日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#089

立正安国への思い

諸天は妙法を聞くことを得ず、法味を嘗めざれば、威光、勢力あることなく、四天王並に眷属この国を捨て、日本国守護の善神も捨離し已んぬ。故に正嘉元年には大地大に震い、同じき二年にも春の大雨に苗を失い、夏の大旱魃に草木を枯らし、秋の大風に果実を失い、飢渇忽ち起りて万民を逃脱せしむること、金光明経の文のごとし。あに選択集(念佛の要文集)の失にあらずや。佛語虚しからざるが故に、悪法の流布ありて、すでに国に三災起れり。しかるにこの悪義を対治せずんば、佛の所説の三悪を脱るべけんや

守護国家論(しゅごこっかろん)
立正安国への思い

そろそろ話しを元に戻し、今一度日蓮大聖人のお姿を追いましょう。冒頭の御書『守護国家論』は、大聖人が鎌倉へ移られてより数年の後に記された物です。この頃の鎌倉、というよりも日本国といえば、各地で天変地異が相次ぎ、民の暮らしはおろか国家そのものが滅亡するのではないかと誰もが憂うほどの惨状でした。

長雨や日照り、そして冷夏や台風が次々と農作物を襲い、人々は口に出来るありとあらゆる物を食んで飢えを凌ぎますが、それも既に限界に達していました。そしてそれに追い打ちをかけるように、大規模な震災が次々と各地を襲うのです。

そのような状況の中で大聖人は昼夜に暇を惜しむように、道行く人々に法華経の功徳、お題目による国家の安寧を説き続けました。その甲斐あってか、ひとり、またひとりとその声に耳を傾ける者は増え、信徒となるのみならず、弟子として生涯を法華経に捧げることを誓う者も現れました。

立正安国への思い

しかしながら、世の有り様を見れば、それでは到底間に合わぬかもしれません。大聖人は刻一刻と迫り来るこの国の末路を目の当たりにされ、いよいよ我が身を賭して重大な役目を果たさねばならぬことを感じ始めていました。

まさにその時、かつてない大地震が鎌倉の地を襲ったのです。『吾妻鏡』によれば、正嘉元(一二五七)年旧暦八月二十三日戌の刻、マグニチュード七以上ともいわれる大地震が相模湾内で発生しました。同書には「神社仏閣一宇として全きこと無し。山岳頽崩し、人屋顛倒す。築地皆悉く破損し、所々の地裂け水湧き出る。中下馬橋の辺地裂け破れ、その中より火炎燃え出る。色青しと。」とあり、鎌倉市中全域が大規模な被害を受けたことが窺い知れます。

当然ながら大聖人の御草庵も、かなりの損傷を受けたことでしょう。あわや倒壊の憂き目に遭ったやもしれません。夜半に慌てて外へ飛び出してみると、地割れより薄気味悪く燃え出す青い炎が目に飛び込んできたのです。それはまさに、この国の終わりを暗示する悪鬼たちの姿として大聖人の目に映ったに違いありません。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび令和元年6月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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