日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#067

帰郷への道程

建長三年十一月廿四日戍時了。五帖之坊門富小路。坊門ヨリハ南。富小路ヨリハ西

五輪九字明秘密義釈奥書(ごりんくじみょうひみつぎしゃくおくがき)
帰郷への道程

伊勢神宮を拝し誓願を立てた蓮長(れんちょう)は、いよいよ清澄寺旭が森にて…といきたいところですが、建長五年の立教開宗までにはまだ数年の年月があるのです。

おそらく今まで皆さんがよく目にしてきた日蓮大聖人の御一代記では、比叡山修学の締め括りとして伊勢神宮に詣でた後、故郷房州に戻って清澄山にて昇る朝日に向かい…、というのが一般的でしょうか。しかし実は蓮長の行動は、そうすんなりとはまいりません。その間の確かな動向を知ることは大変難しいのですが、いくつかの祖伝や諸説を拝すると、色々な足取りも見えてきます。

伊勢を離れた蓮長は、叡山での修学を完全に終えたわけではありませんが、一度関東方面へ戻っている節も見受けられます(場合によっては、故郷の小湊に戻り両親や兄弟子たちと会ったとの話も)。

翌年の春には、旧知であった尊海僧正を訪ねるために、武州河越に向かったとされています。一節には尊海僧正はかつて蓮長が鎌倉遊学中に知り合った高僧で、その勧めによって比叡山での修学を決意したともいわれています。またこの河越の中院にて、蓮長は尊海僧正より阿闍梨位となる伝法灌頂を授かったともされるのです。

河越での滞在中には、投宿した宿屋の夫妻が蓮長に深く帰依します。蓮長はこの両名に対し、夫に蓮信、妻に妙養の法号を授けたと伝えられています。

五輪九字明秘密釈

その年の暮れに再び京都に戻った蓮長は、新義真言宗の祖である覚鑁の密教注釈書、『五輪九字明秘密釈』を書写したといわれています。この『五輪九字明秘密釈』は、同書の最古の写本といわれています。冒頭の書はこの書を書写した場所を記した奥書ですが、そこには「日蓮」あるいは「蓮長」の名はなく、残念ながら実際に蓮長が書写したものであるかの確証はありません。しかしその表紙には後に送られたと思われる「常忍(富木常忍)」の名が記され、他の御書と共に法華経寺蔵書となっていることを考えると、重要な書物として伝えられたことも考えられます。

もしこの写本が実際に蓮長の筆によるものだとすれば、蓮長は真言宗の秘伝書ともいえる『五輪九字明秘密釈』を写本することが許される立場であったと推測されます。実は蓮長は台密(天台密教)のみならず、東密(真言密教)での秘伝奥義の血脈相承を受けていたとの説もありますが、前記の書写のくだりと併せて考えると、がぜんその説に真実味が出てきます。そこには机上の学問のみに留まらず、実践を重んじその奥義までも追求していく、蓮長の修学に対する大変な奥の深さが伺えるのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成29年5月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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