日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#061

諸国への遊学
その十四

上宮太子と申せし人、漢土より始て佛法渡させ給て、其より以来于今七百余年の間、一切経並に法華経はひろまらせ給て、上一人より下万民に至まで、心あらむ人は法華経を一部、或は一巻、或は一品持て或は父母の孝養とす

松野殿後家尼御前御返事

前回は余談がだいぶ長くなって(と言うより、余談だけで終わって)しまいましたが、今月はようやく本題の四天王寺のお話です。

諸国への遊学(四天王寺)

高野山よりの帰路、和泉へ足を伸ばした蓮長(れんちょう)は、八宗兼学の学問道場として名高い四天王寺を訪れます。八宗とは、三論、実成、法相、倶舎、華厳、律のいわゆる南都六宗の古流学派に、当時としては比較的新興の天台、真言を加えた八つの宗派を指します。「八宗兼学」ですので、それらの教えがすべて学べる学問道場を意味しています。つまりこの四天王寺で学ぶことは、当時の日の本で主流とされる佛教教義を、すべて網羅できることとなるのです。

以前にもお話した通り、蓮長が南都六宗を巡って学んだという具体的な記述は、残されていません。しかしこうした点より推測しても、天台、真言、禅、念佛(これらは四宗と呼ばれ、やはり兼学の道場である比叡山で学ぶことができます)のみならず、南都の教義をほぼ修得していたことは、間違いないと思われます。

四天王寺は、言わずと知れた上宮太子、すなわち聖徳太子によって推古天皇元(五九三)年に建立された、我が国最古ともいわれる古刹中の古刹です。

日蓮大聖人は、この国で初めて佛教を重んじ、国作りの基盤としてその教を弘めることに尽力された聖徳太子を、殊のほか尊崇されておられました。大聖人が弟子檀那に対して度々申される「異体同心」の精神は、すなわち聖徳太子の「和を以て貴しとなす」と同義であるといえます。そして、その精神が高々と掲げられた十七条の憲法によって、初めての法治国家の形成を目指した太子の志は、大聖人が生涯にわたって説き続けられた「立正安国(正法を以て国を安んず)」の思想に、大変大きな影響を与えられたことでしょう。

諸国への遊学(四天王寺)

そう思えば、わずかな期間とはいえ四天王寺での滞在は、八宗兼学の大事さはもとより、聖徳太子の魂にふれることの出来た、素晴らしき日々であったことでしょう。しかしその反面、八宗兼学を謳う故に諸宗にこだわらない四天王寺の学風が災いし、当時の流行であった浄土信仰が山内には蔓延していました。誰が弘めたものか、四天王寺の西門は極楽浄土に通じる門との噂が流れ、彼岸の頃ともなればその門から沈む夕日を拝もうと、多数の信者が参詣する有様であったといわれています。

この国に初めて法華経を弘めんとした大恩人である太子所縁の寺が、何の根拠もなく西に沈む夕日を拝む迷信の大衆で溢れかえる様を、はたして蓮長はどのような思いで見つめていたのでしょうか。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成28年10月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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