日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#085

弟子檀越との結縁

この書は随分の秘書なり。已前の学文の時も、いまだ存ぜられざる事ほぼこれを載す。他人の御聴聞なからん已前に御存知有べし。惣じては、これよりぐ(具)していたらん人には、よ(依)りて法門御聴聞有るべし。互に師弟とならんか。恐々謹言

弁殿御消息(べんどのごしょうそく)
弟子檀越との結縁

名越の辻に立ち法華経の大切さを説かれ続ける大聖人のもとには、日増しに聴聞の者がその数を増していきました。大聖人は決して一方的に持論を並べるだけの説法などなさりません。ある時は道行く人足や商人のために易しくお題目の功徳を説き、またある時は、御家人たちの姿を見るや邪教による国家存亡の危機を声高に叫びます。機を見て法を説くその類い希なる話術によって、次第に多くの人々が辻に立つ名も知らぬ僧侶の、しかし魅力あふれる言葉に惹かれていくのでした。

こうしてこの鎌倉布教の時期には、後に高弟や大檀越として大聖人を支える多くの人々との出会いや入信がありました。ここではその内の何方かをご紹介したいと思いますが、まずはなんと言っても六老僧筆頭と称される弁阿闍梨日昭上人です。先の御文章は大聖人が弁阿闍梨に送られた物ですが、これを見てもその信頼の厚さがうかがえます。もっとも日昭上人との出会いは立教開宗以前に遡るのですが、正式に弟子となり「日昭」の名を拝したのはやはりこの時期であると言われています。

日昭上人の出自や経歴については不明な点も多く、伝記によってそれぞれ父や母の名から出生次期まで異なっています。ここでは一般的とされる『玉沢手鑑』を基として、ご紹介致しましょう。

弟子檀越との結縁

出生は下総国(現在の千葉県北部)猿島郡印東領能戸村とされ、姓は藤原、氏を印東と称しました。父の名は印東次郎左衛門尉祐照と言われますが、『本化別頭仏祖統記』では「祐照」ではなく「祐昭」となっています。これに因んだ逸話として、大聖人は日昭上人の親への孝を大変に尊ばれ、父の名から「昭」の一字を取り「日昭」と名付けたとも言われています。母は同氏伊東大和守祐時の娘で、後に大聖人より「棧敷尼」あるいは「妙一尼」と称ばれた女性と言われています。

兄弟には兄、姉、そして妹がいましたが、姉は池上左衛門大夫康光に嫁ぎ、大檀越となる池上宗長、宗仲兄弟を産みます。また妹は平賀次郎有国の妻となり、その子ども、すなわち日昭上人の甥が同じく六老僧の大黒阿闍梨日朗上人となるのです。また後に有国が早世すると平賀左近将監忠治と再婚し、六老僧に次ぐ高弟九老僧の肥後阿闍梨日像上人や、大教阿闍梨日輪上人の母となります。姉妹共にまさに教団の母とも呼べる人物なのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成31年2月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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