日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#086

弟子檀越との結縁
(その二)

鎌倉に筑後房、弁阿闍梨、大進阿闍梨と申す小僧等これあり。これを召して御尊びあるべし。御談議あるべし。大事の法門等ほぼ申す。彼等は日本にいまだ流布せざる大法少々これを有す。随て御学問注し申すべきなり

波木井三郎殿御返事(はきりさぶろうどのごへんじ)
弟子檀越との結縁

前回の日昭上人に続いて、今月は日朗上人についてご紹介をいたします。

冒頭の御書にある「筑後房」とは、日朗上人のことを指しています。日朗上人といえば「大黒阿闍梨」の号が一般に知られていますが、出家当初は「筑後」を名乗っていました。この書にある通り、日昭上人と並び日蓮大聖人の大切な教義を深く理解され、「私に代わって日朗を使わすので、詳細はその者に聞きなさい」と名代を任されるほど、碩学であることはもとより、大変な信頼を置かれていた方でした。

出生はやはり下総国(現在の千葉県北部)で、海上郡能手郷の生まれと言われています。父は平賀次郎有国、母は前回お話しした通り日昭上人の妹君です。大聖人への弟子入りについては諸説ありますが、『本化別頭仏祖統紀』によれば、父平賀有国が鎌倉にて大聖人と対面し、その人柄と深い教えに感銘を受け息子吉祥丸(後の日朗上人)を弟子入りさせたとあります。

弟子檀越との結縁

しかし前出の『玉沢手鑑』などでは、少々話しが異なります。実は大聖人と日昭上人の間には、以前より密約があったとされるのです。それは大聖人立教改宗の暁には、自身もあらゆる力を尽くして協力するとの約束でした。その約束通り、日昭上人はまず自らが第一の弟子となり、次いで甥である吉祥丸を弟子入りさせたと伝えられているのです。その真偽は定かではありませんが、何れにせよ日朗上人もまた、印東一門との強い結びつきの中で結縁されたお弟子であるのです。

ちなみに日昭上人は大聖人と出会う前より出家得度をし、同時期には既に叡山にて天台の学僧として学んだ仲です。つまり大聖人の弟子となったとは言え、その身分はあくまで天台門下の僧侶となります。しかし日朗上人は、どの既成教団にも入門することなく直接大聖人に弟子入りをした、いわゆる私度僧という特異な経歴を持ちます。即ち、日蓮大聖人の初めての直弟子ともいえる存在なのです。この時まだ十歳と幼い吉祥丸ですが、やがて大聖人の身近に仕えその教えを受けた日朗上人は、「師孝第一」の誉れ高き高弟へと成長していくのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成31年3月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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