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  • 第86話 弟子檀越との結縁 その二

    第86話 弟子檀越との結縁 その二

    第86話 弟子檀越との結縁 その二

    鎌倉に筑後房、弁阿闍梨、大進阿闍梨と申す小僧等これあり。これを召して御尊びあるべし。御談議あるべし。大事の法門等ほぼ申す。彼等は日本にいまだ流布せざる大法少々これを有す。随て御学問注し申すべきなり

    波木井三郎殿御返事(はきりさぶろうどのごへんじ)

    前回の日昭上人に続いて、今月は日朗上人についてご紹介をいたします。

    冒頭の御書にある「筑後房」とは、日朗上人のことを指しています。日朗上人といえば「大黒阿闍梨」の号が一般に知られていますが、出家当初は「筑後」を名乗っていました。この書にある通り、日昭上人と並び日蓮大聖人の大切な教義を深く理解され、「私に代わって日朗を使わすので、詳細はその者に聞きなさい」と名代を任されるほど、碩学であることはもとより、大変な信頼を置かれていた方でした。

    出生はやはり下総国(現在の千葉県北部)で、海上郡能手郷の生まれと言われています。父は平賀次郎有国、母は前回お話しした通り日昭上人の妹君です。大聖人への弟子入りについては諸説ありますが、『本化別頭仏祖統紀』によれば、父平賀有国が鎌倉にて大聖人と対面し、その人柄と深い教えに感銘を受け息子吉祥丸(後の日朗上人)を弟子入りさせたとあります。

    しかし前出の『玉沢手鑑』などでは、少々話しが異なります。実は大聖人と日昭上人の間には、以前より密約があったとされるのです。それは大聖人立教改宗の暁には、自身もあらゆる力を尽くして協力するとの約束でした。その約束通り、日昭上人はまず自らが第一の弟子となり、次いで甥である吉祥丸を弟子入りさせたと伝えられているのです。その真偽は定かではありませんが、何れにせよ日朗上人もまた、印東一門との強い結びつきの中で結縁されたお弟子であるのです。

    ちなみに日昭上人は大聖人と出会う前より出家得度をし、同時期には既に叡山にて天台の学僧として学んだ仲です。つまり大聖人の弟子となったとは言え、その身分はあくまで天台門下の僧侶となります。しかし日朗上人は、どの既成教団にも入門することなく直接大聖人に弟子入りをした、いわゆる私度僧という特異な経歴を持ちます。即ち、日蓮大聖人の初めての直弟子ともいえる存在なのです。この時まだ十歳と幼い吉祥丸ですが、やがて大聖人の身近に仕えその教えを受けた日朗上人は、「師孝第一」の誉れ高き高弟へと成長していくのです。

    鎌倉に筑後房、弁阿闍梨、大進阿闍梨と申す小僧等これあり。これを召して御尊びあるべし。御談議あるべし。大事の法門…

  • 第85話 弟子檀越との結縁

    第85話 弟子檀越との結縁

    第85話 弟子檀越との結縁

    この書は随分の秘書なり。已前の学文の時も、いまだ存ぜられざる事ほぼこれを載す。他人の御聴聞なからん已前に御存知有べし。惣じては、これよりぐ(具)していたらん人には、よ(依)りて法門御聴聞有るべし。互に師弟とならんか。恐々謹言

    弁殿御消息(べんどのごしょうそく)

    名越の辻に立ち法華経の大切さを説かれ続ける大聖人のもとには、日増しに聴聞の者がその数を増していきました。大聖人は決して一方的に持論を並べるだけの説法などなさりません。ある時は道行く人足や商人のために易しくお題目の功徳を説き、またある時は、御家人たちの姿を見るや邪教による国家存亡の危機を声高に叫びます。機を見て法を説くその類い希なる話術によって、次第に多くの人々が辻に立つ名も知らぬ僧侶の、しかし魅力あふれる言葉に惹かれていくのでした。

    こうしてこの鎌倉布教の時期には、後に高弟や大檀越として大聖人を支える多くの人々との出会いや入信がありました。ここではその内の何方かをご紹介したいと思いますが、まずはなんと言っても六老僧筆頭と称される弁阿闍梨日昭上人です。先の御文章は大聖人が弁阿闍梨に送られた物ですが、これを見てもその信頼の厚さがうかがえます。もっとも日昭上人との出会いは立教開宗以前に遡るのですが、正式に弟子となり「日昭」の名を拝したのはやはりこの時期であると言われています。

    日昭上人の出自や経歴については不明な点も多く、伝記によってそれぞれ父や母の名から出生次期まで異なっています。ここでは一般的とされる『玉沢手鑑』を基として、ご紹介致しましょう。

    出生は下総国(現在の千葉県北部)猿島郡印東領能戸村とされ、姓は藤原、氏を印東と称しました。父の名は印東次郎左衛門尉祐照と言われますが、『本化別頭仏祖統記』では「祐照」ではなく「祐昭」となっています。これに因んだ逸話として、大聖人は日昭上人の親への孝を大変に尊ばれ、父の名から「昭」の一字を取り「日昭」と名付けたとも言われています。母は同氏伊東大和守祐時の娘で、後に大聖人より「棧敷尼」あるいは「妙一尼」と称ばれた女性と言われています。

    兄弟には兄、姉、そして妹がいましたが、姉は池上左衛門大夫康光に嫁ぎ、大檀越となる池上宗長、宗仲兄弟を産みます。また妹は平賀次郎有国の妻となり、その子ども、すなわち日昭上人の甥が同じく六老僧の大黒阿闍梨日朗上人となるのです。また後に有国が早世すると平賀左近将監忠治と再婚し、六老僧に次ぐ高弟九老僧の肥後阿闍梨日像上人や、大教阿闍梨日輪上人の母となります。姉妹共にまさに教団の母とも呼べる人物なのです。

    この書は随分の秘書なり。已前の学文の時も、いまだ存ぜられざる事ほぼこれを載す。他人の御聴聞なからん已前に御存知…

  • 第83話 鎌倉弘教の始まり

    第83話 鎌倉弘教の始まり

    随つて章安大師末代の学者を諫暁して云く「佛法を壊乱するは佛法の中の怨なり。慈無くして詐わり親しむはこれ彼の人の怨なり。よく糾治する者はすなわちこれ彼が親なり」等云云。余はこの釈を見て肝に染むるがゆえに身命を捨ててこれを糺明するなり

    太田殿許御書

    松葉ヶ谷に居を構えられた大聖人は、清澄を追われた心労を癒やす間も惜しむように、早速に小町大路の辻に立たれると、邪法を捨て法華経を信ずることの大切さを民衆に説き始められました。いわゆる鎌倉辻説法の始まりです。

    当時鎌倉の市中では、このように自身の信ずる道を弘めようとする僧侶の姿が、そこかしこで見受けられました。あるいは念佛を唱えて市中を廻り、またあるいは己の行として托鉢に勤しむ修行僧などです。しかしその中でも大聖人のお姿は、群を抜いて人目を引いていたと思われます。

    まず当時の鎌倉では、念佛信仰が民衆の間で流行となっていました。以前にお話をしたように、大衆のみならず天台僧である道善御坊ですら念佛を信仰していた程です。また武家の間では禅の教えを幼少の教養として学び、更には武士として大切な一種の精神鍛錬として重用していました。そのような環境のなかで、真言、念佛、禅などのあらゆる教えを真っ向から否定し、ただひたすらに法華経のみを信ずることを声高に説くのです。しかもその傍らには、今まで誰も目にしたことのない「南無妙法蓮華経」のお題目が記された大きな御旗が、相模湾より寄せる風にたなびいているのです。これには道行く人々も、思わず足を留めずにはいられなかったことでしょう。

    そして大聖人が名越の地に拠点を定められた狙いもまた、見事に的中していました。辻とは四方の道が交わる場所を意味します。いわばそこを往来する様々な人々、様々な文化が交わる中心地なのです。小町大路の辻は、北に政治の中心となる幕府とその要人たちの住居、南には材木座のような商業地域が広がりを見せています。その中心に立ち教えを説くならば、武士や商人、あるいは船乗りや人足など、あらゆる人々にその声を届けることが出来るのです。

    大聖人は鎌倉祖師の中では珍しく、東国出身の僧となります。そのため都の人々とは違った東人の気質を、誰よりも熟知されていたことでしょう。そのような人々に強烈なインパクトを与えながら、辻に立ち教えを説かれ続ける大聖人の周囲は、たちまち黒山の人だかりとなっていくのです。

    随つて章安大師末代の学者を諫暁して云く「佛法を壊乱するは佛法の中の怨なり。慈無くして詐わり親しむはこれ彼の人の…

  • 第82話 名越の御草庵 その二

    第82話 名越の御草庵 その二

    第82話 名越の御草庵 その二

    名越切通ハ三浦ヘ行道也。此峠、鎌倉ト三浦トノ境也。甚嶮峻ニシテ道狭。左右ヨリ覆ヒタル岸二所アリ。里俗、大空小空ト云フ。峠ヨリ東ヲ久野谷村ト云、三浦ノ内也。西ハ名越、鎌倉ノ内ナリ

    新編鎌倉志(しんぺんかまくらし)

    これは江戸時代に水戸光圀公によって編纂された『新編鎌倉志』という地誌に見られる記述です。ご存じ「助さん、格さん」との世直し道中とまではいきませんが、光圀公は実際にご自身の見聞を元としてこの書を編纂されたと言われていますので、かなりの正確な記録といえます。

    これに拠ると、名越は鎌倉と三浦を結ぶ街道の重要な分岐点であったことがうかがえます。そして「名越」の地名は古く『吾妻鏡』にも見られますので、大聖人ご在世には既に鎌倉方にとっての要所であったのです。それを裏付けるかのように、半島南部よりこの名越切通に至る道中には、鎌倉五名水の一つである「日蓮乞水」と呼ばれる井戸があります。説に拠れば、房州より鎌倉へ向かう大聖人が、道すがら喉の渇きを癒やそうと持っていた杖で地面を突くと、不思議なことにそこから清水が湧き出たと伝えられています。おそらく大聖人もこの街道を抜け、鎌倉を目指されたのでしょう。

    また名越は街道の要所のみならず、軍事的に重要な地でもありました。当時は源氏によって鎌倉に幕府が開かれたとはいえ、半島を所領とする三浦一族の勢力は無視出来るものではありません。ことに幕府の実権が将軍家より執権の手に移ると、北条氏にとって三浦氏は最大の対抗勢力となりました。そこで名越の切通付近に北条一門の館を構え、三浦勢から鎌倉を守るための防壁としたのです。

    それ故に「名越」の名は、北条氏の一流を示す名ともなりました。源頼朝の正室で知られる北条政子の父北条時政は、この地を所領とし館を構えていました。後にその館を継いだ孫の北条朝時は、所領地より名越の名を称して名越流北条氏の祖となったのです。実はこの朝時の母は、後に大聖人と深い関わりを持つ比企氏より嫁いだ姫でした。そして同じく後に大檀越としてその名を知られる四条左衛門尉頼基(金吾)もまた、父の代よりこの名越北条氏に使える家臣であったのです。

    大聖人がこの名越の地に庵を結ばれ布教の拠点と定められた理由は、鎌倉を往来する人々の要所と見定められたのはもちろんですが、法華経に深く縁を結んでゆく人々の後ろ盾があったからこそと推測されます。したためられたお手紙等には、当地のご草庵を「小庵」と記されています。しかし人馬が骸となって道々にその身を晒しているような世情の中で、僅かな人々が集い教えを聞くほどの庵を建立することですら、決して容易ではないことが想像できましょう。おそらく新天地鎌倉にてお題目を弘めゆくための準備は、既に大聖人との縁を持つ様々な人の力によって、着々と進められていったのではないでしょうか。

    名越切通ハ三浦ヘ行道也。此峠、鎌倉ト三浦トノ境也。甚嶮峻ニシテ道狭。左右ヨリ覆ヒタル岸二所アリ。里俗、大空小空…

  • 第81話 名越の御草庵

    第81話 名越の御草庵

    第81話 名越の御草庵

    戒壇とは王法佛法に冥し、佛法王法に合して王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘のその乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて、戒壇を建立すべきものか。時を待つべきのみ。事の戒法と申すはこれなり

    三大秘法禀承事

    石渡左衛門尉の庇護を受けながらしばし旅の疲れを癒やされた大聖人は、いよいよ目的の地に向かって出立されました。その詳しい足取りを追うことはもはや不可能ですので、布教の拠点と定める鎌倉についてここで少しお話をしましょう。

    以前にも触れた通り、今や時代の趨勢は公家勢力より武家中心の政治へと移ろうとしていました。当然ながらその拠点となるのが、大聖人の目指す鎌倉の都です。

    冒頭にある御書に記されるように、大聖人は国家を治める法が釈尊の教え、すなわち佛法と合一してこそ国家は安定し、そこに住む民は安穏な暮らしが出来るとお考えでした。成佛そして浄土とは絶対安心の境地であり、それは飢えや苦しみ、戦災や災害に怯えることなく、人々が安心して日々を送ることに他なりません。その目的を果たすためには、最終的には国家を治める施政者までをも正しい教えに導かなければならないのです。そのための鎮護国家の法は法華経を置いて他にはなく、その法華経を弘めるための最勝の地とは、政治の中心地となった鎌倉なのです。

    当然それが一筋縄ではいかぬことなど、大聖人は百も承知です。いきなり名もなき辺境の坊主が天下の覇者にものを申したところで、誰も取り合ってはくれないでしょう。そこでまずは民衆の中に教えを弘め、衆目を集めることが大切な第一歩となります。もちろん大聖人のお心は、いくども申し上げた通り一切衆生の成佛にありますので、民の中に正しい教えが弘まることは、元々の目的を果たすことともなるのです。

    そこで大聖人が目を付けられたのが、鎌倉は大町の名越でした。この名越地域にある松葉ケ谷こそが、大聖人にとってまさに理想の布教拠点であったのです。その理由として考えられることはまた次回に詳しくお話をしますが、この計画は善し悪しを含め大変な効果を上げたことが、後の出来事より推察されます。それはまた、後に起こる数々の御法難、大聖人の苦難の御生涯へと繋がってゆくのです。

    戒壇とは王法佛法に冥し、佛法王法に合して王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘のその乃往を末法濁…

  • 第83話 無量義経の段 その四十一

    第83話 無量義経の段 その四十一

    第83話 無量義経の段 その四十一

    1.我が手に掴めぬもの無し!
    (豊臣秀吉)

    『法華経』というお経のタイトルである「南無妙法蓮華経」こそが、私たち迷える凡夫に贈られた“救いの切り札”であり、“究極の救いの手”だったのです。た・だ・し!あくまでもそれは、「外から来る救いでは」ということです。

    究極の救い、本当の幸福たる成佛への鍵は、ただ外から、つまり他者から与えられるだけでは、残念ながらパーフェクトとは言えないんですね、これが。

    そう、切り札たる究極の救いの手は、実は受け手である私たちの内にもあるのです。

    譬ば高き岸の下に人ありて登る事あたはざらんに、又岸の上に人ありて縄をおろして、此縄にとりつかば我れ岸の上に引登さんと云はんに、引人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて、手を納て是をとらざらんが如し。争か岸の上に登る事をうべき。若其詞に随ひて、手をのべ是をとらへば即登る事をうべし。唯我一人能為救護の佛の御力を疑ひ、以信得入の法華経の教への縄をあやぶみて、決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず

    譬ば高き岸の下に人ありて登る事あたはざらんに、又岸の上に人ありて縄をおろして、此縄にとりつかば我れ岸の上に引登さんと云はんに、引人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて、手を納て是をとらざらんが如し。争か岸の上に登る事をうべき。若其詞に随ひて、手をのべ是をとらへば即登る事をうべし。唯我一人能為救護の佛の御力を疑ひ、以信得入の法華経の教への縄をあやぶみて、決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず

    持妙法華問答鈔(じみょうほっけもんどうしょう)

    いかに優れた名馬でも、乗りこなせる優秀な騎士がいなければ、名馬も真の力を発揮することなく、いかに強力な必殺技といえども、それを使える術者なくしては何の意味もなさない。

    同様に、いかに壽量ご本佛・釈尊の究極の救いの手である、「南無妙法蓮華経」のお題目といえども、受け手である私たちに、それを受容できる器がなくては、何の意味も成さないわけですね。そのお題目を受けとる器こそが、実は「南無妙法蓮華経」という名で呼ばれる、いま一つの存在なのです。

    2.もうだれにもバカにさせない。みんなにぼくの名前を覚えさせてやる、明晴の吉田剛だ!
    (吉田剛)

    吉田剛くんはどんなに頑張っても、天才の上杉達也には叶いませんでした。いかに天津飯やクリリンが修行を極めても、サイヤ人の血筋の前では意味もありませんでした。これらは生れ持った能力の差が、いかんともし難いという残酷な例。

    されど究極の救いの手たる「南無妙法蓮華経」を受け取る器には、そんな差別はありません。誰もがお題目を受け取る器、能力を持っています。

    無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり

    御義口伝(おんぎくでん)

    外から来るお題目を受け取るのは、やはり私たちの内なるお題目です。

    私たちの心の中にも、実はご本佛さまが存在しており、そのご本佛さまの名を、「南無妙法蓮華経」とお呼びするのです。

    我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の佛性、南無妙法蓮華経とよびよばれて、顕れ給ふ処を佛とは云うなり

    我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の佛性、南無妙法蓮華経とよびよばれて、顕れ給ふ処を佛とは云うなり

    法華初心成仏鈔(ほっけしょしんじょうぶつしょう)

    外に在(ましま)すご本佛・釈尊がお与え下さる救いの手である「南無妙法蓮華経」(お経のタイトル)と、私たちの内なる「南無妙法蓮華経」(己心のご本佛のお名前)とが呼応する時、真の救いは実現するんですね。

    譬へば篭の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば、我身の佛性もよばれて必ず顕れ給ふ。梵王、帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。佛、菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ

    法華初心成仏鈔

    己心のご本佛さまは、誰にでも存在しています。大切なことは、それを知り、そして信じることです。それと同様に、外からの救いの手であるお題目の力を信じることも、もちろん重要なのです。

    1.我が手に掴めぬもの無し!(豊臣秀吉) 『法華経』というお経のタイトルである「南無妙法蓮華経」こそが、私たち…

  • 第80話 石渡左衛門尉の挺身

    第80話 石渡左衛門尉の挺身

    第80話 石渡左衛門尉の挺身

    佛の滅後において四味三教等の邪執を捨て、実大乗の法華経に帰せば、諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩、法華の行者を守護せん。この人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以つて閻浮提に広宣流布せしめんか」

    顕佛未来記(けんぶつみらいき)

    不思議な猿に導かれ、ようやく目指す半島を目前にした一行ですが、逸る気持ちとは裏腹に船は一向に先へ進もうとはしません。

    それもそのはず、猿島より陸地へ至る一体は延々と浅瀬の続く遠浅の浜で、船を漕ぎ入れるには水深が足らず、かと言って歩くには距離も深さもある難儀な場所でした。まして衣をまとった坊さまに、ずぶ濡れになって海の中を歩かせるわけにもゆかぬもの。船頭もほとほと困り果てていたところ、一人の男が袴の裾をたくし上げ、海の中をこちらに向かって来たのです。「見るに難儀をしているご様子。どうぞ私の背におつかまり下さい」。そう言うと、その男は大聖人を背負って陸へ歩き出しました。

    無事に陸地へと送り届けられた大聖人に、その男はこんな話を告げました。「私は昨夜不思議な夢を見ました。その夢は、東方より高貴な方が訪れるというお告げなのです。そこで今朝方より海を見ておりますと、あなた様が船で立ち往生しているご様子。お告げはきっとこのお方に違いないと、急ぎお助けに参った次第にございます」。大聖人は「それは大変有り難きこと。どうか貴殿の名をお聞かせ願いたい」と訪ねると、その男は「公卿村の石渡左衛門尉と申します」と名乗りました。

    この者の出来はきっと諸天のご守護に相違ないと思いながら、ふと改めて左衛門尉の姿を見ると、その足下は傷だらけで血に染まっているではありませんか。これは何事かと訪ねれば、「これは今し方浜のサザエで切ったものです。どうかお気に召されるな」と知らされました。それは不憫と思い、大聖人が再びお題目をお唱えすると、不思議なことにそれ以来この浜のサザエには角がなくなってしまったと伝えられています。

    この者を大変気に入られた大聖人は、雨風を凌ぐのに格好の岩屋を見つけられると、そこに一月あまり滞在しました。そして左衛門尉の庇護を受けながら、鎌倉布教の成就を祈願されたと言われています。後にこの場所には聖人垂跡の聖地として「御浦法華堂」が結ばれ、現在に続く猿海山龍本寺の礎となるのです。

    佛の滅後において四味三教等の邪執を捨て、実大乗の法華経に帰せば、諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩、法華の行者を…

  • 第82話 無量義経の段 その四十

    第82話 無量義経の段 その四十

    第82話 無量義経の段 その四十

    1.こんなにも違うのか・・・暗殺と、実力が拮抗した相手と命懸けの戦闘をした時の経験値。
    (キルア・ゾルデック)

    南無妙法蓮華経とは名前、それも二つの存在を同時に現す不思議な名前です。一つは読んで字の如く、お経のタイトルとしての名前です。それもただのお経ではありません。ご本佛釈尊の本懐を説く最高のお経、いわばご本佛釈尊の功徳が余すところなく説き尽くされた、まさに諸経の王たるお経なのです

    釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。

    観心本尊抄

    名前こそは、その名の示すものの本質であり、実態そのものです。さればこそ、南無妙法蓮華経というタイトルの一言には、法華経の本質たる、ご本佛釈尊の功徳の全てが納められていることになります。実はこの功徳は、大きく二つに別けられるのです。

    一つはご本佛となるための原因です。すなわち、お釈迦様がご本佛となられるまでの、無限ともいえる果てしなき時の流れの中で、輪廻転生を繰り返しながら積んでこられた修行の功徳や、究極の位に至るまでの全ての経験値です。

    そしてもう一つは、ご本佛となられた結果です。つまり佛道修行による向上の極地、ご本佛となられたことで獲得された、究極の悟りの境地のことです。

    2.毒をくらわしてやったけど決定打ではないわ。とどめは ちゃんと刺さないとね!
    (アイラ)

    南無妙法蓮華経の中には、ご本佛となるための原因(本因)と、ご本佛となられた結果(本果)、その二種類の功徳全てが、たった七文字の中に込められているわけなんですね。

    故に私たちは、この七文字を信じ唱えることで、そのままこの本因と本果の大いなる功徳を、ご本佛釈尊から直接頂戴できるんです。

    これってゲームに例えれば、コツコツと弱い敵を倒しながらレベルアップしなければならないところを、特殊なパスワードを入力したら、アララ不思議!たちまちレベルがマックスに、といった感じですな。まあゲームだとインチキだけど、大事な人生にとっては、これぞ救いの決定打なんですね。

    3.もどかしいわね、救いのない人ね、悲しくなるのよ
    (中森明菜)

    お経のタイトルこそが、実はご本佛釈尊から私たちへ与えられた、究極の贈り物を受け取るための、大切なキーワードだったわけです。

    ご本佛釈尊とは、御存じの通り霊山浄土という最高の佛国土に居ますお方です。そこから私たちに、本因本果という究極の贈り物をお授け下さるわけですから、これは(救いのレベルは違えども)西方浄土からの阿弥陀佛の救い、東方浄瑠璃世界からの薬師如来の救い、オリンポスの頂きからの雷神ゼウスの救い、ヴァーラスキャールヴからの最高神オーディンの救い等々と同様、いわば外部からもたらされる救い、外から与えられる救いということになります。

    ああ、されどされど、残念ではありますが、実は私たちが本当の意味で救われるには、ただ外から与えられる救いだけでは足りないんです。そう、外があれば内もある。外と内、両方そろってこそ真の救いがあるのです・・・

    無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。

    1.こんなにも違うのか・・・暗殺と、実力が拮抗した相手と命懸けの戦闘をした時の経験値。(キルア・ゾルデック) …

  • 第81話 無量義経の段 その三十九

    第81話 無量義経の段 その三十九

    第81話 無量義経の段 その三十九

    1.山は樹を以て茂り 国は人を以て盛なり
    (吉田松陰)

    明治以前までの日本には、六十六の国々があったそうです。

    今でもよく聞く大和魂に河内音頭。美濃の蝮(まむし)に信濃のコロンボ、伊賀の影丸にカバ丸。越後の縮緬(ちりめん)問屋に越中富山の薬売り。讃岐うどんに丹波牛、備前焼に越前焼云々・・・、と言った言葉に含まれている、現在の公式な行政区ではない地域名や地方名というのは、殆どがこの昔の国名に当たるんですね。

    日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して、一も残さず。月氏の両字にあに七十ケ国なからんや。妙楽云く、「略して経題を挙るに、玄に一部を収む」。また云く、「略して界如を挙るに、具さに三千を摂す」。

    四信五品抄

    今では公式ではないと言っても、実はこちらの方が、平安の世から江戸の終わりまで、何百年も変わりなく使われてきたのですから、断然年季が違うというもの。いくら明治政府によって強引に変更されても、本来の国名はこうしてちゃんと残っているわけなんですね。

    六十六国・二嶋・已上六十八ケ国

    神国王御書

    この六十六の国々に、二つの島を加えた六十八の国の集まりが、言わば明治以前の日本の全貌。二つの島と言っても、それは壱岐・対馬のことであって、北海道と沖縄のことではありません。この二カ所は古事記日本書紀では日本の外、いわば外国だったんですね。

    それにしても壱岐・対馬はとても小さな島なのに、なぜか斯様な別格扱い。しかも、古代より朝廷に重要視されてきた神社(式内社)がとても多いのも、この二島の特徴なんです。

    なにしろ西海道の国々では、この壱岐・対馬が最も式内社が多いそうです。それだけ壱岐・対馬って、日本のとってもとっても大好きな重要ポイントなんですね。

    2.我が名はレギオン。我々は大勢であるが故に
    (レギオン)

    今の日本よりも範囲は狭いとは言え、それでも大小六十六もの国々。そこには広大な自然と様々な文明の所産があり、多種多様な生物、そして人間たちが生活していたわけです。

    そう、大聖人さまこそが、名前の大切さを知る古の人々の中にあって、なお一層深く、そしてより的確に、名前というものの本質、実態を把握されていたお方だったのです。

    妙法蓮華経の五字は経文にあらず、その義にあらず、ただ一部の意のみ。初心の行者その心を知らざれども、しかもこれを行ずるに、自然に意に当るなり

    四信五品抄

    さればこそ、大聖人さまは断言されます。妙法蓮華経の五字は、単なる標識ではなく、いわんやその内容でもないのです。法華経一部八巻に込められた、壽量ご本佛・お釈迦さまの悟りそのものなのだと・・・。

    3.レベルルェベルが違うんだよコノヤロー!
    (外道)

    だからこそ、お題目を信じる人は、その意味が解らなくても、唯々お題目を唱えるだけで、不思議と法華経に込められたご本佛さまのお悟りを直に受け取ることができるのです。お題目の信仰者は、たとえ佛道修行者として初心にも満たない単なる凡夫であっても、お題目をお唱えするだけで、真言宗の祖・善無畏三蔵法師、華厳宗の祖・智厳、法相宗の祖・慈恩大師、律宗の祖・澄照大師道宣、禅宗の祖・達磨祖師、そして浄土宗の善導和尚等々といった、遥かに高位な祖師の方々よりも、百千万億倍優れたる存在である。故にその姿や能力だけで、侮ったり蔑んではいけないんだと、大聖人は懇ろに教え諭されていらっしゃるのです。

    是皆名に徳を顕はせば、今妙法蓮華経と申候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収たるが如し。一塵に三千を尽す法門是也

    御義口伝

    1.山は樹を以て茂り 国は人を以て盛なり(吉田松陰) 明治以前までの日本には、六十六の国々があったそうです。 …

  • 第79話 猿島への上陸

    第79話 猿島への上陸

    第79話 猿島への上陸

    されば法華経をたもつ人をば、釈迦多宝十方の諸仏、梵天帝釈日月四天龍神、日本守護の天照太神八幡大菩薩、人の眼をおしむがごとく、諸天の帝釈を敬ふがごとく、母の子を愛するが如く守りおぼしめし給べき事、影の身にしたがふが如くなるべし

    行者佛天守護鈔(ぎょうじゃぶってんしゅごしょう)

    九死に一生を得た一行ではありましたが、いまだ難が去ったわけではありません。荒波に揉まれた船は当初予定していた海路を大幅に外れ、いまやどこに向かっているのかもわからない状況です。現在のように位置を知る便利な機器もない当時のことです、もしも湾を外れ外海に出てしまうようなら、そのまま漂流の末に命も落としかねません。まずは目の前に見えている小島に上陸しようと、船頭は船を漕ぎ進めました。

    島に上がった大聖人は小高い場所を見定めると、その場へ赴き天を仰ぎながら再びお題目をお唱えになりました「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無…《。それを静かに見ていた船頭ですが、先ほどの奇跡ともいえる出来事を目の当たりにしたばかり、何やら期待を抱かずにはいられません。

    そんな矢先のことです。ふと気がつくと、どこからともなく一匹の白い猿が現れました。当然ながら島に自生する野生の猿でしょう、しかし上思議なことにその猿は人の姿に怯える様子もなく、迷わず大聖人のもとへと近付いていったのです。そして大聖人の袖を取ると、まるでそちらを指し示すかのように、ある方向を見つめています。

    「ああ陸だ、陸があるぞ《猿の示す方角を見た船頭は、思わずそう叫びました。先ほどまではまったく気付くことのなかった陸地が、今ははっきりとその姿を見せています。「やっぱり上思議な坊さまだ。このお方と一緒なら、なぁんも心配することはねぇ《。喜び勇んで船へと走り、その陸地を目指して再び船を漕ぎ出しました。

    目指す場所はもう目の前です、なれた水夫の腕ならばあとは造作もないこと。と、軽い気持ちで小島を離れたのもつかの間、船頭の顔には再び困惑の色が浮かびます。それもそのはず、漕げども漕げども船は一向に前へ進んでくれようとしないのです。大聖人ご一行の行く手を阻む障害は、どうやらまだまだ続くようです。

    されば法華経をたもつ人をば、釈迦多宝十方の諸仏、梵天帝釈日月四天龍神、日本守護の天照太神八幡大菩薩、人の眼をお…