は高校、大学とあるマイナーな競技に勤しんでいました。競技を通した人間としての成長は勿論、五輪選手と一緒に練習するなど多くの貴重な経験が出来ました。高校より始めたにも関わらず、全国大会で入賞することも出来ました。余談ですが、この競技を部活として選んだきっかけとなったのは九識霊断法です。

    それらの関係からスポーツ指導員という資格を取得し、一応ですが指導者という肩書をいただきました。スポーツ指導員の資格を更新するには、講習を受ける義務があります。その講習を先日受講しました。心理学に基づき、指導者として選手と適切なコミュニケーションが出来るかという内容です。普段勉強する仏教や日蓮宗という内容とは全く違った為、とても新鮮に感じました。そして、世の中には様々な分野で学ぶことが多くあり、自分は知識が狭く全然学びが足りないことを強く感じました。

    学ぶと言いますと法華経の九番目に『授学無学人記品』というお経があります。お経の題に「学・無学」と言う言葉が使われています。一般的には、学が有るというと学問を積んだこと、無学と言うと学問の無いという意味に使われています。このお経文での「学」はまだ学ぶことが有ること、反対に無学はもう学ぶことが無い、あらゆる事を修得したと言う意味で使われています。授学無学人記品の中には、まだ学ぶ物事が残っている修行者、もう学ぶ物事が無い修行者が合わせて二千人登場します。どちらもお釈迦様のお弟子ですから、頭が良くて、優秀な修行者達です。

    この修行者達は、声聞と言い頭は良いですが、自分の悟りを得る為だけに智慧を深める努力をします。他人を救う、他人が幸せになる為に自分の智慧を使おうという考えを持っていませんでした。この様な振る舞いから、仏に成れない存在とされていました。しかし法華経の教えによってお釈迦様から、未来世に必ず仏(如来)に成ることができると保証をいただきます。修行者たちは、左記の経文のように大喜びします。

    世尊は慧の燈明なり 我授記の音を聞きたてまつりて 心に歓喜充満せること 甘露をもつて潅がるるが如し

    妙法蓮華経授学無学人記品第九

    甘露とは天上の神々の飲むもので、天界にある甘い霊液とされ、不死を得るといわれています。そのような飲み物を貰ったくらい嬉しいと言う表現です。心からの喜びが感じ取れます。しかし、何故お釈迦様は、仏に成れないと言われた声聞に未来世の成仏を保証することが出来たのでしょうか。

    それは、この声聞たちは、心底からお釈迦様の存在、法華経の教えに帰依することを理解したからです。理屈ではなく、心と体(行い)で、法華経の教えを得ることを求めたからです。

    有解無信とて法門をば解て信心なき者は、更に成仏すべからず。有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし。皆此経の意也、私の言にはあらず。されば二巻には以信得入非己智分とて、智慧第一の舎利弗も、但此経を受持ち信心強盛にして仏になれり。己が智慧にて仏にならずと説給へり。舎利弗だにも智慧にては仏にならず。

    新池御書

    日蓮大聖人は新池左衛門尉殿に与えられたお手紙に「学問があっても信心が無い人より、学問が無くとも信心のある人の方が仏になれる。これは法華経の第二巻に書いてあり、私の考えではない。一番智慧が優れた頭の良いお弟子であった舎利弗尊者でさえ、信心を以て初めて教えの真髄(仏に成ること)を得ることが出来た」と心から信じることの大切さを説いています。

    聖徒の皆様は、子供の頃からお寺に通ってきた方、最近お寺とご縁が結ばれた方と信行経験は様々だと思います。どのような立場であっても、常に心底より御本仏の存在、日蓮大聖人による法華経の教えを信じるという想いをしっかりと持ち、教えを実践する聖徒を目指して頂きたいと思います。それを後押しするのが、倶生神月守と九識霊断法です。月守を着帯し御本仏との繋がりや護りを更に固くし、九識霊断法による御本仏の意思に沿った行動を実践し、充実した生活を過ごして頂きたいと僧侶として霊断師として願っています。聖徒の皆様各々の団長上人と共に、一層の信心増進と菩提心増長への御精進をお願い申し上げます。

    富山県利生寺聖徒団 副団長弘宣局教宣部部員霊断法解説講師末吉正道 私は高校、大学とあるマイナーな競技に勤しんで…