日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#054

諸国への遊学
その七

上宮太子は、守屋の逆を誅して寺塔の構えをなす。しかしより来、上一人より下万民に至るまで、佛像を崇め経巻を専にす。しかればすなわち、叡山、南都、園城、東寺、四海、一州、五畿、七道、佛経星のごとく羅り、堂宇雲のごとく布けり

立正安国論(りっしょうあんこくろん)
諸国への遊学

冒頭の日蓮大聖人のお言葉にあるように、当時より京都、奈良周辺には、文字通り星の数ほどの寺院が軒を連ねていました。蓮長(れんちょう)は奈良の地にて元興寺のみならず、三論宗から興り、当時は天台宗であったとも言われる蓮長寺(現在は日蓮宗の寺院です)を始め、高名な東大寺や、興福寺、法隆寺、そして唐招提寺や西大寺と、様々な寺院を歴訪されては、華厳宗、法相宗、三論宗、律宗などの各宗教義を学びました。そして薬師寺にて経蔵に参籠し、一切経を閲覧したとされています。

もっとも先に述べた通り、蓮長の中でこれらの各宗における教えは、實大乗である法華経へ帰着せしむるべきものとして、既に一応の決着はなされていました。それ故に、後のご文章には南都遊学の事実は、あまり記されていないものと思われます。

しかし、そこは七大伽藍を誇る南都六宗の諸大寺です。東大寺には勅命によって良弁僧正が唐から伝承したという華厳経が所蔵され、興福寺は玄奘三蔵から伝来したと伝えられる経巻がありました。そして薬師寺は、一切経を収蔵する経蔵を有していました。

諸国への遊学

当時これらの大蔵経典群は、由緒ある寺院でなければ閲覧出来ない貴重な書物ですので、その閲覧だけでも各寺を巡る価値は十分にあったと思われます。

因みに大聖人は、興福寺で発刊された『春日版法華経』を大切に所持されていました。それをいつ何処で手に入れたかは明かされてはいませんが、その法華経には様々な注釈が書き入れられていますので、おそらくはこの時期に南都にて購入し、学んだことを書き入れたと考えるのが妥当と思われます。そうなれば、少なくとも南都に立ち寄られたことは間違いないでしょう。

また南都を代表する法隆寺は、言わずと知れた推古天皇、そして聖徳太子の発願によって創建された、日本最古の木像寺院です。我が国に初めて佛法を弘めることに力を尽くされた聖徳太子を、大聖人が殊の外貴ばれておられたことは、数々のご文章を見ても明らかです。大聖人は恩義を決して蔑ろにされる方ではありません。蓮長が太子有縁の法隆寺を素通りするとは考え難く、きっとその偉大なる功績への報恩を胸に参詣し、太子の尊霊に手を合わせたことでしょう。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成28年3月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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