日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#090

立正安国への思い
その2

余此等の災夭に驚きて、ほぼ内典五千外典三千等を引き見るに、先代にも希なる天変地夭也。しかるに儒者の家には記せざれば知る事なし。佛法は自迷なればこゝろへず。この災夭は常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず。定めて佛法より事起るかと勘へなしぬ

下山御消息(しもやまごしょうそく)
立正安国への思い

大聖人は止むことなき各地での天変地異、そしてついに鎌倉をも襲った前の大地震を目の当たりにし、その原因を今一度深く考察されました。震災にて大打撃を受けた鎌倉の街を隅々まで歩き、家を焼け出され今まさに道ばたで命を落とさんとする人々の、かすかな声に耳を傾け続けます。

権威を誇る幕府は、そして大伽藍の寺院は、本来こうした人々にとって最も頼みとすべきそれらの勢力は、事ここに至ってなんら救いの力とならぬことを改めて知るのです。そしてもはやこの惨状の原因となるものは、国政などの世間の法に拠るものではなく、武士も商家も農民の別もなく、すべての人々の心深くに根付く法に由来があることに思いが至るのでした。それはすなわち、佛法に対する過ちより起こり来る災いであるとの結論です。

大聖人はすぐさまその原因を探るべく、一切経と呼ばれる膨大な経典を再び紐解き直すことを決意されました。そして正嘉二(一二五八)年、当時は天台宗寺院であった岩本實相寺の経蔵へ入られたのです。

立正安国への思い

實相寺は久安元(一一四五)年に鳥羽法皇の命により智印法印が建立した、天台宗(現在は改宗され、本宗の霊跡本山です)の古刹でした。天台宗の名僧円珍は、唐より二組の南宋判一切経を招来しましたが、その内の一組は以前にご紹介しました三井寺に、そしてもう一組がこの實相寺に納められていたのです。大聖人はその一切経の閲覧を求め、この地を訪れました。

一切経と一言に言いましても、その巻数は数千に及びます。一度経蔵に入った大聖人は文字通り寝食を忘れて参籠し、来る日も来る日も経典を拝読され続けたのです。それはまさに教主釈尊に相対し、日本国を救うための真の答えを問い続けるかのようなお姿でした。

そしてその傍らには、まだ十四、五歳の日朗上人が一時も離れず傅き、身の回りのお世話をされたと言われています。国のため、正しき佛法のため、身命を賭して答えを追い求めんとする大聖人のお姿を、誰よりもお側近くにあって見守り続けた日朗上人の心は、いよいよ師に対する篤い信望に満ちてゆくのでした。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび令和元年7月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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