日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
法華経のお話 法華経のお話

#071
無量義経の段その二十九

大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

1.結婚して姓が変わってもいいよう、記念体育館はサオリーナと名づけたい
(吉田沙保里)

トヨトミノ秀吉こと羽柴藤吉郎豊臣朝臣(とよとみのあそん)秀吉は、苗字が羽柴で姓は豊臣。で、本当の名前が秀吉となります。

秀吉と言えば、まるでピチュー→ピカチュウ→ライチュウの如く、木下→羽柴→豊臣と華麗なる三段進化で出世して行ったと思われがちですけど、実は苗字が変わったのは木下から羽柴の一回だけ。

豊臣の姓を帝から賜っても、羽柴が苗字であることには変わりないんですね。

秀...サル

かように、関白となるため秀吉は新たなる姓を賜り、家康は幕府を開くために武家のスーパーブランドたる源の出身(すいません!前回、家康は最初、平姓だったというのは勘違いでした!ホントは最初、公家のスーパーブランドたる藤原家を名乗ってたんです。で、それをあっさりないことにして)だと主張したわけなんです(信長は行く行くどうしたかったんでしょうね)。

で、今となっては信長と家康は苗字とセットで、秀吉は姓とセットと、多少の違いはあっても、三人揃っておくり名ではなく、存命中の本当の名前、本名で名を遺しちゃったわけなんですね。

2.藤きちろう、れんれんふそくのむね申のよし、こん五たうたんくせ事候か、いつかたをあひたつね、それさまほとのハ、又ニたひ、かのはげねすみあひもとめかたきあひた
(織田信長)

されどされど、信長・秀吉・家康は、たしかに本人自ら使用していた、まぎれもなき本名ではあるんですが、(再三しつこく言ってますように)実はこの本名というもの、みだりに他人が口にすべきもんじゃ~なかったんですね。

ですから秀吉が「信長様!」と言うのは勿論のこと、信長重臣の面々が「秀吉殿」と呼ぶことすら、ちょっとできない相談なんですね。

もちろん上司たる信長だって、「サル!」とか「ハゲネズミ!」とはよう言うても、人前で「秀吉!」とはそうそう頻繁には(多分)言わなかったはず。

そう、本名とは滅多なことでは口にするのを忌むべきもの、忌むべき名、諱(いみな)だったんです。

3.上総殿か、入洛めでたし
(九条植通)

お題目「南無妙法蓮華経」のあの絶大なるパワーの根拠

通常、本名(諱)を他人が口にすることは、厳重なる禁句。

で、代わりに口にされるのが、まずは字(あざな)となります。

織田三郎平朝臣信長であれば、「三郎」の部分。羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉であれば、「藤吉郎」の部分。徳川次郎三郎源朝臣家康であれば、「次郎三郎」の部分が字になります。

家族だけなどの親しい間柄や、プライベートな場でなら、この字で呼び合えばいいわけです。

さらに、彼らお偉いさんの場合なら、通常は役職名で呼ばれることになります。

これは当然、役職が変われば呼び方も変わるわけですから、信長なら「織田上総介」に「織田弾張忠」等を経て、「右府様」あるいは「上様」へ。

秀吉なら「羽柴筑前守」から始まって、遂には「太閣殿下」まで。家康なら「三河守」から艱難辛苦の末に「御所様」となり、更に「大御所様」とクラスチェンジしていったわけです。

現代人としては、そんな名前がクルクル変わって面倒じゃん!と思ってしまうところですが、どんなに面倒であっても、古の人々は本当の名を口にすることを、自他共に憚りました。

そう、昔の人は知っていたのです、名前というものの、本当の意味、神秘なる本質を・・・。

名前本来の意味、実はそれこそが、お題目「南無妙法蓮華経」のあの絶大なるパワーの根拠なのです・・・。

※この記事は、教誌よろこび平成26年2月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

塩入幹丈

元霊断院主任

福岡県妙立寺前住職

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