日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#037

比叡山を目指して

所詮肝要を知る身とならばやと思し故に、随分にはしりまはり、十二・十六の年より三十二に至まで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習回り候し程に

妙法比丘尼御返事
比叡山を目指して

新たなる修学の場を求めた蓮長(れんちょう)が次に目指したのは、当時の日本で最高の権威を誇る比叡山延暦寺でした。言わずと知れた比叡山は延暦七(七八八)年、伝教大師最澄によって開かれた日本天台宗の中心となる大寺院で、大聖人留学時代には壮大な伽藍の中で数千の学徒が佛法を学んでいたとされています。

ちょうど今、大河ドラマで放送中の「軍師官兵衛」には、片山右近らに洗礼を授けた有名なポルトガル宣教師、ルイス・フロイスが登場しますが、異教徒の彼をして「比叡山は日本随一の大学である」と言わしめた程の名刹なのです。もちろんこの延暦寺からは、日蓮大聖人のみならず、法然・親鸞・栄西・道元等の高名な祖師を輩出しています。

またこの山にて学ぶのみならず、受戒を受け正式な僧侶として認められることが、当時の学僧たちの憧れでした。鎌倉より戻られて直ぐに『戒体即身成佛義(かいたいそくしんじょうぶつぎ)』を記された蓮長も、やはり延暦寺での受戒に心惹かれるものがあったやもしれません。

比叡山を目指して

ここまで何号かにわたって、蓮長が鎌倉より清澄に戻ってからのお話しを書かせていただきました。『戒体即身成佛義』のような大変な論書を著述したりと、内容の濃い日々をご紹介しましたので、もしかすると読者の皆様の中には、数年の月日が経っているように感じられた方がいたかも知れません。

ですが実を言えば、鎌倉より帰るや否や、ほぼ間髪入れずに比叡山へ出発しているのです。鎌倉への留学ですら大変と以前お話ししましたが、今度は更に遠国となる近江国、しかも当代随一の学問所である比叡山延暦寺です。

今一度確認を致しますが、“片海(かたうみ)の海女が子”である筈の蓮長が、何をどうすればこんなに自由に諸国を遊学して歩けるのでしょうか。学費や旅費の工面もさることながら、京から見れば「東男」と馬鹿にされる東国(しかも安房は鎌倉よりもっと東の外れです)の田舎坊主が、比叡山に受け入れて貰うには、何らかの後ろ盾があってのことと考えるのが、やはり自然なのかもしれません。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成26年9月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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