日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#079
ツトム君は仏様
初めての笑顔

日蓮宗全国霊断師会連合会副会長
愛知県霊断師会会長
愛知県名古屋市名東区 本成寺聖徒団団長
天野行淳

三十年ほど前、境内に枝垂れ桜の苗木を植えました。すくすくと成長し、やがて花を咲かせるようになりました。多くの方が春になると桜の花を楽しみながら参詣に訪れるようになりました。枝垂れ桜は、来山者の憩いとしての大切な役目を担うようになったのでした。

ツトム君は仏様初めての笑顔

ところが数年後、残念なことに枝垂れ桜は枯れてしまい、切り株だけが境内に残ってしまいました。

数年後の夏の夕方のことです。桜の切り株をじっと見つめている五十歳くらいの男性の姿が境内にありました。翌日も男性は桜の切り株を見つめていました。

不思議に思い、声を掛けてみますとポツポツと身の上話を始めました。

お名前は水野さん(仮名)。ご家族は奥様と息子のツトム君(仮名)の三人暮らし。東京の大学で経営学の教授をされており、夏休みという事で実家のある名古屋に来られていたところ、散歩の途中で聞こえたお寺の太鼓の音に誘われて山門をくぐったという事でした。

水野さんは学生時代から楽しく学問と向き合ってこられました。人の悩みは学問で解決できる。学問は素晴らしい。学問は楽しいと心の底から思う日々でした。

ご結婚されて数年後、念願だった赤ちゃんを授かりました。ツトムくんです。大喜びの水野さん夫婦でした。

しかしツトム君、生後二ヶ月くらいから泣いてばかりです。また首の座りが他の子と比べて悪い。寝返りをうたない!うてない?

病院で検査を受けたところ、結果は脳性麻痺と診断され、年に二、三回の母子入院を繰り返すなど大変な治療が始まりました。

今、ツトム君は十七歳。成長しても足腰が立ちません。左手が不自由です。中でも水野さん夫婦を最も悲しませたのが、ツトム君の顔に全く表情が無い事でした。

水野さんはそのころ、自身の心のうちに芽生えた嫌な思い、いけない思いに苦しんでいました。自分は学問を通じて、多くの人の役に立ってきたはずだ。それなのに、こんなにも手のかかる子供を授かってしまった。子供は成長し自立していき、やがて親を支えてくれるはずが、ツトム君は年を重ね身体が大きくなるにつれ手間が大きくなっている。足腰が立たないために水野さんはツトム君を抱き上げなければならない場面が度々。おかげで腰を痛めたことが何度も。表情が無いのは脳性麻痺のため向上心が無いのであろうと思い込んでいました。

いけない思いを拭い去らねばと思い込んでいた時に太鼓の音に導かれてお寺に来てみると桜の切り株が目に付きました。切り株だけの桜とツトム君が重なって見えたそうです。

水野さんの胸の内を聞き、心穏やかになるように倶生神月守を授与し、一緒にお題目を唱えました。さらに水野さんはもう一体を切り株に供え夏休み中の日参が始まりました。

トム君は仏様初めての笑顔

夏休みも終わりが近づいた日、水野さんは浮き立つような笑顔でお参り来られました。

毎日お参りをし、倶生神月守を家族皆で着帯したところ、ツトム君に対する思いが大きく変わったのです。

表情が無いのは、向上心が無いのでなく、無駄な欲が無い、不自由な身体でも満足しているのだ。

ツトム君は自身の身を犠牲にしてまでも満足できる生活の手本を示す仏様だと思えるようになったのです。

するとツトム君の世話は仏様へのご給仕だと思えた時、ツトム君は生まれて初めて笑顔を見せてくれたのです。

人生から苦しみを取り除くのは学問でもできます。根本を解決するのは心持ち。正しい祈りは心の持ち様を改善できるのです。

※この記事は、教誌よろこび令和3年12月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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