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  • 第70回 救われた後に目指す方向は?

    第70回 救われた後に目指す方向は?

    埼玉県川口市
    實相寺聖徒団団長
    日蓮宗全国霊断師会連合会副会長
    日蓮宗 宗会議員
    松永慈弘

    實相寺が毎年主催している、小学生を対象とした一泊二日の修養道場のお手伝いを、当山聖徒のAさんにお願いしていました。しかし、修養道場直前に受けた乳癌検診でAさんの身体に乳がんが発見されました。私は、「今回のお手伝いは無理をせず身体を休めてください」とお伝えしましたが、Aさんは「体に痛みは無く、修養道場の後に切除する手術の日程も決まっています。家に居ても気が滅入ってしまいますので是非参加させてください」と、お願いを含めた返答をされました。悩みましたが、スタッフと話し合い無理をしない形で手伝って頂くことになりました。

    Aさんは元々信心堅固な方で、修養道場中はムードメーカーとして明るく振舞い、積極的に手伝ってくださいます。小学生たちが屋外で活動している時間は、本堂でひたすらお題目を唱えて「病即消滅」を祈っていました。

    無事に修養道場を努め上げた後も、倶生神月守を胸に持ち一心にお題目を唱え続けました。それは毎日毎日続きました。ひと月が経ち切除手術直前の検査を受けに行った時の事です。なんと医師に「不思議なことに癌の腫瘍がきれいさっぱり消えています」と言われたのです。修養道場前に二回も検査して、Aさんも写真で見て確かに癌はあったはずですが、何度確認してもどこにも見当たりません。医師も驚き本人も驚き、その報告を受けた私も驚いてしまいました。

    本当に有難い御守護を頂戴致しました。

    日蓮大聖人様は、

    法華経は女人の御ためには、暗きにともしび(灯)、海に船、おそろしき所にはまほり(守り)となるべきよし、ちか(誓)はせ給へり

    乙御前御消息

    Aさんの信心の堅固さ、日々の菩薩行の功徳により、不思議なことに病が消滅したのでありました。それから半年ほど経過し、私はAさんから質問を受けました。「お上人、私はおかげさまで癌が消えて、それ以来は健康で、その頃抱えていた家庭の悩みも消え、今は本当に幸せです。心から感謝しております。しかし仏教においては心の境地が上がるといったものがあると聞くのですが、その様なことは日蓮宗でもあるのでしょうか」と尋ねられました。

    日蓮宗の教学書『宗義大綱読本』には、

    「当初はご利益信心であっても、次第に淘汰され教化されて、純真に信仰者として、本来の仏道へ入って行くことができればよいのである」と書かれています。

    また日蓮大聖人様は、

    病によりて道心はおこり候か

    妙心尼御前御返事

    と、お教示でございます。当初は病が治癒し、悩み事が解決する等のご利益により、お題目のすばらしさ、御本仏様の存在、何らかの目に見えない大いなる力が働いていることを実感するのです。しかし、その感覚で止まるのではなく、大聖人が求め、目指されていたのは、さらにその奥にある「仏 国土顕現」なのです。

    死後の世界で幸せになるのではなく、生きている間に、今の世界を仏国土、すなわち霊山浄土という仏の世界へとつくり変え、生きている人が幸せな人生を送れるようにするという大目標があるのです。

    どうか皆さん、共に倶生神月守を着帯し共にお題目を唱え共に「仏国土顕現」を目指してまいりましょう。

    埼玉県川口市實相寺聖徒団団長日蓮宗全国霊断師会連合会副会長日蓮宗 宗会議員松永慈弘 實相寺が毎年主催している、…

  • 第78話 嵐の船出

    第78話 嵐の船出

    第78話 嵐の船出

    今はかまくら(鎌倉)の世さかんなるゆへに、東寺、天台、園城、七寺の真言師等と、並びに自立をわすれたる法華宗の謗法の人々、関東にをちくだりて、頭をかたぶけ、ひざをかがめ、やうやうに武士の心をとりて、諸寺・諸山の別当となり、長吏となりて、王位を失ひし悪法をとりいだして、国土安穏といのれば、将軍家並びに所従の侍已下は、国土の安穏なるべき事なんめりとうちをもいて有るほどに、法華経を失ふ大禍の僧どもを用ひらるれば、国定めてほろびなん

    撰時抄

    「いざ鎌倉へ《、大聖人を乗せた船は三浦半島を目指して海路を西へ進みます。半島の東岸には、浦賀水道に面して潮通しのよい走水港が古くから整備されていました。順調にいけば、そこを目指して上陸と相成る手はずであったと思われますが・・・。やはり正法弘通の行者には、常に魔が立ちはだかるのでしょうか。今まで穏やかであった海が、突然の嵐で荒れ狂い始めたのです。

    大聖人を乗せた小舟はまるで木の葉のように波に弄ばれ、もはや往くことも戻ることも出来ません。やがて船底には三寸もの穴が開き、そこから勢いよく海水があふれ出してきました。数えきれぬほど海を往来した水夫ですら、最悪ともいえるこの状況に慌てふためき、このまま海の底へと消えることを覚悟しました。「あぁこの坊さまも気のどくなことよ《そう思いながらふと客僧に目をやると、驚くことにまったく怯える様子もなく、とても穏やかな面持ちではありませんか。そして何やら聞き慣れぬお経を、一心に唱えているのです「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無・・・「これはありがたや。ここで会ったも何かの縁じゃ。坊さまの唱える経で送られるなら、わしとて阿弥陀さんとやらの所に一緒に往生出来よう《。船頭は観念したかのように、手を合わせて静かに目を閉じました。するとどうしたことか、今まで轟きのように鳴り響いていた風の音が止み、静かなさざ波の音が聞こえ始めたのです。これは何事かと目を開けてみると、目の前には先ほどの嵐とは打って変わり、穏やかな海原が広がっています。

    誰よりも海をよく知る水夫には、にわかには信じられない出来事ではありますが、とにかく命拾いをしたことは確かです。そういえばあの穴はどうしたかと船底に目をやると、こちらも何事もなかったかのように収まっています。よく見ると上思議なことにその穴には、まるであつらえたかのように鮑がピタリと張り付いていたのです。

    何やら狐につままれたような心地だが、とにかく上思議な坊さまのおかげで助かったと胸をなで下ろす水夫の目前には、小さな島が近づいていました。

    今はかまくら(鎌倉)の世さかんなるゆへに、東寺、天台、園城、七寺の真言師等と、並びに自立をわすれたる法華宗の謗…

  • 第69回 清浄平安の浄土を考える

    第69回 清浄平安の浄土を考える

    大分県妙親寺聖徒団団長
    連合会九州教区長
    大分県霊断師会会長
    廣田学良

    新型コロナウイルスの感染が以前にも増して拡大されワクチンによる終息が切実に願われます。

    思えば人類の歴史は幾多の苦難と共にあり、多くの被害、犠牲を払いながら智恵を絞り、解決の方途が拓かれてきました。これはいかなることがあっても屈しない。この信念があればこその成果であり、困難に立ち向かう一丸の精神。私たちは今ひしひしと異体同心の大切さを自覚させられています。

    いずれにしても生命の存続に直結している環境問題、生活を支えるエネルギー問題等で、今までの資源消費をもととする文明観から自然と協調するライフスタイルが重視され、今後私たちは修正の時代を迎えることになるでしょう。

    さてご存知のように鎌倉時代にも飢饉や疫病が蔓延し、それによる犠牲がありました。日蓮大聖人の立正安国論執筆の動機もここにあり、文頭にはその惨状と嘆きがせきららに綴られ、安国を願うことが一貫した論旨となっています。現代の眼鏡をもって理解すれば病気に対する治療のように、病気の原因の分析から始まり、原因をつきとめ治療を施す。正を立てる立正とは治療薬であり、薬の効能によって平癒するのが国を安んじる安国となります。確かに立正安国論は鎌倉時代を背景とし、宗教的治療を視点とする論書ではあります。しかし自然現象とこの中に生きる私たちの関係性を深刻に見つめることには現代科学の姿勢と何の相違もありません。

    大聖人は飢饉や疫病がいかなる原因によって発生するのかを自問し、一切経を依処として、衆生が正しい思想のもとに生活できていないことが最も大きな原因であると論断されたのであります。この正しい思想を鏡として映し出される現実のゆがみ、この惨状を救う唯一の正法が法華経であるとの結論を得「信仰の寸心を改めよ」と緘言されたのであります。

    つまり法華経の教えによる法華経的生活、久遠のご本仏の大慈悲と共にある全体生命の総和、この実現こそが大聖人のご生涯であり環境問題に解答を得た立正安国論の趣旨であったのであります。

    佐渡苦境の中においてご教示された観心本尊抄の法華経に説くこの世界の真実今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり

    のお言葉のように、いかなることがあってもこの世界の本質は穢土ではなく浄土である。お題目の信仰(立正)をもってすれば社会不安・不調和相は平癒し、本質の浄土(安国)が顕現されてくると言う思想改善による解決の道を確信されたのであります。

    そのためには仏教についての間違った認識が当然是正されなければなりません。この信念による強い実践が認識を異にする側からの法難となったことは読者の皆さまがご承知のところでありますが、大聖人にはこの数々の法難もまた法華真実の証明として確信は益々深められていくことになるのです。

    このように大聖人のお題目信仰は実に徹底した証明の宗教、言わば科学的宗教であったと言っても過言ではないのです。

    思想と自然現象の関係性は一般的には理解しにくいことかもしれませんが、この思想をこの世界への正しい考え方と表現を変換すれば科学的思考となり理解されてくるでしょう。

    私たちはこのような時にこそ宗教についての目を開き、大聖人の教えを現代的に見直し、現実に一致する信仰を再考しなければならないのです。

    久遠のご本仏と結ばれる倶生神月守着帯によるお題目信仰が目指すものは清浄平安の浄土をこの世界に築くことに外なりません。

    ウイルスのワクチンによる終息は近い日との朗報ですが、迷信のウイルス感染はもっとしたたかなのです。

    大分県妙親寺聖徒団団長連合会九州教区長大分県霊断師会会長廣田学良 新型コロナウイルスの感染が以前にも増して拡大…

  • 第77話 故郷との別れ

    第77話 故郷との別れ

    第77話 故郷との別れ

    今はかまくら(鎌倉)の世さかんなるゆへに、東寺、天台、園城、七寺の真言師等と、並びに自立をわすれたる法華宗の謗法の人々、関東にをちくだりて、頭をかたぶけ、ひざをかがめ、やうやうに武士の心をとりて、諸寺・諸山の別当となり、長吏となりて、王位を失ひし悪法をとりいだして、国土安穏といのれば、将軍家並びに所従の侍已下は、国土の安穏なるべき事なんめりとうちをもいて有るほどに、法華経を失ふ大禍の僧どもを用ひらるれば、国定めてほろびなん

    撰時抄

    ご両親との今生の別れをも覚悟した大聖人は、いよいよ故郷房州の地を離れ、新たな布教の拠点を求めて一路鎌倉へと向かいます。以前の鎌倉留学の折りにも触れましたが、時代の趨勢は既に公家より武家政権へと移り変わり、それに伴い文化や政治の中心となる地も京より鎌倉へと移りつつありました。以前に蓮長として訪れた時よりわずか十数年の隔たりですが、鎌倉はさらなる大都市として発展をし続けていたのです。

    以前より申し上げている通り、大聖人の一番の目的は「一切衆生の成佛」にありました。その大願を成就するためには、片海に引き籠もっているわけにはいきません。大衆の最も集う場所、政治の中心となるような場所で真の教えを弘めることが上可欠なのです。大聖人が両親や恩師のいる大切な故郷を離れたのは、景信からの難を逃れる意図も確かにありますが、むしろ積極的にお題目を弘める新天地へ赴かれたのでしょう。

    東条を出発された大聖人の足跡については、いくつかの説があるようです。主には陸路か海路の二つの選択となるのですが、鎌倉までかかる日数や道中の危険度を考えますと、やはり海路が現実的なのではないかと思われます。

    今でも千葉から神奈川へ出ようと思えば、東京湾沿いに車で走るよりも、アクアラインで横断してしまった方が圧倒的に時間の短縮になります。もっとも当時はこんな便利な橋などありませんので、同様のコース(実際にはもう少し南寄りになりますが)を船で渡ることとなります。また陸路を行こうと思えば、当然ながら開けた海岸線のみでなく幾度かは山中を越えなければなりません。まだ造船や操船の技術が未熟であった当時の海上交通を考えますと、それでも陸路の方が安全かと思われますが、何分にも大聖人は地頭より追われる身なのです。清澄より東条へ逃れるだけでも身の危険を感じて間道を抜けたくらいですので、山中で襲われる危険性は十分に考えなければなりません。

    かくして東条より房総半島南部を西岸へ向かって最短で横断し、そこから船で三浦半島を目指すルートをとられたのではないかと推測されますが、そこで一つ疑問が浮かびます。そのルートで行くならば、船を操れる人間を供に従えるか、少なくとも船と共に操船できる者を雇ったことになるのです。かつて意気揚々と鎌倉遊学の徒についた時とは違い、今は体一つで清澄を追われた身の上です。さて一体どのようにしてそれだけの資金を工面したのか…。上思議でなりませんが、それはさておき、これから海を渡って鎌倉への旅路をご紹介して参りましょう。

    今はかまくら(鎌倉)の世さかんなるゆへに、東寺、天台、園城、七寺の真言師等と、並びに自立をわすれたる法華宗の謗…

  • 第79話 無量義経の段 その三十七

    第79話 無量義経の段 その三十七

    第79話 無量義経の段 その三十七

    1.が名を称えよ、我が栄光に満ちた並ぶ者無き我が名を称えよ…人の子よ…ついに我が前に姿を現したな…呪われし 人の子よ
    (神霊YHVH

    とにもかくにも、四大元素を司る大天使たちさえも従える唯一神なればこそ、その神の名のもとに命じるならば、(唯一神の宗教によって神の座から追放された)地獄のデーモンたちも、術者に従う以外に道はなし・・・、と西洋では信仰されていたわけなんですね。

    それも「神(エロイム)よ、燃え盛る(エッサイム)炎の神よ」と、実名そのものは口に出さずとも、(と言うか、そもそも固有名詞は不明なのですが)一般名詞たる神と唱えるだけで(彼らにとって神と言えば、唯一ただお一人なわけですから)充分なんですから、「じゃあ万が一にも固有名詞を出したら効果何倍なの」と言いたくなるほど、唯一神のみ名には、絶大なる力があると信じられていたことになるんですね。

    2.番号なんかで呼ぶな!私は自由な人間だ
    (ナンバー6)

    そうです。再三再四申してきたように、名前とは人やモノを便宜的に識別するための、単なる目印や表札ではなく、その人、そのモノの本質を司るもの。名前こそが、実はその人、そのモノの、存在そのものを集約したものなのです。

    日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して、一も残さず。月氏の両字にあに七十ケ国なからんや

    四信五品鈔

    殊に人にとっての名前は、その人の魂、命とダイレクトに繋がるもの。故に秀吉たちは、信長公のことを右府様あるいは上様とは呼んでも「信長様」とは絶対に呼ばず、官兵衛たちは秀吉公を、羽柴筑前守様だの太閣殿下とは言っても、「秀吉様」などとは呼ぶわけもなかったのです(親は官兵衛と字(通称)、息子は長政と諱(実名)で呼ばれる親子なんて、ホントはいませんよね)。

    だって人の本名を呼ぶなんて、人の寝室にズカズカ侵入することよりも、人のケイタイを勝手に見まくることよりも、いえいえ、人のPCのデーターを勝手に閲覧しまくることよりも、もっともっと失礼なこと。部下や目下の者ではなおさらのこと、絶対なるタブーだったのです。

    3.「ウーティス(誰でもない)」
    (英雄オデュッセウス)

    ケイタイやPCを勝手にあつかっても、それは取り敢えずプライバシーの問題にとどまりますが、されど名前となると、それは命に関わる問題。

    九識霊断法にしろ、ご祈祷やご祈願にしろ、まずは請断者や祈願者の名前を確認することが大前提のように、妖術や呪殺司る者も、その標的となる人の名前を知ってこそ、その術も発動するもの。名前を知り唱えることで、その相手の魂、命に直接アクセス出来るのです。

    昔の方々はその事実を知っていたからこそ、字や役職等々の長ったらしい名前でもって実名を隠し、また女性は結婚をしても、夫以外にはみだりに実名を明さなかったと言います(故に歴史上の有名人も、その奥さんの多くは名前も伝わってないらしいのです)。

    されど、本当の名前が弱点となるのは拙き人間なればこそ。人智を超えた神佛においては、その真実の名を知ることは、その偉大なる力にダイレクトにアクセスすること。そう実は、お題目『南無妙法蓮華経』こそは、法華経に説かれし至高の存在の、その尊き名前だったのです。

    無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり

    御義口伝

    1.が名を称えよ、我が栄光に満ちた並ぶ者無き我が名を称えよ…人の子よ…ついに我が前に姿を現したな…呪われし 人…

  • 第68回 正信への気付き

    第68回 正信への気付き

    妙親寺聖徒団 副団長
    教学講師
    廣田千城

    先日、当山にお参りに来られた七十代後半の聖徒の女性が仰ったことです。

    「お上人、明けない夜はないと言いますが、暮れない昼もないですよね。最近何だか色々と悪いことが続いている気がして、どんどん体調も悪くなっている気がするのです。そして最近ひどく孤独を感じるようになってきました。」

    一般的に「人生ずっと悪いことばかりが続くわけではない」の意味を表す「明けない夜はない」ですが、確かに人生は山あれば谷あり。良いことばかりが続くわけでもなく、悪いことも起きることは多くの方が経験することと言えます。

    ひどくお疲れの様子をみて私は言いました。

    「確かに仰る通りですね。生きていれば、良い時もあれば悪い時もあります。元気な時もあれば病気の時もあります。また年を重ねるにつれて、若い時と比べると体力が落ちてままならないことも増えてくるでしょう。しかし、苦しみは永遠に続くものではないと思います。太陽は必ずまた昇りますから。しかし体調が悪いのは気になりますね。どうでしょう、九識霊断法で体調の状況を倶生神様にお尋ねしてみませんか?」

    これまで何度か霊断指導を受けたことがあり、女性はすぐに承諾しました。霊断法で示されたことは次のような内容でした。

    「まず体調に何か問題があるとは言えない。次に、体力は十分あるが、心が疲弊しており一切の柔軟性が失われ、前向きになれないものがある。最後にご本仏様はさながら太陽が煌々と輝くように女性を守っているのに、女性はその輝きに背を向けている。」

    体調に問題がないことに安堵しながらも、まだ大きな問題が残っています。それは女性が抱える「心の問題」や「孤独感」、つまり精神のあり方です。私たちが望むべき姿は、当然ながら心身ともに健康な姿であることは言うまでもありません。

    日蓮大聖人は次のようなお手紙を残されています。

    又人の身には左右のかた(肩)あり。このかたに二の神をはします、一をば同名、二をば同生と申す。此の二の神は梵天、帝釈、日月の人をまほらせんがために、母の腹の内に入しよりこのかた、一生をわるまで影のごとく眼のごとくつき随て候が、人の悪をつくり善をなしなんどし候をば、つゆちりばかりものこさず、天にうたへ(訴)まいらせ候なるぞ。

    四條金吾殿女房御返事

    「私たちの着帯している『倶生神月守』ですが、この『倶生神』とは、お手紙の中で言われている『同名(天)様、同生(天)様』のことです。この二柱の神様は、私たちが生まれた時からずっと左右の肩にいて下さり専属で護って下さっています。だから人は一人じゃない。実際に霊示を見ても分かるようにあなたは護られているのです。あなたの心を照らしたいと思って下さっているのですよ。心の底から祈りを捧げましょう。でも一人で行うのが難しいなら、私と一緒にお題目を唱えればいいじゃないですか。必ず気持ちが変わってきますよ。」

    九識霊断法の霊示も踏まえ、このようにお伝えしました。その時に女性が見せたハッとしたような表情は強く印象に残っています。きっと今までの信仰を振り返り、自分の姿の中に背きがあったことを気付いたのでしょう。

    私たちは常に変化しています。良い時もあれば悪い時もある。しかし変わらないものが確かにあります。それは私たちが常にご本仏様、倶生神様の無限の愛情に包まれているということです。ただし愛情を確かに受け取るためには、とても大切な条件があります。それは「愛情を素直に信じる心の底からの祈り」なのです。

    今年も信仰を大切に、倶生神月守を着帯して、しっかりお題目を唱えて参りましょう。

    妙親寺聖徒団 副団長教学講師廣田千城 先日、当山にお参りに来られた七十代後半の聖徒の女性が仰ったことです。 「…

  • 第76話 花房での布教

    第76話 花房での布教

    第76話 花房での布教

    されば日蓮は此経文を見候しかば、父母手をすり(擦)てせい(制)せしかども、師にて候し人かんだうせしかども、鎌倉殿の御勘気を二度までかほり、すでに頚となりしかども、ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申へんもあるやらん

    王舎城事

    清澄を出た後の大聖人の足跡は、「鎌倉に居を移し…《というのが一般的な御一代記で知られるところですが、実はしばらくの間、少なくとも立教開宗同年の暮れまでは花房蓮華寺のある西条に滞在したと思われます。

    危うく難を逃れ花房に身を寄せた大聖人ではありますが、恐れをなしてそのまま身を潜められるようなお方ではありません。花房を拠点として近隣に出向いては、清澄での初転法輪と同様に法華経の正しさを説き、念佛信仰への批判を繰り返しました。その教えは人々の間に徐々に広まり、深く感銘を受ける者もあれば、反対に自身の信仰を批判され激怒する者もいました。また当時は中心となる清澄寺の他にも、子院となる天台寺院が点在していたとされていますので、それらの寺院を巡っては法論を繰り返していたことも推測されます。

    やがてその噂は一帯に伝えられ、当然のことながら東条景信も聞き及ぶところとなりました。

    「道善坊の嘆願を受けて命ばかりは助けてやったものを、懲りることなく念佛批判を続けるとは、もはや捨て置くわけにはいかぬ《と、領民をけしかけて大聖人を激しく非難させ、場に応じては襲撃もいとわぬよう仕向けました。それを察した浄顕房、義浄房ら兄弟子たちは、近く危険が及ぶのではなかろうかと、弟弟子の言動を心配しました。そして誰よりもその身を案じたのは、大聖人のご両親でした。

    その教えの正しさを理解しながらも、このままではいずれ我が子は命を落とすであろうと憂い、これ以上の激しい振る舞いは控えてほしいと願ったのです。大聖人もまた、そんな両親のことを大変に苦慮されていました。自身の身はどれほど傷つこうとも構わぬ覚悟はありますが、恩ある父母が悪僧を産んだ大悪人と罵られては上憫でなりません。しかしここで正しき教えを捨ててしまっては、却って父母を無間の地獄へ落とす業となってしまいます。

    大聖人は涙ながらに父母の願いを退け、法華経弘通の意思を貫き通すことを伝えました。その思いの強さを知ったご両親は、もうこれ以上我が子をいさめることをせず、自分たちを弟子にして欲しいと願ったのです。大聖人は自身の吊をそれぞれ与え、父に「妙日《、母に「妙蓮《の法号を授けました。これが今の善日麿に出来る精一杯の、そして最上の親孝行だったのです。

    されば日蓮は此経文を見候しかば、父母手をすり(擦)てせい(制)せしかども、師にて候し人かんだうせしかども、鎌倉…

  • 第78話 無量義経の段 その三十六

    第78話 無量義経の段 その三十六

    第78話 無量義経の段 その三十六

    1.日本人より優れている人びとは、異教徒の間には見いだすことができない
    (フランシスコ・ザビエル)

    基督教による日本侵攻の先鋒と言えば、髪の毛フサフサなのに敢えて頭頂だけは剃髪という不思議なヘアスタイルでも有名な、聖人フランシスコ・ザビエルです。

    そのザビエルが(カトリックにおける)日本の守護聖人と定めたのが、かの有名な熾天使(セラフ)ミカエル(なぜか今はザビエル自身が日本の守護聖人ですが)です。このミカエルは、警察官や救急隊員の守護者であり、またお菓子職人の守護者(故にミカエルの縁日、九月二十九日は洋菓子記念日だそうです)にして、やがて来るというハルマゲドンにて、悪魔の化身たる邪龍を打ち倒すものとしても有名な大天使です。

    そんなミカエルこそが、唯一神に仕える全ての天使たちの頂点に立つ、大天使長とされています。火・風・水・地の四大元素中、火を司る天使ゆえに、眩い耀きを放ち、上へ上へと上昇することが、頂点に立つに相応しいイメージなのでしょうね。

    実はこの「火」という元素の重視は、佛教においても同様なのです。

    2.俺のこの手が真っ赤に燃えるぅ!勝利を掴めと、轟き叫ぶぅ!
    (ドモン・カッシュ)

    佛さまのお使いとして、衆生救済に当たられる存在と言えば、ご存じ菩薩さま。文殊菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩等々、数多の菩薩方がいようとも、その頂点を極めるのが、日蓮大聖人の前世たる上行菩薩であることは、日蓮佛教を学ぶ者なれば常識中の常識でしょう。

    実はこの上行菩薩もまた、その属性は輝き燃え上がる火の元素。佛教とカトリック、全然違う宗教なのに、どちらも至高の存在に仕える使者のトップは、火の属性なんですね。

    是の菩薩衆の中に四導師あり。一を上行と名け、二を無辺行と名け、三を浄行と名け、四を安立行と名く。是の四菩薩其の衆中に於て最も為れ上首唱導の師なり。

    妙法蓮華経従地涌出品第十五

    似ているのは、トップだけではありません。上行菩薩に続くのは、風の属性たる無辺行菩薩、水の属性たる浄行菩薩、地の属性たる安立行菩薩(もっとも四大菩薩と四大元素の関係は、法華経そのものには明示はされていませんが・・・)ですが、これってミカエルに続く熾天使たち、風のラファエル、水のガブリエル、地のウリエルと、その属性も序列も全く同様、ピッタンコ・カンカンなんですね。

    3.もっと有名になりたい!
    (松島 彩)

    片やいつの日か天界より舞い降りて、悪しき人類を殲滅する存在。片や大地の奥底から湧き出でて、全ての衆生をお救い下さる存在と、その役割は全く真逆な立場ではあっても、共に神や佛といった至高の存在よりのお使いです。

    だからでしょうか、四大天使と四大菩薩には、その特性、人数、序列等々と、共通点が多いところが、何ともはや意味深ですね。

    もっとも、カトリック教徒以外にも有名な四大天使と比べ、四大菩薩の一般的な認知度の低さは、異常とも言えるほどです。これでは「日蓮大聖人は本化上行菩薩の再誕」と言っても、他教他宗未信無信心の方々にとっては、何のことやらで終わっちゃいますよね。

    これは我ら日蓮門下一同も、よくよく反省すべき点でしょうな…

    大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一) 1.日本人より優れている人びとは、異教徒の間には見…

  • 第67回 心持ちをよくするために

    第67回 心持ちをよくするために

    第67回 心持ちをよくするために

    世の中には仏教説話というお話がたくさんありますが、皆様はこのような説話をご存知でしょうか?それは、ある男が地獄の世界と仏の世界を、それぞれを見学してきたというお話です。

    男はまず地獄へ行きました。すると、ちょうど食事の時間で、大きなテーブルの周りに地獄の住人が集まっていました。男は「地獄だからさぞかし質素な食事であろう」と思いましたが、運ばれてきたのはなんとたくさんの豪勢な料理!男は「本当にここは地獄なのか?」と思いました。しかし、よく見ると地獄の箸は非常に長く、一メートルはあろうかという長い箸でした。そのため一生懸命に食べようとしても、自分の口に料理が入りません。「なるほど、食べたくても食べられず苦しむのが地獄なのか」と男は気付きました。おまけに、長い箸の先が隣の人を突いてしまい、いたるところでケンカが起きていました。次に、仏の世界へ行きました。仏の世界も食事の時間でした。見ると、テーブルの上には色とりどりの豪勢な料理!男は「仏の世界の箸は普通の長さだろう」と予想していると、なんと仏の世界も長い箸が置かれています。男が驚いていると、食事が始まりました。仏の世界の人達は、長い箸でつまんだ料理を向いの人の口元に運び、お互いに食べさせていました。「どうぞ」「ありがとう。お返しにこれをどうぞ」。仏の世界は地獄と違い、長い 箸を相手のために使っていたのです。

    どこかで聞いたことがある方も、初めて聞いたという人も、この説話から何を感じましたか?どんなことをお考えになりましたか?

    似たような話は現実にもよくあります。例えば、新型コロナウイルスが猛威を振るいはじめた頃、お店に行ってもマスクが手に入らない状況が続きました。一方でインターネット上ではマスクが市場価格を大幅に超えた額で売られていました。マスクの一番の役割は、感染者が装着して飛沫を飛ばさないことです。しかし、感染者がマスクをしたくても手に入らず、結果として感染が広がってしまいました。「自分さえよければ」と買い占めてしまう行為は、結局は感染を拡大させ、自分も感染するリスクを高めてしまいます。それは長い箸を自分のためだけに使い、結局苦しんでしまうことに似ています。

    長い箸もマスクも、扱う人自身の心もちが重要です。「自分さえよければ」と思うのも、「自分も相手もみんなが満たされたら」と思うのも、同じ心です。

    心について日蓮聖人はこのように仰っております。

    この曼荼羅を身にたもちぬれば、王を武士のまほるがごとく、子ををやのあいするがごとく、魚の水をたのむがごとく、草木のあめをねがうがごとく、とりの木をたのむがごとく、一切の仏神等のあつまりまほり、昼夜にかげのごとくまほらせ給ふ法にて候ふ。よくよく御信用あるべし。

    一生成仏鈔

    私達の心の中には、自分のことしか考えない地獄の心もあれば、他の人のことを思いやれる仏の心もあります。そして、私達の心もち次第で、今いる場所は浄土(仏の世界)にも穢土(穢れた苦しみに満ちた世界)にもなります。

    人はもともと清い心を保つことが苦手なものです。過ちもたくさん犯してしまいます。大事な事もすぐ忘れてしまいます。長い箸の使い方に気づけず、必要以上にマスクを買ってしまいます。

    しかし、私達には法華経とお題目があります。倶生神月守と九識霊断法があります。九識霊断法で自分ではわからない深いところの心の状態を知り、倶生神月守を胸に抱き一心にお題目を唱えることで私達の心は磨かれ、そして、心の奥底にある仏の心が目を覚まします。是非、それぞれのお寺で毎月行われている盛運祈願会に参加し、仏の心を思い出すきっかけにして下さい。九識霊断法を用いて、正確に仏の心を目指してください。そして、法華経・お題目の輪、九識霊断法・倶生神月守の輪を広げ、長い箸を人のために使える、そんな仏の心もちの人が増えるよう、共に励んでまいりましょう。

    世の中には仏教説話というお話がたくさんありますが、皆様はこのような説話をご存知でしょうか?それは、ある男が地獄…

  • 第66回 役に立つ ~ 自分の為に、誰かの為に ~

    第66回 役に立つ ~ 自分の為に、誰かの為に ~

    第66回 役に立つ ~ 自分の為に、誰かの為に ~

    愛知県名古屋市 本住寺聖徒団 団長
    日蓮宗霊断院 九識霊断法研究部主任
    永田智瑛

    一年の始まりや年度の始まりには、「この一年間がどうなるのか」等の期待と不安が入り混じる心地になるものです。年頭には一年間の無事安泰を願ってご祈祷を受けたり、その年の運勢を霊断法に尋ねられる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

    昨年の初め「今年前厄になるので、厄祓いをしてほしい」と三十一歳の女性Aさんが、聖徒の紹介でお寺に尋ねて参りました。「神頼みはしない」という人でもついつい気になってしまう厄年です。

    肉体的・精神的変化が大きく、体に気を付けなければならない年齢、男性は四十代始め、女性は三十代半ばを先人たちは「厄年」と考えてきました。厄年とは人生の節目や病気・災難の恐怖から逃れるための先人たちの智恵なのです。

    Aさんは単に「神社のお祓いよりもお寺の方が何となく効きそう」ということで、縁あって当山に来られました。

    私は「ご祈祷する前に九識霊断法によって物事の真相を明らかにします。そうすることで、より深く注意点や改善点が判明します。また霊断を行うときには心を落ち着かせることが不可欠です。お題目は心を整える薬です。」と霊断指導を勧めました。

    突然の提案に戸惑っていたAさんでしたが、霊断法を受け、お題目を唱えました。

    仏様のお導きによると、しばらく経ってから環境や状況が激変し、それが続いていく。(当時は考えもしませんでしたが、それは新型コロナウイルスの猛威であると考えられます。)状況に振り回されてしまうものの、周りの人たちの力添えにより過ごしていけるであろうとご教示いただきました。しかしAさんの祈りの姿がままならないのはなぜなのでしょうか。

    私は「あなたを頼りにしているご先祖様の心当たりはありませんか?」「もしかしてお父さんかな・・・」と尋ねました。

    お父さんは五年前に亡くなられていました。ご両親は当時離婚していたため、亡くなった父の生前、亡くなった後の状況を詳しく知ろうとせず現在に至っていました。ただ遺影だけはずっと家に置いてあり、一人暮らしをする際にも持ち込み、月命日にはお線香をあげて手を合わせていたと言います。しかしいつの間にかお線香をあげることも、手を合わせることもなくなり、遺影は押し入れに片づけた状態になってしまい、供養の心を忘れていました。

    「どんなことがあってもお父さんはあなたの唯一の存在。あなたはお父さんにとってかけがえのない存在に変わりありません。」と伝えて、厄除け祈祷とお父さんの追善供養を執り行うことにしました。

    この曼荼羅を身にたもちぬれば、王を武士のまほるがごとく、子ををやのあいするがごとく、魚の水をたのむがごとく、草木のあめをねがうがごとく、とりの木をたのむがごとく、一切の仏神等のあつまりまほり、昼夜にかげのごとくまほらせ給ふ法にて候ふ。よくよく御信用あるべし。

    妙心尼御前御返事


    日蓮大聖人のおっしゃられる曼荼羅を身に保つということは、お題目の道を歩み続けるということです。お題目を持ち、行い、護り、弘めるという誓いに外なりません。そして何より深く、深く信仰する姿の事なのです。その先に必ず護りがあります。

    何の巡り合わせか自分の厄除けに来たはずが、亡きお父さんへ手向ける供養の心を思い出すきっかけとなりました。倶生神月守を握りしめ手を合わせ祈るAさんの姿を拝見すると、それは亡くなったお父さんの為にお題目を唱えているように見えました。Aさんがお帰りになる姿はどこか晴れやかで、清々しさを感じられるものでした。


    倶生神月守を胸に、体に気を付けながら、厄年には自分の為に祈りを捧げましょう。それと同時に今あるいのちに感謝し、塞ぎ込むのではなく、誰かの何かに役立つ年、「役年」と捉えて躍動する一年にいたしましょう。

    愛知県名古屋市 本住寺聖徒団 団長日蓮宗霊断院 九識霊断法研究部主任永田智瑛 一年の始まりや年度の始まりには、…