日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#064

諸国への遊学
その十七

聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う。儒家の三皇・五帝並びに三聖は、ただ現在を知つて過・未を知らず。外道は過去八万・未来八万を知る。一分の聖人なり。(中略)法華経の迹門は過去の三千塵点劫を演説す。一代超過これなり。本門は五百塵点劫・過去遠遠劫をもこれを演説し、また未来無数劫の事をも宣伝す

聖人知三世事(しょうにんちさんぜじ)
諸国への遊学(蓮長)

京都に滞在中の蓮長(れんちょう)は、五条付近にあった天王寺屋浄本の屋敷を宿所としたといわれています。天王寺屋浄本は、本屋であったという説が一般的ではありますが、一方で天王寺の役職に就いていたとする説があります。それ故に『本化別頭仏祖統記(ほんげべつずぶっそとうき)』などでは、大聖人が天王寺の秘笥を披くことが出来たのは、この天王寺屋浄本の仲介によるものだとされています。それにしても、学僧として学んでいる時期に既にこれだけの有力者たちが周囲に存在していたことには、いったいどういった伝手によるものなのか、改めてその不思議さに驚かされます。

後にこの浄本は、妻の妙蓮と共に大聖人の弟子となります。そしてこの屋敷を精舎と改め、夫妻の名を一文字ずつとって「本蓮寺」と号しました。残念ながらこの本蓮寺は天文五(一五三六)年の天文法難で消失してしまいますが、妙堯禅尼と称す尼僧によって妙堯寺として移築、再興され、天王寺屋夫妻の墓所も現在この寺院に安置されています。

蓮長はこの京都での滞在中に、儒教を学んだとされます。冒頭の御書に見られるように、大聖人は折に触れ儒教や外道(佛教以外のインドの教え)に対して、佛教がいかに優れているかを述べておられます。それは何の根拠もなくただご自身の信ずる佛法を賛美しているのではなく、こうして修学中に学んだ様々な分野にわたる学識を以てのことなのです。もちろん蓮長のことですので、その知識たるや儒家に劣らぬ非常に高度なものであったことは間違いありません。

諸国への遊学(蓮長)

また同時期に和歌の手解きも受けたといわれています。和歌の習い事と聞くと、何となく趣味的な印象を受けてしまいますので、「大切な留学中にそんなことにうつつを抜かして…」と思ってしまうかもしれません。しかし書道や歌道などの手習いを修得することも、当時の教養ある文化人として認められる上でとても大切なことでした。

後の大聖人の御書に見られる歌の数はそれ程多くはありませんが、大切な人を亡くした婦人に対してその悲しみを詠まれたものなど、そのお言葉はとても心に響くものです。大聖人はご自身の感得された崇高な法門を厳しく教え導く一方で、人々の苦しみや悲しみを共に歎くその御心を優しく歌に詠み、弟子檀越の一人ひとりに寄り添うようにお言葉をかけられているのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成29年2月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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