日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#042

比叡山での修学
その4

所詮肝要を知る身とならばやと思し故に、随分にはしりまはり、十二・十六の年より三十二に至まで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習回り候し程に

妙法比丘尼御返事(みょうほうびくにごへんじ)
比叡山での修学

さて、いよいよ蓮(れん)長(ちょう)の修学のお話に入りましょう。とは申しましても、いつものごとく叡山(=比叡山)で過ごした日々の詳細も、残念ながらあまり知られてはおりません。叡山での十二年に亘る修学の方法については諸説ありますが、大きくまとめるとおおよそ次の三つの説となります。

一つには、比叡山に完全に籠もって専修する方法があります。一般的にはなんとなくこのイメージが強いようですが、文頭にある『妙法比丘尼御返事』のお言葉から察すると、どうやら籠もりきりではなかったようです。

残りの二つは諸国を巡歴する方法ですが、これには比叡山を中心に近隣を往来する方法と、比叡山を皮切りに完全に旅から旅へと巡る方法が考えられます。「京、叡山、園城寺、高野、天王寺等」とありますので、巡歴したことは間違いないと思われます。では旅に出っぱなしであったかというと、それは考え難いのではないでしょうか。何故ならば、そもそもの修学の目的を考えれば、どちらの方法がより効率的に目的が達成できるか、明らかであるからです。

鎌倉から清澄に戻った蓮長が、更なる学問の追究を望んだ理由は、以前にお話を致しました。その大きな目的としては、二つの成果を得ることが上げられます。一つには天台教義の更なる追求であり、今一つは真言の奥義を修得することです。

まず天台の教義を完全に極めんとするならば、当然のことながらその最高学府である比叡山で学ぶのが一番といえます。あまり移動に時間を費やしてしまい、次々に依所を変えての学習であれば、身に付くのは広く浅い学問ばかりで、二大目的の達成には非効率となってしまいます。まずは比叡山にじっくりと腰を据え、その上で時に近隣諸国を巡り、新たに真言密教の奥義を探るのが、最も効率の良い学習方法ではないでしょうか。

比叡山での修学

さらに理由を加えるならば、『妙法比丘尼御返事』のご文章の中にもヒントが隠されています。

まず「二十余年が間」の内「十二」とは出家の年齢を指します。そして「十六」は鎌倉留学で、それと合わせ、その後の「鎌倉」の地名も消すことが出来ます。すると、残り十七歳から三十二歳(立教開宗のお歳です)の内で、まとまった留学期は比叡山のみですので、その間に「京、叡山、園城寺、高野、天王寺等」を巡ったということになるのです。

京都、叡山はもちろんですが、園城寺は滋賀の大津、高野は和歌山、天王寺(四天王寺)は大阪天王寺ですので、いずれも畿内に収まる範囲での移動だったことがうかがえるのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成27年2月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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