日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#081

名越の御草庵

戒壇とは王法佛法に冥し、佛法王法に合して王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘のその乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて、戒壇を建立すべきものか。時を待つべきのみ。事の戒法と申すはこれなり

三大秘法禀承事

石渡左衛門尉の庇護を受けながらしばし旅の疲れを癒やされた大聖人は、いよいよ目的の地に向かって出立されました。その詳しい足取りを追うことはもはや不可能ですので、布教の拠点と定める鎌倉についてここで少しお話をしましょう。

以前にも触れた通り、今や時代の趨勢は公家勢力より武家中心の政治へと移ろうとしていました。当然ながらその拠点となるのが、大聖人の目指す鎌倉の都です。

名越の御草庵

冒頭にある御書に記されるように、大聖人は国家を治める法が釈尊の教え、すなわち佛法と合一してこそ国家は安定し、そこに住む民は安穏な暮らしが出来るとお考えでした。成佛そして浄土とは絶対安心の境地であり、それは飢えや苦しみ、戦災や災害に怯えることなく、人々が安心して日々を送ることに他なりません。その目的を果たすためには、最終的には国家を治める施政者までをも正しい教えに導かなければならないのです。そのための鎮護国家の法は法華経を置いて他にはなく、その法華経を弘めるための最勝の地とは、政治の中心地となった鎌倉なのです。

名越の御草庵

当然それが一筋縄ではいかぬことなど、大聖人は百も承知です。いきなり名もなき辺境の坊主が天下の覇者にものを申したところで、誰も取り合ってはくれないでしょう。そこでまずは民衆の中に教えを弘め、衆目を集めることが大切な第一歩となります。もちろん大聖人のお心は、いくども申し上げた通り一切衆生の成佛にありますので、民の中に正しい教えが弘まることは、元々の目的を果たすことともなるのです。

そこで大聖人が目を付けられたのが、鎌倉は大町の名越でした。この名越地域にある松葉ケ谷こそが、大聖人にとってまさに理想の布教拠点であったのです。その理由として考えられることはまた次回に詳しくお話をしますが、この計画は善し悪しを含め大変な効果を上げたことが、後の出来事より推察されます。それはまた、後に起こる数々の御法難、大聖人の苦難の御生涯へと繋がってゆくのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成30年8月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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