日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#087

弟子檀越との結縁
(その三)

大夫志殿の御をやの御勘気はうけ給ひしかども、ひやうへの志殿の事は、今度はよもあににはつかせ給わじ。さるにては、いよゝ大夫志殿のをやの御不審は、をぼろげにてはゆりじなんどをもいて候へば、このわらわ、鶴王の申し候は、まことにてや候らん。御同心と申し候へば、あまりのふしぎさに別の御文をまいらせ候。未来までのものがたり、なに事かこれにすぎ候べき

兄弟抄(きょうだいしょう)
弟子檀越との結縁

さて今少し日蓮大聖人と、弟子檀越方の出会いについてお話をしましょう。鎌倉布教時に入信したとされる檀越たちは、かなりの人数が数え上げられます。と申しますのも、建長五(一二五三)年の立教開宗直後に始まり、文永八(一二七一)年に佐渡へご流罪になられるまで、十八年(伊豆のご流罪を除くと十五年)もの年月を鎌倉を拠点とした布教に充てられているからです。以前にもお話ししました通り、それほど鎌倉は大聖人にとって注目すべき場所であったのです。

しかもこの時期には、後に語られる武士たちの入信も多く見受けられました。その背景には、鎌倉幕府が制定した制度が大きく関わっていたものと考えられます。当時鎌倉方の武士たちには「御家人役」と呼ばれる軍役が課せられていました。いわゆる幕府への「ご奉公」です。その一つに鎌倉幕府の警護に当たる「番役」があり、地方の御家人たちも定期的に鎌倉への参集が義務付けられていたのです。そのため様々な国に領土を持つ武士たちも、みな鎌倉の地で大聖人の教えに触れることとなるのです。

その中には、下総国周辺の曽谷氏、富木氏、太田氏や道野辺氏、そして大野氏、また安房国の工藤氏がいました。更には駿河の南条氏や鎌倉武士の四条氏、宿屋入道、北条弥源太等々、みな様々な出身の者たちが大聖人に入信していくのです。

弟子檀越との結縁

冒頭でご紹介した武蔵国池上宗仲(大夫志殿)氏も、その一人とされます。通説によれば、宗仲氏は当初建長寺の大覚禅師に師事して、熱心に禅の教えを学んだとされます。後に松葉ヶ谷に風変わりな僧がいて「禅は天魔の業也」と痛烈に避難をしていると耳にし、「どれ一つ話しを聞いてやろう」と、物見遊山で大聖人のもとを訪れたといわれています。そこで初めて大聖人の深い教えに触れ、感銘を受けて入信したとされるのです。

しかし、以前にご紹介した大聖人の一番弟子ともいえる日昭上人は、父左衛門尉康光の義理の弟にあたる人物です。つまり池上宗仲、宗長兄弟は甥子となります。そうした間柄を考えますと、果たしてここまで全く面識もなく、ただ偶然大聖人と知り合ったとは、些か考えにくい気もいたしますが・・・。あくまで一説によればというお話ですが、池上家との結縁はもっと以前に遡るのではないかとの見解もあるようで、残念ながら今となっては最早それを知る術はありません。

いずれにせよ出会いの前後は関係なく、池上兄弟は大聖人に深く帰依した大切な檀越方ですので、次回もそのお人柄をご紹介したいと思います。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成31年4月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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