日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#066

誓願

此御影を内侍と云鏡を作て移し奉る也。其御影を内裏の御宝と定め給也。かくて太郎の神を出し奉て兄弟の中を和げ、天照太神をば日本国の神の惣政所と名付給ふ。今の伊勢太神宮是也。(中略)伊勢太神宮の御末に神武天皇御坐也。此の御門は人王と顕れ始め給也。此故に神々は百王百代の末まで守らんと誓給

神祇門(じんぎもん)
誓願

蓮(れん)長(ちょう)が故郷を離れて比叡山に入山してより、早十二年の歳月が流れました。既に己が学ぶべきものを学び尽くし、なすべき使命をその胸にはっきりと定めた蓮長は、帰郷の時が近いことを悟りました。そして最後の締め括りとすべく、その足は伊勢大廟へと向かうのです。

蓮長は伊勢にある天台宗寺院、間山浄明寺に参籠したとされます。そして境内にある井戸にて日々身を清めながら、伊勢神宮への日参を行いました。この水垢離の中、後に語られる日蓮大聖人の大誓願(この誓願については、また改めてお話します)を発意されたといわれています。そしてその誓いを胸に、伊勢神宮を拝するのです。

学僧が様々な教えを学ぶために諸寺を巡ることは理解できますが、神道の本拠地ともいえる伊勢神宮に赴くのは、些か不自然に思うかもしれません。もちろん大聖人は佛法のみならず、神道や儒学などに関しても生半可な専門家以上の知識を備えていました。しかしこの度の伊勢参宮は、何かを学ぼうとする意図でないことは、皆さんすでにお気付きのことでしょう。

大聖人は故郷である安房国を「天照大神の御厨也」と仰せになり、ご自身がその聖地に縁をもつことを大変に誇られています。その天照皇大神の鎮座まします日本第一の大社が、いわずと知れた伊勢神宮なのです。

天照大神は地神五代の神々の頂点に立つのみならず、始馭天下之天皇すなわち神武天皇より始まる人王の祖となる皇祖神です。いわば皇族の氏神であり先祖ともいえる天照大神に詣でることが、修学を終え新しい第一歩を踏み出そうとする蓮長にとって、ことさら意味深きことであったのかもしれません。

誓願

大聖人の謎多きご出生、そしてこの度の経費度外視ともいえる充実した遊学を含め、後々の行動の不思議さを思えば、その出自が片海の漁師の子であったとは到底考えられません。今まさに心の内に秘めた大いなる決意を打ち明け、そして不退転の誓いをなすには、日本国の総氏神、そして“自身の先祖”である天照大神の御前以外にない、との思いでこの地を訪れたのではと推測するのは、はたして私の考え過ぎでしょうか。

余談となりますが、実は伊勢神宮はその格式の高さ故、近代までは僧形の者の立ち入りを禁止されていました。江戸時代になってようやく境内に僧尼拝所が設けられましたが、それでも宇治橋を渡ることは許されず、遠く正宮の川向こうより拝するのみです。

しかし『仏祖統記』によれば、参詣満願の日に「皇大神の宝殿で獅子座に座したもう御影を拝した」と記されるように、名も無き修行僧であるはずの蓮長が、不思議と正宮まで近付くことを許されているのです。それが何を意味することなのかは、皆さんのご想像にお任せ致しましょう。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成29年4月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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