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  • 第65回 シジュウカラの恩返し

    第65回 シジュウカラの恩返し

    長野県経蔵寺聖徒団団長
    霊断院教務部部員 霊断院講師
    望月龍賢

    平年より梅雨明けが少し遅く、朝から雨音の激しい七月下旬のある日のこと。クルマに乗り込み、さあ出かけようとアクセルを踏みこんだその時、駐車場のツツジの下に何やら小さな物体が動いているのが目にとまった。昨日、その辺りを掃除したときには何もいなかったはず。雨に濡れる心配よりも、好奇心が勝りクルマを降りて近くに寄ると、

    「わ!雛だ!」

    ツツジの蔭とはいえ、産毛がずぶ濡れになった雛が三羽。そのうち、一羽はもう動いていない。一羽は辛うじて生きている様子。元気そうな一羽が、クルマから目にとまった物体だ。ツツジの脇には電信柱。傘から顔を出して上を覗くも、巣らしきモノは見当たらない。

    「困ったな、もう行かなくちゃ。用事を済ませた後、まだいたら考えよう。」

    二時間後、雨脚は変わらない中、戻ってみると、ツツジの下には..。

    「まだ雛がいる。さすがに見過ごせないよな」

    二羽を拾い上げ、庫裏の軒下に。まずはずぶ濡れのカラダを拭いてあげる。

    さて、次は..。さあ困った。スマホを取り出しネットで、「雛 拾った」と検索してみる。検索結果をみて、驚いた。「野鳥の雛は拾わないでください」

    なんでも、親鳥が近くで見守っていて、拾ってしまうと誘拐救護に当たるのだとか。だから、もし拾ってしまったら、元の場所に戻してあげて下さいと。困ったからネットを調べたのに、さらに困ってしまった。雨はやむ気配はないし、親鳥らしき姿はない。そうこうしているうちに一羽は動かなくなってしまった。

    「うーん、やっぱり保護しよう」

    覚悟を決め、ホームセンターの鳥の飼育用品コーナーへ。鳥の餌と鳥の巣を購入。急いでもどり、まずは練り餌を作る。おそるおそるやってみると、食べる食べる。梅雨寒の一夜をなんとか乗り越え、元気な雛の「ぴよちゃん」は庫裡の裏手に居候することになった。

    「ピピピッ、ピピピピー」大きい鳴き声で餌をねだる、ぴよちゃん。三、四日経つと身体的な特徴も表れ、ぴよちゃんは、シジュウカラと判明。一週間経った頃には羽ばたき始め、居候用の鳥の巣から飛び出し始めた。ぴよちゃんが飼い犬に捕獲されそうになる事件が発生したため、鳥籠に移して、お寺の玄関先にお引っ越し。

    八月になり盛運祈願会の朝、エサをあげに鳥籠を覗くと、用意した鳥の餌ではない蛾が一匹。家人の誰も思い当たる節はなく、どうやら親鳥か仲間のシジュウカラが運んで来た様子。そういえば、お寺の玄関先に引っ越ししてから、ぴよちゃんが鳴くと、境内のあちこちでシジュウカラの鳴き声がしている。シジュウカラの鳴き声がしているなと思うと、ぴよちゃんも鳴いているのだ。

    盛運祈願会が始まり皆でお題目をお唱えしている最中、お祖師さまの御文章が頭に浮かびあがってきた。

    わが己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふところを仏とは云ふなり。たとへば籠の中の鳥なけば、空飛ぶ鳥のよばれて集まるがごとし。空飛ぶ鳥の集まれば、籠の中の鳥も出んとするがごとし。

    法華初心成仏抄

    私たちの心の中には「仏性」が備わり、私たちが南無妙法蓮華経と口に唱える事は、心の中の仏性を「呼び出す」ことであり、南無妙法蓮華経と呼びさえすれば「仏」(さとりの境地)も呼ばれて私たちに近寄ってくる。心の中から呼び出された仏性と、呼び寄せられた仏とは同質・全く同じものであるから、そこでひとつになることができる、すなわち、成仏することができ、そこは浄土となるというのだ。

    お祖師さまは「籠の中の鳥」の譬えを用いて我々一人一人が仏と一体になれるという道理をお示しなられた。鳥籠はわれわれの住むこの世界、籠の中の鳥は我々一人一人、鳴くとはお題目を唱えること、そして空は仏の世界。

    霞んでいた視界がパッと開けたような瞬間であった。お祖師さまのおっしゃることがストンと胸に落ちたのだ。何気なく読み過ごしていた譬喩が、鮮明にイメージできたのだ。それはぴよちゃんからの恩返しのように感じた。

    それから三日ほどして、籠の扉を開けた。一週間ほどぴよちゃんは仲間を従え餌を食べにやってきたが、お盆を境に姿を目にすることがなくなった。

    今年も梅雨の雨間にシジュウカラの鳴き声が響いている。倶生神月守を胸にお題目を唱えながら、去年の出来事を思い返す。

    長野県経蔵寺聖徒団団長霊断院教務部部員 霊断院講師望月龍賢 平年より梅雨明けが少し遅く、朝から雨音の激しい七月…

  • 第75話 清澄寺離山

    第75話 清澄寺離山

    第75話 清澄寺離山

    貴辺(浄顕房)は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして、生死をはなれさせ給うべし

    本尊問答鈔(ほんぞんもんどうしょう)

    聴衆のあまりの剣幕に大聖人の身を案じた道善房は、いまだ激しい法論を発し続けようとする大聖人を制して退堂することを命じました。次いで東条景信を何とか静めようと宥め続けるのですが、それしきのことでは烈火のごとき怒りは収まりません。景信は「弥陀を愚弄する悪僧を直ちに追放せよ《と、道善房に激しく迫ります。もしその命に背くとなれば、師である道善房、はてはこの山までも危害を加えんとするばかりの勢いでした。

    しかも敵は景信だけではありませんでした。味方となるはずの山内からも、円智房や実城房らの諸師が、景信に追従するかのように追放を迫ったのです。もはや清澄山内では、完全に孤立した状況でした。居場所を失った大聖人は、命も危ぶまれるほど逼迫した状況に置かれてしまったのです。

    道善房は苦渋の選択を迫られました。そしてついにその圧力に屈し、またこのままでは大聖人に危害が及ぶことを案じて、清澄より退山させることを決意したのです。

    果たして景信の望み通り追放とはなりましたが、それだけで無罪放免、とても満足する相手とは思えません。参道に身を伏せ、山を下りる大聖人に危害を加えんと企てることも大いに考えられました。そこで兄弟子である浄顕房、義城(浄)房の二師は、大聖人と共に密かに山を下り、人知れず間道を縫って麓へと導きました。そこには弟子を上憫と思う道善房の、せめてもの計らいもあったことでしょう。それによって、東条花房にある蓮華寺へ無事身を寄せることが出来たのです。

    これより後しばしの間、この蓮華寺に居を移すこととなりますが、兄弟子たちもまた清澄寺には帰山することなく、大聖人と共に寄住したとされています。大聖人はこの二師の行いを「法華経の御奉公《と称え、大変に感謝されているのです。

    貴辺(浄顕房)は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくともこれを法華経の御奉…

  • 第77話 無量義経の段 その三十五

    第77話 無量義経の段 その三十五

    第77話 無量義経の段 その三十五

    1.あなたたち地水火風空全てを演じないと駄目だと思っているようだけどそんな事はありません
    (月影千草)

    私たちの住むこの宇宙は、生物も無生物も皆、地・水・火・風・空の五つの要素、すなわち五大によって構成されています。

    五大は地水火風空也。(乃至)法界広しと雖も此の五大を過ぎず也。

    日蓮大聖人「御義口伝」

    ここで大事なことは、単に五大が構成するものは、私たち凡人の眼にする物質的な存在だけでなく、法界の全て、つまり凡人には目にできない霊的存在、神々やその住まいすらも含むということです。

    五大即妙法蓮華経也。

    日蓮大聖人「御義口伝

    今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此五大は題目の五字也。

    日蓮大聖人「阿佛坊御書」

    見えるものと見えざるものからなる私たちの宇宙は、全てが五大を元素とするからこそ、その五大が五字の妙法蓮華経と変換されることで、私たち皆が佛となり、世界は浄土として顕現されるわけですね。

    ちなみに空の代わりに金を配置したのが、東洋の占いで有名な五行です。

    木より火生じ、火より土生じ、土より金生じ、金より水生ず。木の敵は金、金の敵は火、火の敵は水、水の敵は土、土の敵は木なり。

    日蓮大聖人「戒法門」

    こちらは元素というよりも、この宇宙内で起こる(見えるも見えないも)全ての現象を、五つのカテゴリーに分類したものと言うべきでしょうかね…?

    2.君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた
    (芥川龍之介)

    五大にしろ五行にしろ、どちらにも共通するのが地・水・火・風の四つ。

    実は西洋の方では、この四つだけで万物が構成されていると長らく考えられてきました。

    これがいわゆる四大元素説。提唱者は輪廻転生を説いた古代希臘(ギリシャ)の哲人にして、男たちだけの裸の祭典だった古代オリンピックの優勝者でもあったという、文武両道のエムペドクレス。

    また、あの万学の祖(自然学、生物学から哲学に政治学、果ては文学と理系も文系もお構いなし)アリストテレス(あのマケドニアの英雄アレキサンダー大王の、若き日の家庭教師でもあったそうです)も、四大元素説を説いたそうです。

    しかしあのアリストテレスをして、空を見落として四つに留まるわけですから、やはり佛教発祥の地、東洋の智慧あってこそ、空の存在が認識できたわけなんですね。

    3.お前とアマノは一人一人では単なる火だが「火」二人合わされば炎となる
    (オオタ・コウイチロウ)

    そうは言っても、空は別として、五大でも四大でも特に重視されるのは火のようです。(だからこそ唯一神をエッサイム=燃え上がる炎の神よと、讃えるわけです)

    唯一神に仕える天使軍団の最高位は熾(セ)天使(ラフ)ですが、そのセラフのリーダー格、いわば天使軍団のエリート中のエリートは、火の天使ミカエル、風の天使ラファエル、水の天使ガブリエル(聖母マリヤやイスラムのムハンマドの前に顕現した天使ですね)、地の天使ウリエルの四大天使。まさに四大元素を司る天使なわけですね。でもこの火・風・水・地を司る四人の実力者って、なんだか馴染み深いような気がしますね…。

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.あなたたち地水火風空全てを演じないと駄目だと思…

  • 第84話 天台沙門日蓮

    第84話 天台沙門日蓮

    第84話 天台沙門日蓮

    今日蓮が相承も亦復是の如し。法華経の『能窃為一人説法華経乃至一句当知是人則如来使』等の文に依て釈迦如来を本師と為し、結要の付属を勘へ上行菩薩の流れを汲んで、師資相承の血脈を列ぬるなり。問ふ、法華宗の名言これ同じ、何ぞ天台を高祖と為ざるや。答ふ、今外相は天台宗に依るが故に天台を高祖と為し、内証は独り法華経に依るが故に釈尊、上行菩薩を直師とするなり。難じて云く、汝偏執なり。答へて云く、日蓮一人に限らず、天台大師も外相は慧文、南岳に依ると雖も内証は道場所証の妙悟に依て釈迦を本師とするなり

    法華宗内証佛法血脈

    鎌倉の辻に立たれ布教を始められた頃の大聖人は、『立正安国論』を始め色々な論書やお手紙の中で、ご自身の身分を「天台沙門」と名乗られています。そのことからも、あくまで天台宗派に連なる僧侶としてのお立場を明示されて、布教を展開されていたことは明らかです。

    当然ながらその理由の中心となるものは、大聖人の弘めようとする教えが、天台大師より伝教大師を経てご自身に正しく受け継がれた教義であることを、世の人々に明確に示す意図がありました。

    以前にもお話ししましたが、蓮長として比叡山で学ばれた大聖人は、叡山の退廃ぶりを目の当たりにされました。それ故に、天台大師より正しく継承されるべきであった法華経教義の神髄を、ご自身が日の本に復興させるお覚悟で第一歩を踏み出されたのです。その決意は故郷を追われる身となった今でも決して揺るぐことなく、辻に立ち道往く人々に教えを説き続ける大聖人の胸の内にありました。それこそが「天台沙門」のお立場なのです。

    その上で、口を突き放たれるお言葉は、あくまで「南無妙法蓮華経」のお題目です。それは伝教、天台をも超え、教主釈尊を直師として授かりし大秘法でした。一見矛盾するようなお話ですが、難解な教えなど誰も理解の出来ない末法の世に至っては、純粋なる信仰としてのお題目を以て衆生を救済することこそが、高祖と仰ぐ天台、伝教の遺命をも受け継ぐことに他ならないのです。

    しかし闇雲にそれを訴えたところで、誰ひとりとしてその意義を理解出来る者などいるはずもありません。反って変わり者の坊主が、勝手気ままな自説を吹聴していると思われてしまうのが関の山だということを、他ならぬ大聖人ご自身が一番理解されていました。それ故に大聖人は天台沙門であることを明示され、これから予想される諸宗との論争に備えられました。鎌倉の人々が初めて耳にする「南無妙法蓮華経」のお題目は、釈尊直伝の御心であると同事に、何人たりとも否定することの出来ない盤石なる天台教義に裏付けられていることを、「天台沙門日蓮」の名を以て宣言されたのです。

    今日蓮が相承も亦復是の如し。法華経の『能窃為一人説法華経乃至一句当知是人則如来使』等の文に依て釈迦如来を本師と…

  • 第64回 ふたりで決めた合言葉

    第64回 ふたりで決めた合言葉

    第64回 ふたりで決めた合言葉

    愛知県名古屋市 本覚寺聖徒団副団長
    霊断院総務部総務課長
    伊藤秀温

    当山にお参りに来られた四十代夫婦のお話です。二人は学生時代から交際し、三十歳で結婚。飲食店で働いていた旦那さんは、三十三歳で自分のお店を出しました。夢にまで見た出店に夫婦揃って喜びました。開店間もなく、今度は奥さんが妊娠、出産。二重の喜びが夫婦に舞い込みました。旦那さんは仕事に一層気持ちが入り、奥さんは子育てに励む毎日です。奥さんは初めての子育てに四苦八苦。ミルクをあげて、おむつを替えて、泣き止むまで抱っこして、かわいい我が子のためにと頑張ります。ところが、なかなかミルクを飲まず、寝かしつけてもすぐ起きる。一度泣き出すと、どれだけあやしても泣き止みません。何か病気ではないかと心配した奥さんは、病院に相談すると、「順調に成長していますよ。この子の個性ですよ」との返答でした。しかし「順調に育っていると言われても、どうしてずっと泣いているの」と、奥さんはさらなる不安に追い込まれました。その頃に知人の紹介で当山へ相談に来られました。

    お話を伺い九識霊断法を行うと、子どもの成長は医師の言う通り順調。しかし、夫婦の間に大きな溝が見られました。詳しく伺うと、旦那さんは家族を幸せにすると言って仕事に打ち込み、朝から晩までずっと仕事。奥さんは子どものことで手一杯。夫婦の生活リズムはバラバラに。話し相手が家にいない奥さんは旦那さんに大きな不満を抱き、旦那さんは不満ばかり口にする奥さんにイライラしていました。口を開けば言い合いになり、会話もどんどんなくなりました。

    ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思合て、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。

    四条金吾殿御返事


    旦那さんは家族を幸せにするために働き、奥さんは子どもを一生懸命に育てています。お互い家族の幸せを願っているのにどうしてこうなってしまうのでしょうか。夫婦がともに苦楽を共にした先に幸せがあると大聖人はお示しになります。

    「あなたの幸せは、私の幸せ。あなたの苦しみは、私の苦しみ」
    これは結婚する時にふたりで決めた合言葉です。二人はすっかり忘れていました。家族のためと言いながら、いつしか自分のことしか見えなくなっていました。二人でしっかり話し合い、もう一度やり直すことを仏さまの前で約束しました。旦那さんが夢にまで見たお店にかける想い、子育てで悩む奥さんの気持ち。それぞれ分かち合うことで夫婦が落ち着き、子どもみるみるうちに落ち着いていきました。両親の心の乱れを子どもは敏感に感じていたのです。九識霊断法によって家庭に明るい光が差し込まれました。

    今では家族三人、お店に家庭に生き生きと過ごしています。お題目が家族三人の合言葉、毎月の盛運祈願会は家族を見つめなおす時間です、と仰います。お子さんも元気に太鼓を叩いています。

    お互いを思いやる気持ち、共感する気持ちで、家族の表情はこんなにも変わるのだと信仰の素晴らしさを実感しました。家族、夫婦のあり方を、仏様・大聖人様は教えてくださっています。

    愛知県名古屋市 本覚寺聖徒団副団長霊断院総務部総務課長伊藤秀温 当山にお参りに来られた四十代夫婦のお話です。二…

  • 第74話 地頭の逆鱗

    第74話 地頭の逆鱗

    第74話 地頭の逆鱗

    日蓮は一閻浮提の内、日本国安房の国東条の郡に始めてこの正法を弘通し始めたり。隨ひて地頭敵となる

    新尼御前御返事(にいあまごぜんごへんじ)

    それまで静まりかえっていた堂内は、一転して大聖人を罵倒する人々の声で騒然となりました。その怒号響き渡る中、憤怒の表情で刀の柄に手をかけ、今まさに斬りかからんとする者があります。それこそが、当地を治める地頭東条景信の姿でした。

    この後、因縁深き大聖人の法敵となる東条景信は、当時鎌倉幕府の有力な御家人として、また当地の地頭として絶大な権威を誇っていました。東条氏と幕府との繋がりは古く、治承四(一一八〇)年、石橋山の戦いにて破れた源頼朝が安房国へ落ち延びると、地侍であった麻呂五郎信俊、安西三郎景盛、そして東条七郎秋則らは、頼朝を手厚く庇護して忠義を尽くしました。やがて平氏が滅び天下の覇権が源氏へと移り変わると、頼朝は三氏の恩に対し平群、長狭、安房、朝夷の四郡を与え、後に北条や足利の時代までもその安堵は続いたといわれます。

    こうした背景をもつ東条氏の権力は、長狭郡においては強大かつ盤石なものでした。その力を誇示する上で、そもそも朝廷によって荘園を安堵されている筈の領家と、しばしば領地を巡っての諍いを起こし、また皆の制止を押し切って清澄山中で鹿狩りを強行し、禁忌中の禁忌ともいえる山中での殺生を行うなどの傍若無人ぶりを見せました。

    そのような東条氏ではありますが、領民を従順にさせる手段として、自身が信仰する念佛の教えを広め、それによって人心を掌握せんと目論んだ節もみられます。そのため『仏祖統記』によれば、当時信仰の中心地であった清澄を従わせようと、山内で念佛を信仰することを強いたともいわれています。以前にお話したように、中古天台と揶揄される当時の天台僧侶たちの堕落ぶりも勿論ですが、こと清澄山内での念佛信仰の横行には、こうした外部からの力が働いていたことも十分考えられるのです。

    いずれにせよ、一心に信じてきた念佛を真っ向から否定され、西方浄土へ往生する望みを無間の業と罵られたとあっては、たとえ相手が出家の身であっても容赦することは出来ません。景信の怒りは、袈裟衣を纏った聖職の首を刎ねてでも、佛敵を成敗せんとする程のものだったのです。

    日蓮は一閻浮提の内、日本国安房の国東条の郡に始めてこの正法を弘通し始めたり。隨ひて地頭敵となる 新尼御前御返事…

  • 第76話 無量義経の段 その三十四

    第76話 無量義経の段 その三十四

    第76話 無量義経の段 その三十四

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

    1.あれこそ、我等切支丹の怨念の火 そして、徳川の最期を弔う火だ 見ろ、 よく見ろ、見ぬか家綱
    (天草四郎時貞)

    エロイム エッサイム

    「光市母子殺人事件の容疑者は『魔界転生』に倣って、被害者を蘇生しようとしていた・・・」

    などと偉い先生たちが真面目に主張されていた時は、「魔界転生(※)なら蘇生するのは容疑者の方だろうに・・・」と呆れたのも今は昔。

    そうは言っても、魔界衆の再生方法と言えば、原作に登場の軍師森宋意軒によるクローンのような物理的再生よりも、映画版の切支丹凶徒首魁天草四郎時貞(ジュリー!)による黒魔術式の再生の方が、広く世に知られるところでしょうか。

    そうです。その黒魔術の呪文こそ「エロイム エッサイム 我は求め訴えたり」。

    あの「悪魔くん」でもお馴染みのこの呪文こそが、賢者ソロモン王が唱えたとされる悪魔(デーモン)召喚のキーワードだと、中世欧羅巴(ヨーロッパ)にてまことしやかに言い伝えられてきたものなのです(中世じゃあソロモン王の時代から、あまりにも隔たってはいますが)・・・。

    2.では、この理想の戦いは、まだ続くのですか?(佐藤)そうじゃ、地上天国が来るまではやめられん
    (蛙男)

    黒い鶏を生贄にして唱えられたというこの呪文。「エロイム エッサイム」とは、さぞや禍々しい意味が込められてるんだろうと、ビビってしまいそうですが、あにはからんや、実はこの呪文の意味は「神よ、燃え盛る炎の神よ」。

    そう、この呪文こそは神様、即ちあの天地創造、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの箱舟、そしてバベルの塔等のユダヤの神話にて語られ、ついにはエジプトの地にて、預言者モーゼの前に燃え盛る紅蓮の炎となって顕現した唯一神「Y・H・W・H」の名を唱え讃えた言葉なんです。

    勿論、この四文字だけでは母音がありませんから、当然ながら発音できません。だからこそ、古くはエホバ説、最近ではヤーウェ説と、その呼び方がいろいろ説かれてきたわけです。むろん、どれも断言できるものではありません。

    以前お話しましたように、これも言わば実名禁忌の一種。信長様とか秀吉様とか、他人が気安く言ってはいけないと言うあれですね。

    その点、黒田孝(よし)高(たか)を「官兵衛!官兵衛!」と呼んでいるのは、まあ正しいといえば正しいのでしょうね。

    3.ジーザス! 
    (巡査部長ニール・ハウイー)

    黒田官兵衛

    洋画でよく聞く「ジーザス!」は「やれやれだぜ」や「ちくしょー」と言った下品なニュアンスで使われますが、ご存知の通りジーザスとはイエス・キリストのイエスのこと。

    全ては神の思し召しと考える西洋ゆえでしょうか、意に沿わぬ事態には、ついつい神の名を出してしまう不逞の輩が出てしまうもの。それは古代でも同じだったのでしょう。

    それもあってでしょうか、みだりに唯一神の名が口にされないように、その名は厳重に秘せられてきました。なにしろ聖書を読んでも、どこにもその名が書かれていないくらいですから。

    しかし、あまりにも徹底しすぎた為でしょうか、今となってはホントに分らなくなってしまったんですね。

    間抜けに聞こえますが、口伝えに頼りすぎて、ホントのところが分らなくなるって、古今東西よくあることなんですね。笑えない、笑えない。

    ※「魔界転生」
    和歌山を舞台に柳生十兵衛が活躍する山田風太郎の一大伝奇ロマン。一九八一年に映画化され、その後もコミックやアニメ、ゲームとして人気を博している。

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.あれこそ、我等切支丹の怨念の火 そして、徳川の…

  • 第63回 いのちに感謝

    第63回 いのちに感謝

    第63回 いのちに感謝

    日蓮宗霊断院 総務部長
    岐阜県美濃市 常唱寺聖徒団副団長
    阪口映徳

    平成二十九年二月、A子さんが第三子を出産する病院について相談に来られました。A子さんは以前の出産でも相談に来られ、いずれも九識霊断法(霊断)の導きにより、苦難を乗り越え無事に出産できました。

    良い病院は世の中に沢山ありますが、合う病院を探すことが大事なのです。私は出産に限らず、その時の最善を探るため、まず霊断をするようにしています。

    今回の相談は今までと事情が違っていました。A子さんは前年の秋に地元の検診で糖尿病の指摘をされ、養生して再診するつもりでした。しかし翌年の二月、再診を待たずに妊娠がわかったのでした。

    どこの病院で出産するのが良いか、いくつも霊断しましたが良い結果は示されませんでした。むしろ、他に余病が出ることや死産の心配がありました。一抹の希望をもってA子さんの自宅に一番近い産婦人科病院(B医院)で霊断をすることにしました。B医院は、何かあるとすぐ救急車で他の病院へ移されるそうで、あまり評判は良くなかったのですが、結果、かろうじて母子の安全は確保できそうでした。

    「このままではお腹の赤ちゃんが危険な状態です。今回の出産にとってB医院は最善の病院です。安心して受診し、医師の指示に従ってください」と伝え、A子さんと一緒に手を合わせ、母子の健康祈願、安産祈願を行ない、胎児の分の倶生神月守も着帯するよう勧めました。

    A子さんは、B医院の医師の指示のもと、総合病院を受診。やはり早急の投薬が必要になり、すぐに教育入院をしました。また、出産までB医院の産婦人科医と総合病院の糖尿病専門医が連携を取ってくださることになり、少し安心したようでした。

    教育入院後にB医院でエコー検査をしてもらうと、今度は卵管のう腫が見つかりました。腫れがひどくなると手術が必要になります。医師から「これが使われないことを祈りますが、御守り代わりに持っていてください」と、紹介先が空白の紹介状を手渡されました。

    数ヶ月が経ち、胎児の成長とともに卵管のう腫も大きくなりました。そして、痛みに耐えかね救急車でG大学病院へ搬送され、緊急手術となったのでした。御守り代わりの紹介状が大変役に立ったそうです。手術は無事に成功し、A子さんの旦那さんは上の子二人を連れて何度も本堂で祈りました。みんなの祈りが通じたのか、回復も早く無事に退院できました。

    その後も何度もお寺に通い、夫婦や家族で唱題修行をしました。出産予定日を十月に控え、容態も安定しており順調かに見えました。しかし、一変したのです。七月中旬、異変を感じたA子さんはB医院を受診、切迫早産になっておりすぐに救急車で県立医療センターに搬送されたのでした。まだ妊娠二十八週目なのに、今にも産まれそうな状態にあり、二十四時間の点滴、トイレ以外は絶対安静となりました。しかし入院五日目、ちょうど二十九週に入った日、陣痛が始まり早産で産まれてしまいました。入院していた病院は新生児特定集中治療室(NICU)があり、医師と専門スタッフが二十四時間体制で対応してくれることになりました。

    A子さんは先に退院しますが、赤ちゃんは保育器の中で暫く過ごすことになります。冷凍した母乳を毎日病院へ届ける日々が二ヶ月間続きました。そして九月中旬、順調に育った赤ちゃんは無事に退院できました。

    常に人を護るといえども、必ず心固きに仮りて神の守りすなわち強し

    道場神守護事

    訳:同名・同生の二天は常に人を護っているが、その人の心が堅固であれば、同時に神の守護も強いのである。


    今回の出産は御本仏のお示しの通り窓口をB医院にしたからこそ、医療の連携がうまく取れたのでしょう。そして、A子さんの「我が子を無事に産んであげたい」という堅固な祈りが強いご守護を得るきっかけになったのだと思います。また、A子さんのみならず、ご家族やまわりの人たちの至心の願いが奇跡を生んだことは言うまでもありません。

    現在、A子さんは旦那さんと三人のお子さんとにぎやかにお参りに来てくれます。また、妊娠前の血糖値は落ち着き、医師の説明では糖尿病の投薬は必要なくなったとのことです。

    世界は私たち一人一人の個人の集まりでできています。それを政治なんて分からない、世の中に対して影響力なんてないと思ってしまいがちですが、そうではありません。せめて今日一日を明るく過ごして元気を取り戻そう、という姿勢が誰でもできる仏としての行いであり、仏さまの願いです。電灯は明るい時につけるものではなく、暗い時につけるものです。倶生神様の御守護を強くするには、暗い時こそ明るくすることです。不安なときは必ずお題目を唱え、自分のいる場所から少しずつでも、明るくしてください。今、私たちの在り方が試されています。

    日蓮宗霊断院 総務部長岐阜県美濃市 常唱寺聖徒団副団長阪口映徳 平成二十九年二月、A子さんが第三子を出産する病…

  • 第73話 立教開宗 その二

    第73話 立教開宗 その二

    第73話 立教開宗 その二

    生年三十二歳にして建長五年癸丑三月二十八日、念佛は無間の業なりと見出しけるこそ時の不祥なれ。如何せん此法門を申さば誰か可用。返て怨をなすべし。人を恐て不申者佛法の怨となりて大阿鼻地獄に堕べし。経文には、末法に法華経を弘る行者あらば上行菩薩の示現なりと思ふべし。言ざる者は佛法の怨なりと佛説給へり。経文に任せて云ならば、日本国は皆一同に日蓮が敵と成べし

    波木井殿御書(はきいどのごしょ)

    道善房の持佛堂では、都より戻った高学の僧の講話をぜひ拝聴しようと、既に堂を埋め尽くさんばかりの大衆が集まっていました。そこには山内の僧侶や近隣の領民のみならず、公家に連なる荘園領主や帯刀をする武者たち、そして当時最も権勢を誇っていた地頭東条景信の姿までも見られます。人々の間を縫い法座へ昇る大聖人は、大衆に対し南面して座すと、やがて穏やかな言葉で話し始めました。

    まずは釈尊御一代の聖教(お釈迦さまのご生涯でのすべての教え)を説き示し、そして出世の本懐(お釈迦さまがこの世に出現された本当の理由)を語り進めると、聴衆はその知識の深さに感嘆し、誰一人として声を発する者もなく、瞬きをすることも忘れて大聖人の話に聞き入りました。しかしやがて大聖人の話が核心に至りはじめると、堂内の空気もまた変わりはじめたのです。

    「釈尊の大慈悲の御心は、独り法華経にのみ秘されるもの也。爾前(法華経以前)の経々は未得道のみならず、信ずるならば地獄の業なるべし。信ずるべきは法華経、仰ぐべきは唯釈迦一佛と心得よ」それまでの穏やかな口調と打って変わり、大聖人はまさに獅子吼のごとくそう叫ばれました。これを聞いた人々の顔は見る見るうちに驚きに転じ、そして嫌悪に満ちた表情へと変わってゆくのです。

    末法の苦しみの中でただ弥陀の慈悲に救いを求め続けた人々、禅を修し心身の鍛練こそが己を高めると信じていた武家たち、皆一様に自分が信じてきたすべてを真っ向から否定され、後生には地獄に落つべしと一蹴されたのですから、その憤りはいかほどであったでしょうか。先程までの静けさが嘘のように、堂内には説者を詰り怒りをぶつける怒号が響き渡りました。

    生年三十二歳にして建長五年癸丑三月二十八日、念佛は無間の業なりと見出しけるこそ時の不祥なれ。如何せん此法門を申…

  • 第75話 無量義経の段 その三十三

    第75話 無量義経の段 その三十三

    第75話 無量義経の段 その三十三

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

    1.いいですか?暴力を振るって良い相手は悪魔共と異教徒共だけです
    (アンデルセン神父)

    無量義経 キューピット

    風 希臘(ぎりしゃ)人の気づきも束の間。「ダイモーンの賜物」と讃えられた西洋の倶生霊神信仰は、あえなく悪魔デーモンへの恐れの中に埋没してしまいました。

    まあこのことに限らず希臘そして羅(ロー)馬(マ)文明の偉大なる遺産は、そのほとんどが回教(イスラ)徒(ム)たちに受け継がれ、当の欧羅(ヨーロッ)巴(パ)では文芸(ルネッ)復興(サンス)の時来るまで、まったく顧みられなかったわけなんですが(もともとは回教圏の方が先進国だったんですね)。

    それでも何者かが自分の傍に佇んでいる!誰かが見守ってくれている!幽(ス)波紋(タンド)が発現してる!という体験に裏打ちされた真理だけは、いかに異教を恐れ忌み嫌う基督教徒の方々も無視できないもの。

    そこで彼らは自分たちの天使信仰の中に、うまく倶生霊神を組み込んで行くわけです。

    2.私が見ると、はげしき風が北より吹き、大きな雲と、燃える火の玉が北より出てきた。また雲のまわりに輝火あり。その中より真っ赤に熱した金属のごときものが出てきた(預言者エゼキエル)

    天使と言うと頭の上には蛍光灯のような輪、背中には小さな羽根の美少年!というイメージが多いかもしれませんが、実はこれは羅馬の愛の神クピード(キューピット)と習合したイメージ。

    無量義経 天使

    実際の天使たちはその形態、能力、序列によって九つものカテゴリーに別けられた存在。

    その最上位の三グループを見てみれば、六つの翼こそ最強の証、全身に炎をまとい常に光り輝く熾(セ)天使(ラフ)。

    顔は人間にして体は有翼の獣身(スフィンクスを思い起こすべし)エデンの園の門番を勤める(要するに狛犬や唐獅子、シーサーの仲間ですな)智(ケル)天使(ビム)。

    無数の眼、無数の羽に覆われし巨大なる車輪の座(ソ)天使(ロネ)…といった具合で、まさに人の姿からはかけ離れた存在。

    ソロネに至っては生物型ですらなく、もはやオブジェそのもの(故にソロネを感得した人の記録は最古のUFO目撃例の一つとも言われています…)。

    そんなバリエーションあふれる天使軍団にあって、単に美青年(あるいは美少年か)に羽が生えてるだけという最も人間的な姿、つまり私たち日本人にもお馴染みの天使像に最も近い天使たちなのが、九つの階級中第九位(それだけに人間に近いわけです)、お馴染みの守護(エン)天使(ジェル)なんですね。

    3.天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である(ナイチンゲール)

    上位の天使たちには、悪魔と闘ったり、最後の審判の時に人類を殲滅する等々の恐ろしくも壮大な使命があるわけですが、このエンジェルたちの使命はもっと日常に根差したこと、そう人間一人一人(ただし基督教徒に限る)を個々に守護するというもの。

    例えばセラフにはミカエルやガブルリエル。ソロネならサンダルフォン等々と、各クラスごとにメジャーな天使がいるわけですが、ことエンジェルに限っては基本的にみな無名(守ってる人と同名ゆえ?)。

    しかもその総人数は人類(但し基督教徒に限る)の二倍とのこと。

    そう、まさしくエンジェル信仰こそは基督教における倶生霊神信仰そのものだったんですね。

    しかしご守護があるのは自分たちだけと考えているのも、彼らしい処ですね。

    かようにエウダイモーンへの信仰はエンジェル信仰へと変換されて、基督教に取り込まれていったわけですが、かような例はそうそうなかったようでして、広く中東から西欧にわたる多様な文化圏内の様々な神々は、酷いことにその殆どがデーモン(悪魔)へと分類されてしまいました・・・・。

    そんな元神々だったデーモンを、賢王ソロモンは手足の如く使役したといいます。

    堕天したと言っても本来は神であったデーモン。

    ソロモン王は如何にして彼らを自在に操ったというのでしょうか?・・・

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.いいですか?暴力を振るって良い相手は悪魔共と異…