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  • 第63話 無量義経の段 その二十一

    第63話 無量義経の段 その二十一

    第63話 無量義経の段 その二十一

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

    1.人の話を聞くことにより、人生の八〇%は成功する(デール・カーネギー)

    無量義経 菩薩

    前回申しましたように、法華三部経の本編たる『妙法蓮華経』の第二章(ご存知方便品第二ですね)から第九章までは、菩薩様方のお休みタイム。

    いずれの菩薩様も、お釈迦様からお言葉をかけられるわけでなく、自ら質問するでもなく、ただただ黙して座しているのみ。法華経を拝聴するに徹されてるんですね。

    で、代わって活躍されるのが、いわゆる声聞(しょうもん)と呼ばれる属性の方々。

    声聞とは佛様のお声、つまり説法を聴聞する者という意味で、具体的には、お釈迦様と同時代、同じ印度の地に人として生を受け、ご縁あってお釈迦様のお弟子となった方々、お釈迦様の教団の方々を指します。

    2.どんなことだって、すべては未来の糧になる(永田永寿)

    『妙法蓮華経』は全八巻からなりますが、この内、第九章までで、なんと四巻の半分が占められてしまいます。

    しかも八巻全二十八章中、最もボリュームのある大長編と言えば、第三章(譬喩品第三)と第七章(化城喩品第七)。

    かように多くのスペースを割いてまでして、お釈迦様がお説きになったこと・・・。

    それこそは、「声聞の方々が成佛する」というお釈迦様よりの予言、つまり印度におけるお釈迦様のお弟子さんたちが、皆はるか未来の世において佛様となることが、師匠たるお釈迦さまによって解き明かされるのです。

    これぞ、お釈迦様からお弟子さんたちへの教化の総決算、お釈迦様御在世における教団活動の締め括りが説かれているわけです。

    3.かつて誰もが成し得なかった神への道。人類補完計画だよ(碇ゲンドウ)

    第九章まででお釈迦様の時代のことは補完されました。そこで次に問題となるのは、当然ポストお釈迦様。

    お釈迦様ご入滅(お亡くなりになること、つまり佛滅です)後に、迷える者たちをいかにして救うか、それこそが、お釈迦さまに残された最後にして最大の懸案事項だったのです。

    ゆえに、続く第十章(法師品第十)からは、一転してお釈迦様ご入滅後に、いかに法華経を伝えて弘めて行くかが、説かれることとなります。

    「佛、薬王に告げたまわく、又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」

    佛様の使いとして、迷える者たちを救い、導くことが菩薩の使命。

    我が身亡き後に法華経を伝えんがため、お釈迦さまが最初にお言葉をかけられた菩薩、栄えあるその一番手こそが、文殊菩薩・弥勒菩薩と並ぶ法華経三部経三大レギュラーのお一人、薬王菩薩その人だったのです・・・。

    4.俺がやると決めてやる、ただそれだけだ(伊藤開司)

    お釈迦様は薬王菩薩に直接語りかけることで、ポストお釈迦様の時代、すなわち正法・像法・末法の三時に法華経を流布(世に伝え弘めていくこと)すべきことを説いて行かれます。

    無量義経 末法

    そのお釈迦様の強き想いに最初に答えられるのも、やはり薬王菩薩。

    共に志を同じくする大楽説菩薩と声を揃えて、薬王菩薩は宣言されます。

    「唯願わくは世尊、以て慮いしたもうべからず。我等佛の滅後に於て当に此の経典を奉持し読誦し説きたてまつるべし。後の悪世の衆生は善根転た少くして増上慢多く、利供養を貧り、不善根を増し、解脱を遠離せん。教化すべきこと難しと雖も、我等当に大忍力を起して、此の経を読誦し持説し書写し、種々に供養して身命を惜まざるべし」

    この薬王菩薩たちの宣言が刺激となったのでしょう。他の菩薩様たち、さらには声聞の方々さえも、佛滅後の己が処し方を宣言されるわけですが、実はその過程で、ある重大な課題が浮き彫りとなってきます。

    そうです、正法・像法・末法三時のうち、最も恐るべき時代、絶望と恐怖の末法万年の時代に、「いったい誰が法華経を流布して行くのか」という問題です・・・。

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.人の話を聞くことにより、人生の八〇%は成功する…

  • 第60話 諸国への遊学 その十三

    第60話 諸国への遊学 その十三

    第60話 諸国への遊学 その十三

    上宮太子は、守屋の逆を誅して寺塔(四天王寺)の構えをなす。しかしより来、上一人より下万民に至るまで、仏像を崇め経巻を専にす。しかればすなわち、叡山、南都、園城、東寺、四海、一州、五畿、七道、佛経星のごとく羅り、堂宇雲のごとく布けり

    立正安国論

     蓮長(れんちょう)はまず泉州、今で言うところの大阪方面へ足を伸ばしたとされています。和泉では懇意であった江川太郎左衛門吉久邸に数日の間滞在し、そこで法要を行ったとも、また教えを説いて教化したとも言われています。

     この江川太郎左衛門は歴史上なかなかの有名人(当時の当主本人ではありませんが)で、後に豆州韮山で名代官として「太郎左衛門」の名と共に代々その職を世襲していきます。殊に江戸時代の英龍、英敏親子は積極的に西洋の学問を学び、世界文化遺産にも登録されている韮山反射炉を建造したことでその名が知られています。また意外なことですが、日本で初めてパンを焼いたとされるのも、実は太郎左衛門英龍なのです。

     さて時代を戻しますが、実は日蓮大聖人と江川太郎左衛門との関係は、今一つ釈然としないものがあります。この江川太郎左衛門なる人物、確かに後に伊豆の国にて大聖人の弟子として日久となったとされ、現在の静岡県にはその所縁のお寺である由緒寺院本立寺が建立されていますので、その存在は明らかだと思います。しかし大聖人との出会いは、この時期であったとも、あるいは伊豆ご流罪の折であったとも言われています。また出家し日久となったのも吉久であったり英久であったり、こちらもまた諸説様々なのです。

     江川太郎左衛門の一門は、その源流が大和源氏を名のるほどの名門ですので、当然ながら代々の家系は史実としてある程度明らかになっています。その家歴によりますと、当家が伊豆の国へ移住したのは平安末期とされ、頼朝の挙兵にも参加したと言われています。そうなりますと、実は蓮長が大阪にいた頃には、既に太郎左衛門は当地には居住していないこととなってしまうのです。それならば、移住先である伊豆で出会ったとする方が、やはり信憑性は高くなりますでしょうか。

     もっと言ってしまえば、当家の氏は当初「宇野」姓であり、「江川」姓を名のるのは何と室町時代だとされるのです。それでは鎌倉中期に蓮長が出会った江川太郎左衛門はいったい誰だったのでしょうか。ここまで追求すると身も蓋もなくなってしまいますので、もうこの辺にしておきましょう。

     いずれにせよ八百年近くも昔の人物ですし、何と言っても代々の当主は江川太郎左衛門までが同名ですので、色々な人物が混同してしまうのも致し方ないことかもしれませんね。

     と言ったところで、本当は冒頭の御書に上げた「四天王寺」についてふれたかったのですが、ついつい江川家の謎を追っているうちに字数も一杯になってしまいましたので、それはまた次回に致しましょう。

    イラスト 小川けんいち

    ※この記事は、教誌よろこび平成28年9月号に掲載された記事です。

    上宮太子は、守屋の逆を誅して寺塔(四天王寺)の構えをなす。しかしより来、上一人より下万民に至るまで、仏像を崇め…

  • 第62話 無量義経の段 その二十

    第62話 無量義経の段 その二十

    第62話 無量義経の段 その二十

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

    1.みんなちがって、みんないい(金子みすず)

    法華経には実に多彩なる菩薩様たちが登場されます。

    説法の場にはじめから居られる菩薩たち。説法の途中途中に、あるいは地の下、あるいは遥か空の彼方より、華麗に登場される菩薩たち。さらには説法の中で語られる、果てしなき過去や未来の菩薩たち・・・。

    この内、説法の中で語られる過去未来の菩薩たちを除いて、実際にお釈迦様の法華経説法の場で活躍された主たる菩薩たちを、各章(品と言います)ごとに、ザックリと見てみますと、

    無量義経
    全三章に渡って、大荘厳(だいしょうごん)菩薩がメイン。

    無量義経 大荘厳菩薩
    第一文殊(もんじゅ)菩薩と弥勒(みろく)菩薩 (第二から第九までは菩薩方はお休みタイム)
    第十薬王(やくおう)菩薩
    第十一大楽説(だいぎょうせつ)菩薩
    第十二智積(ちしゃく)菩薩と文殊菩薩
    第十三薬王菩薩と大楽説菩薩
    第十四文殊菩薩
    第十五上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩と弥勒菩薩
    第十六弥勒菩薩
    第十七弥勒菩薩
    第十八弥勒菩薩
    第十九常精進(じょうしょうじん)菩薩
    第二十得大勢(とくだいせい)菩薩(勢至(せいし)菩薩)
    第二十一上行菩薩と文殊菩薩
    第二十二上行菩薩
    第二十三宿王華(しゅくおうけ)菩薩と薬王菩薩
    第二十四妙音(みょうおん)菩薩と文殊菩薩、華徳(けとく)菩薩
    第二十五観世音(かんぜおん)菩薩と無尽意(むじんに)菩薩、持地(じじ)菩薩(地蔵(じぞう)菩薩)
    第二十六薬王菩薩と勇施(ゆうぜ)菩薩
    第二十七薬王菩薩と薬上(やくじょう)菩薩、華徳菩薩、妙音菩薩
    第二十八普賢(ふげん)菩薩と弥勒菩薩

    観普賢経(かんふげんぎょう)
    普賢菩薩と弥勒菩薩

    2.オレはチームの主役でなくていい(魚住純)

    無量義経

    こうして見ていけば一目瞭然。もっとも頻繁に登場される、いわば法華経のレギュラーと言えるのは、文殊菩薩、弥勒菩薩、薬王菩薩のお三方でしょう。

    ただし文殊・弥勒両菩薩と、薬王菩薩では、法華経における立場は大きく違います。

    文殊菩薩と弥勒菩薩は、法華経における言わば狂言回し。要所要所で大事な質問をしたり、お釈迦様のお話の聞き手を務めたり、更に更にはお釈迦様の瞑想中、代わって二人で問答をしたり等々と、まさに八面六臂の活躍で法華経説法のステージを進行させていきます。

    進行役に徹する故でしょう、最多登場でありなが、お二人には、冠(かんむり)番組としての主役の章はありません。

    最初から参加しているものの、ずっと一聴衆で通した観世音菩薩には「観世音菩薩普門品第二十五」。

    法華経の説法の最後の最後、土壇場で馳せ参じる普賢菩薩には「普賢菩薩勧発品第二十八」と勧普賢経。

    同じ菩薩界のビックネームでも、法華経では出番の少ないこっちのお二方の方が、名前を全面に出して主役をはっている(普賢菩薩に至っては、まるまる一巻のお経まで!)のとでは大違いですね。

    3.立った場所がその人にとってのセンター(大島優子)

    内 文殊・弥勒の両菩薩が、あくまで狂言回しに徹しておられるのは、そのお立場ゆえでしょうか。

    本佛お釈迦様の直弟子たる、上行菩薩等の地涌(じゆ)の菩薩たちは別として、通常の菩薩たちの中で唯一、法華経の説法が始まる前から、既にその法華経の存在を知っているのが、文殊菩薩。

    なんと、文殊菩薩は遥か超過去の前世において、妙法蓮華経を聴聞したことを覚えているという、いわば別格的存在なのです。法華経説法の前半で、いつのまにやら霊鷲山を一人離脱し、海底の竜宮城にて(まだ説き終わっていないはずの)法華経を説いたという離れ業を見せるのも、文殊菩薩なればこそですね。

    一方の弥勒菩薩は、未来佛となるべき菩薩。五十六億七千萬年後の未来、身の丈千尺(三百三メートル)という大巨人(「進撃の巨人」も真青ですな)として、地上に降臨されるお方です。

    お釈迦様の世から正法・像法、そして末法という一サイクルのさらにその先、次なるサイクルにてセンターを務めるわけですから、やはり他の菩薩方とは立場の違うお方と言えるでしょうね。

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.みんなちがって、みんないい(金子みすず) 法華…

  • 第59話 諸国への遊学 その十二

    第59話 諸国への遊学 その十二

    第59話 諸国への遊学 その十二

    西域等の書ども開見候へば、五天竺の諸国寺寺の本尊皆しるし尽くして渡す。また漢土より日本に渡る聖人、日域より漢土へ入る賢者等のしるされて候ふ寺寺の御本尊、皆かんがへ尽くし、日本国最初の寺元興寺、四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本紀と申すふみより始めて多くの日記にのこりなく註して候へば、その寺寺の御本尊またかくれなし

    新尼御前御返事

    真言密教の霊場金剛峯寺での研鑽を終え高野山を後にした蓮長(れんちょう)ですが、前回もお話しした通りすぐに比叡山へ帰山することなく、しばらく近隣諸国を遊学したとされています。

    日蓮聖人の歩まれた道 蓮長 遊学

    比叡山のある近江国(現在の滋賀県)と高野山のある紀伊国(現在の和歌山県)は、今ならば公共交通や車を利用すればわけもなく移動可能な距離ですが、何分にも当時はすべて徒歩での移動になります。と聞けば、弥次喜多道中のような宿場を継いでの穏やかな旅を想像されるかもしれませんが、それはずっと時代を下った江戸時代のお話です。鎌倉期ではまだまだ街道もそれ程整備されているとはいえず、場合によっては険しい山越えもしなければなりません。

    そう考えると、せっかく高野山まで足を運んだのです、途中には貴族や寺社など多数の荘園で栄える和泉国(現在の大阪)もありますので、近隣を巡りながら近江まで戻ろうと考えるのは、当然の選択といえましょう。

    冒頭のご文章を拝見すると、大聖人は経典のみならず、先師たちの論書、さらには国内外の史記や日記に至るまで、具(つぶさ)に目を通していたことが伺えます。比叡山や高野山といった大寺院といえども、これらすべての書物を所蔵していたとは考えられません。おそらくはこうした“寄り道”の際に、主要な寺院あるいは人物を訪ねて、これらの貴重な書物を閲覧したと思われます。

    とはいっても、そこは先立つものの心配が無ければのお話。高野山までの旅路も大変であるのに、さらに寄り道をするとなれば、かなりの路銀(ろぎん)が必要であったと思われます。

    日蓮聖人の歩まれた道 遊学

    まずは故郷の領家の尼よりの援助が考えられますが、それだけで賄うのは難しいかもしれません。鎌倉に幕府が開かれたといっても、まだまだ関東は未開の地です。ましてや房総半島の突端に住む田舎領主の後家尼ですし、当時は幕府より派遣された地頭職の東条景信にかなり虐げられていた状況です。蓮長の思うが儘に遊学をさせるだけの援助を行うには、領家の尼一人の財力では些か厳しいものがあったのではないでしょうか。

    そうなりますと、その他にも蓮長に援助を行っていた者たちの存在が浮かび上がってきます。残念ながらそれが誰であるのかは、大聖人が書き残されたご文章からではわかりません。あるいは後に大檀越となったとされる方々が、“何らかの理由があって”既に蓮長が幼き頃より見守っていたとの驚きの説もあります。ですがそれは謎のまま、ということにしておきましょう。

    西域等の書ども開見候へば、五天竺の諸国寺寺の本尊皆しるし尽くして渡す。また漢土より日本に渡る聖人、日域より漢土…

  • 第55回 千振じいちゃん

    第55回 千振じいちゃん

    第55回 千振じいちゃん

    霊断院弘宣局 教宣部長
    宮崎県 龍雲寺聖徒団長
    吉田憲由

    我々の人生は、縁の連なりです。方便品第二には「仏種は縁に従って起こると知しめす」と説かれています。

    時に辛い縁も、悲しい縁も、楽しい縁も、全ての縁は、仏に導くための「有り難い仏縁」なのであります。その時悟れる縁もあれば、「時薬」として時がたって気づけるご縁もあります。

    その中でも苦い御縁はなかなか受け入れることができないものです。苦い御縁というと、私はいつもあの苦い苦い「千振のじいちゃん」を思い出します。私は「じいちゃん子」でじいちゃんの椅子の隣にはいつも蓋付き湯飲みに入った千振茶が置かれていました。

    いたずらっ子だった私が何か悪さをする度に「こら憲由!なん悪さしよっとか!」と罰としてその千振茶を呑まされる。それが苦いのなんのってもんじゃない、妹を泣かした!障子に穴を空けた!掛け軸に落書きをした!とその度に、苦い苦い千振茶を呑まされていました。「また憲由は悪さをしてから~南無妙法蓮華経 三回唱えて千振り茶飲め!」と、しかられ、鼻を摘んできゅうーっと!正に苦い思い出でございます。

    じいちゃんの二十七回忌の法事があった時のこと。お膳をガツガツ食べる私を見て、九十五歳になるばあちゃんが「憲由あんた、お腹はなんともないね?」「ん!なんとも無いよ!なんでね!」「あんたは小さい頃はお腹が弱く弱くて、なんとかこの子のお腹が強くならんかねーと、じいちゃんが考えに考えて胃腸の薬である千振り茶を呑ませよったとよ!その食べっぷりを見て、じいちゃんが喜んじょるわ!」と・・・私が悪さをした罰だ罰だと思っていた千振茶は実は罰ではなかった・・・実は、私の体を気遣って飲ませてくれていた千振茶であったことを知り、涙が溢れて止まりませんでした。祖父の想い、優しさはもっともっと深く温かいものでありました。二十七年の時を超えて頂く「時薬」もあります。

    御本仏様は『如来寿量品第十六』に「是の好き良薬を 今留めて此におく 汝取って服すべし 差じと憂うることなかれ」と、お示し下さっております。末法に生きる我々を心配されて時薬として是好良薬の「お題目」を残してくださいました。しかし、その有難い良薬を自分で取って服すことが大切なことなのです。その為に我々は「俱生神月守」を着帯し「九識霊断法」の指導によってより深く信仰に入り、お題目の良薬を自らいただくのです。

    どうか全国の聖徒の皆様、人生には、色々なことがありますが、ご本仏様はその人が乗り越えていけない試練は与えておりません。一人では乗り越えていけないからみんなで力を合わせて一緒に乗り越えていくのです。「良薬口に苦し」みんなでお題目を共に唱えて唱えて唱え続けて、令和の時代をみんなで生きて参りましょう。

    霊断院弘宣局 教宣部長宮崎県 龍雲寺聖徒団長吉田憲由 我々の人生は、縁の連なりです。方便品第二には「仏種は縁に…

  • 第61話 無量義経の段 その十九

    第61話 無量義経の段 その十九

    第61話 無量義経の段 その十九

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

    1.繁栄の世に骨董を集め、混乱の世に黄金を蓄え、世の末には修行を急げ
    (震旦の格言)

    お釈迦様がご入滅(お亡くなりになること)されて二千年過ぎれば、世は末法となってしまう・・・。

    それはお経に説かれた恐るべき予言!時の流れと共にそれは来る!必ずやって来る!

    避けることもできず、この地上にいる限り、どこにも逃げ場はありません。

    ことに末法が刻一刻と迫っていた平安時代。人々のおののき、恐れようと言ったら、あの一九七〇年代、ノストラダムスの大予言にビビっていた小中学生のおののきの何千何万倍であったことでしょう。

    なにしろ当時はお念仏を唱えながら、夕陽と共に海や湖に沈んでいくことが一大ブームだったわけですから、その絶望感はもはや異常!のレベルだったのです。

    ここまで忌み嫌われ、恐れられてきた末法時代。末法になればナニがドウなると言うのでしょうか?

    2.東に黒い太陽の昇るとき、ホピは雲母の家に向かい、世界は滅びに向かう
    (ホビ族の予言)

    末法になれば、まず人と人の繋がりが壊れてきます。主人と部下、親と子、兄と弟等々と、家族や身内、仲間や同じ組織内で相争うことが増えていくのです。

    知っている者同士が争うぐらいですから、当然、赤の他人同士の争いも彼方此方で発生します。

    争いある処、災いも尽きません。恐ろしい疫病が流行し、天候が不順となり、暴風や強雨等が頻発します。そしてやがては天体の運行も異常になっていきます。

    遂には内乱が起き、さらに他国が侵略を開始します。災難が充満してくると、やがて太陽が二つ三つ等々と幾つも出現!?します。

    草木は枯れ果て、川も大河も干上がります。大地はあたかも炭のごとく、海もまた油のごとく燃えあがり、巨大な炎は全てを包みこんでいきます・・・・。

    3.大きな星が七日間燃えるだろう。雲が二つの太陽を出現させるだろう
    (ノストラダムス)

    内乱侵略までは解ります。でも太陽が幾つも出て来るというのは、如何なる現象でしょうか?

    ○○勉さん(ガハハおじさんじゃないよ)なら、原水爆だ!核戦争だ!と断言しちゃうかもしれません。

    ともかくも末法になれば、まず人の心が乱れ、災害が充満し、ますます人の心が荒廃することで大きな争いが続き、やがて何か恐るべきことが起きて、天も地も海も炎に包まれてしまうわけです。

    ここでポイントとなるのが、「人の心」です。

    「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清し」(一生成仏抄)

    と、大聖人もご教示される通り、この世の在り方は、すべて私たちの心の反映なのです。心が乱れることが、此の世の衰亡に繋がるわけです。

    では、その心が乱れる原因は何か?

    それは正しい教えを知らない、無知にあります。末法とは正しい教えが廃れる時代。正しい教えを知らぬ故に人の心は乱れ、世の中全てが乱れるわけです。

    だからこそ、大聖人は当時続発した災害への対策として、「立正安国論」を発表されたんですね。

    4.主はかしこより来たりて、生ける者と死ねる者を審きたまわん
    (使徒信条)

    終末が来るよと預言したイエスが、やがて天使を率いて自ら世界を滅ぼしにやって来られると説くのがキリスト教です。

    対して、末法が来るよと予言した上で、その末法での救いを説くのが佛教なのです。

    正しい教えが廃れた時代にこそ、届けるべき真実の教え。それが法華経、お題目です。

    その法華経、お題目を末法に説かれる方こそが、ご本佛お釈迦様直属のお弟子である、上行菩薩なのです。

    しかしお釈迦様の時代と、上行菩薩が活動すべき時代には、二千年以上の開きがあります。当然その間には、お二方を繋ぐ仲立ちが必要です。

    その仲立ちを務められたお方、その御名を薬王菩薩。そう、あの天台大師、そして伝教大師の前世となる菩薩様というわけです・・・。

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.繁栄の世に骨董を集め、混乱の世に黄金を蓄え、世…

  • 第58話 諸国への遊学 その十一

    第58話 諸国への遊学 その十一

    第58話 諸国への遊学 その十一

    有は秘密真言の教によりて五瓶の水を灑ぎ、有は坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、もしくは七鬼神の号を書して千門に押し、もしくは五大力の形を図して万戸に懸け、もしくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、もしくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行う。しかりといえども、ただ肝胆を摧くのみにしていよいよ飢疫逼る

    立正安国論
    日蓮聖人の歩まれた道 蓮長 高野山 遊学

    蓮長(れんちょう)が高野山に滞在しておよそ一年の歳月が過ぎようとしていました。その間、碩学と呼ばれる諸師よりの秘伝に耳を傾け、山内に確護される大陸伝来の経釈論をつぶさに紐解き続けたことでしょう。山籠はわずかな期間ではありますが、人並み外れた蓮長の頭脳と、寸暇を惜しみ学び続けるその熱意をもってすれば、真言の秘奥を学び尽くすこととて決して不可能ではありません。これをもって蓮長は此度の遊学の大きな目的の一つを遂げ、いよいよこの山を後にするのでした。

    そして立派な真言密教の高僧となって・・・、とは勿論まいりません。既に比叡山にて深く会通した天台の法華経教義と、真言密教の教義との大きな相違が蓮長の中ではっきりとした結論として導き出されているのです。そして我が身に課せられた佛(ぶっ)勅(ちょく)とは何か、今までおぼろげであったその姿も、確たるものとして蓮長の眼には映っていたことでしょう。

    日蓮聖人の歩まれた道 南無妙法蓮華経

    その使命を果たすためには、蓮長が辿り着いた真実の教えをいかにして末代の凡夫に伝えるべきか、そして如何なる手段をもって滅び行くこの日本国を救うべきであろうか。

    十数年に亘る遊学の日々も残すところわずか、帰郷までの残された日々の中で、蓮長が導き出さなければならない答えは、その一点のみとなりました。

    さて高野山を離れた蓮長は、すぐに比叡山への帰山はせずに、和泉国(現在の大阪府南西部)へ立ち寄り、更には京都まで足を伸ばしたとされています。

    そのあたりのお話は、また後ほどご紹介致しましょう。

    有は秘密真言の教によりて五瓶の水を灑ぎ、有は坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、もしくは七鬼神の号を書して…

  • 第60話 無量義経の段 その十八

    第60話 無量義経の段 その十八

    第60話 無量義経の段 その十八

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

    1.「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」(マルティン・ルター)

    ノストラダムスの大予言以来、久しぶりの大ネタとなった二〇一二年十二月二十二・二十三日のマヤ歴大予言も、(当然ながら)なにごともなく過ぎ去ってしまいました・・・。

    されど安心するのも束の間、今後のスケジュールとしては、二〇一五年マヤ歴再解釈の滅亡予言、二〇一七年ダニエル書(旧約聖書の一部)の終末預言、二〇二〇年マヤ・インド歴合体の終末予言、二〇三〇年聖徳太子「未来記」(偽書ですけど)の滅亡予言、二〇三九年アドルフヒトラーの旧人類消滅予言、二〇六〇年アイザック・ニュートンの滅亡予言等々と、まさに息つく暇もない滅亡のラッシュアワー状態・・・。

    2.「時間が過ぎ去っていくのではない。われわれが過ぎ去っていくのだ」

    無量義経

    「なんで二十一世紀は滅亡のテンコ盛りなんだ!」と、思わず叫んでしまうところでしょうが、実はこれ、何も今世紀だけの話ではありません。もともと人類の歴史に、滅亡予言は付きものなのです。

    “浜の真砂は尽きるとも”世に滅亡予言の種は尽きないもので、既に期限切れになった滅亡予言の数などは、とてもとても数えられるもんじゃありません。

    そんな無数の滅亡予言の元ネタとも言うべき、最大最強の予言と言えるのが、皆さん誰もが御存知の、新約聖書の四つの福音書なのです。

    そう、キリスト教とはそもそも、ナザレイエスの言葉「悔い改めよ、天の国は近づいた」を信じ、終末の時に備えるための宗教。いわば二千年を超えて滅亡の日を待っているわけです。

    3.「チャンスは扉を二度叩かない」(ニコラス・シャンフォール)

    キリスト教(と同じくユダヤ教を母胎とする)イスラム教においては、世界は唯一神によって創造され、やがて唯一神によって滅ぼされるもの。スタートして只ひたすらにゴールにむかっていく、いわば一回限りのもの。ゆえに人間の人生もただ一回だけの勝負。

    キリスト教(またはイスラム教)から観て、正しいといえる人生を送れたら、滅亡後の栄光が約束されますが、しくじったら最後、永遠の地獄行きが確定します。

    まさに一度のチャンスで勝ち組負け組を決めるシビアな教え。当然、キリスト教を知らない人、キリスト教以前の時代の人は、もうそれだけでアウトなわけです。(ゆえに紀元前に存在した立派な人、徳のある人たちはどうなるのか、神父さんたちの間でも喧々諤々だったそうです)

    4.「ドアが一つ閉まると、もう一つが開く」(ヘレン・ケラー)

    無量義経

    一発勝負のキリスト・イスラム教に対し、輪廻転生を説く佛教は、何度でもチャンスが貰える。再チャレンジ、負け組救済の教えと言えるでしょう。

    命が生死を繰り返すように、宇宙もまた、繰り返していくと考えます。同じ下降史観であっても、キリスト教が宇宙は創造から滅亡へと、ただ一直線なのに対し、佛教は誕生・発展・衰退・滅亡を一サイクル(四劫)とし、これを無限に繰り返していくと説くのです。

    しかもその一サイクルごとに、三千人の佛さまが順次に降臨されるそうです。

    佛さまが降臨されている時代は佛の世。その佛さまがご入滅(お亡くなりになること)された次の日から、千年間は佛法が正しく伝わる時代(正法)、次に教えが形骸化する時代が千年(像法)、そして教えが廃れ、世が乱れた時代が万年(末法)と、段々に下降していき、その果てにまた、次なる佛さまが登場されて、リセットされるというわけです。

    そして現在、平成二十五年は西暦(ナザレのイエス誕生から)では二〇一五年ですが、佛紀(お釈迦さまが入滅されてから)では既に二九六二年!そう、まさに末法のド真ん中なわけです・・・。

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日私はリ…

  • 第57話 諸国への遊学 その十

    第57話 諸国への遊学 その十

    第57話 諸国への遊学 その十

    華厳宗と真言宗とは本は権経権宗なり。善無畏三蔵、金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとて自宗の肝心とし、その上に印と真言とを加て超過の心ををこす。その子細をしらぬ学者等は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう

    開目鈔かいもくしょう
    日蓮聖人の歩まれた道 天台大師 智顗

    蓮長(れんちょう)が高野山を訪れた翌年の宝治三※建長元(一二四九)年、高野山の高僧である道範が帰山をします。道範は院派と分裂した後の本地(金剛峯寺)派を牽引し、「高野の八傑」と称えられた程の鎌倉時代を代表する学匠でした。寛元元(一二四三)年、道範は金剛峯寺と伝法院の争いに巻き込まれ、伝法院焼き討ちの責任を問われて隠岐へ流罪となってしまいます。そして六年間の配流の後、罪を赦免され高野山への帰山となったのでした。

    道範は金剛峯寺派の古義真言教義を継承しつつ、自身が学んだ様々な思想を加味して、独自の教義を確立させていきました。その特徴の一つは、古義真言にも見られる「本地身説」の提唱と発展です。真言の教義で説くところの「本地(すべての事象の大本)」とは大日如来を指しますが、その本地(大日如来)はこの宇宙新羅万象の本地であり、そこから生まれる現象世界は、悉く大日如来と同一であるとする「不二門」の思想を展開します。

    日蓮聖人の歩まれた道 道範

    教学を学ばれている方ならば、すぐにピンと来たかも知れません。この思想は、天台教義の骨子ともいえ、後に日蓮大聖人もご自身の教義の中で最も大切にされた「一念三千」の法門と酷似しているのです。 但しその成立には、天地ほどの隔たりがありました。天台大師の提唱した「一念三千」の教義は、『法華経』を拠り所として、その経文に確かな理論の裏付けがなされています。しかし、真言宗の主張する「本地身説」や二門」の教義は、彼の宗が拠り所とする『大日経』や『金剛頂経』等にはその裏付けとなる文が見受けられません。あるいは『華厳経』の「心如工画師(心は巧みな絵師のようなもの)」などそれらしき文を上げて、そこに天台大師の法門を巧みに組み入れたと、同書にて大聖人は指摘されています。

    天台大師ご在世の頃は、『法華経』を拠り所とした「一念三千」の法門の前に、中国全土の誰もがひれ伏し、『法華経』が最も優れた教えであることを、否定出来る者は誰一人いませんでした。しかし時が経つにつれ、余りに難解な教義を受け継ぐ者は少なく、その威光も遂には輝きを失い、我が国の天台宗最高学府ともいえる比叡山ですら、真密を重んじる体たらくと成り下がってしまうのでした。

    華厳宗と真言宗とは本は権経権宗なり。善無畏三蔵、金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとて自宗の肝心とし、その上…

  • 第59話 無量義経の段 その十七

    第59話 無量義経の段 その十七

    第59話 無量義経の段 その十七

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

    1.若者は老人が馬鹿だと推測するしかないが、老人は若者が馬鹿であることを経験で知っている

    無量義経 伝教大師

    スタンフォード大学の遺伝学者によると、人類の知能の進化は二千年から六千年前にピークを迎え、以後は知的にも感情的にも劣る人間が増加しているのだそうです。

    だからなんでしょうか?

    「昔はよかった!」や「今の若いもんはなっとらん!」の嘆きは、いわば人類の歴史における定番のフレーズ。

    古代アッシリア帝国(今のイラクあたりです)の石碑や、古代エジプト王朝の残したパピルス紙には、「今の若い者には困った!」と載っているとかいないとか…。

    また、あの「プラトニック・ラブ」の語源(本人は妻帯者ですが)にして、アトランティス大陸伝説の言い出しっぺたる大哲学者プラトン(余談ながら、この方の本名はアリストクレス。実はプラトンとは、レスラーをしていた若き頃のあだ名だったそうです)も、「最近の若者は、何なんだ。このままだと、世の中どうなるんだ」と、弟子たちに愚痴っていたと伝えられています。

    2.黄金時代が現代であったためしはない

    そのプラトンのいたギリシアの神話によると、人間は黄金の種族から白銀の種族、そして青銅の種族(聖戦士ですな)と続いて来たと説きます。

    無量義経 プラトン

    クロノス(土星です)を長とする、古き巨神と共にいた黄金の人類たちは、皆が長命で争いもなく、神々に等しい平和な時代だったとされています(いわゆる黄金時代というわけです)。

    しかし、次の白銀の種族、さらに青銅の種族と代を重ねるほどに、人類のレベルは下げ止まりがない程に落ち込んでいき、ついには主神ゼウス(木星です)の怒りを買って、白銀の種族は地の底に沈められ、また青銅の種族は洪水に飲み込まれて滅ぼされたといいます。

    その後、神々に近い英雄の時代になって、一時的に盛り返したのも束の間、今の鋼鉄の種族は、今まで以上に堕落した人間ばかりだと、ギリシア神話は説いています。

    要するに、我々も必ず滅ぼされるんだよと教えているのですね。

    3.我々の後に大洪水あれ

    洪水で滅びる人類と言えば、あの有名な神話、ノアの方舟を思い出す方も多いことでしょう。

    最初の男女アダムとエヴァ=イブ(イスラム教ではアーダムとその妻)から増えに増えた人類は、その数に反比例するかのように堕落の道をたどり、遂には唯一神に選ばれたノア(イスラム教ではヌーフ)の家族と、彼らが集めた雌雄ひと組の動物たちを残し、後の人類は地上の全生物ごと洪水で殲滅されたというお話です。

    人類を滅ぼした後、唯一神は二度と洪水で人類を滅ぼさないと誓われ、虹を作ったと言われます(故に虹は神の証とされるそうです)。

    ただしこれは、あくまでも洪水で滅ぼさないというだけのこと、結局は天使(使徒)たちによって、世界が滅ぼされる日(審判の日)が来ると信じることが、熱き砂漠から興った唯一神を崇める諸宗教の核心なのです。

    そう、「世の中は悪い方に向かっていく」、あるいは「世界は滅亡に向かっている」という考え(下降史観とも言います)は、古代より綿々と人類が思い描いて来たことなんですね。

    そして我らが佛教もまた、下降史観を重視するのです。

    それがお馴染みの末法万年の時代、日蓮大聖人が末法の大導師たることは御存じの通りですね。

    実はその末法が始まる直前、平安の世において、ある重用な使命をもって登場された方こそが、比叡山の伝教大師だったわけです。

    はたしてその使命とは…。

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.若者は老人が馬鹿だと推測するしかないが、老人は…