日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#025
鎌倉での修学 その二

領家の尼ごぜんは女人なり、愚癡なれば人々のいひをど(嚇)せば、さこそとましまし候らめ。(中略)恩をかほ(蒙)らせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつらんとこそいのり候へ

清澄寺大衆中

さて、前回に引き続きまして、今しばらく寄り道にお付き合いいただきましょう。

蓮長(れんちょう)の鎌倉遊学に際して、その路銀(ろぎん)はいかにして用意できたのでしょうか。また、当時流行の最先端にあった鎌倉諸山の門を叩き、門前払いをされずに受け入れられるには、いかなる後ろ盾があったのでしょうか。よくよく考えれば不思議なことばかりですが、もちろん今となってはその真相を探る手立てなど、残念ながらありません。

推測するに、まず金銭的な援助で思い浮かぶのは、領家(りょうけ)の尼(あま)の存在でしょう。善日麿(ぜんにちまろ)としてお生まれになってより、幼少期の生活と育成、清澄への入山と修学、そして此度の遊学と、おそらく大変な資金援助をしていたものと思われます。

日蓮さまの檀越(だんのつ)として知られる方々の中で、実は領家の尼さんは非常に信心弱く、ややもすれば退転をしてしまうような方でした。日蓮さまは、身延ご在住の折にとある尼御前が氏神参詣の“ついでに”身延に立ち寄られたことを聞き、「佛と神と主従が逆ではないか」とお怒りになって、お会いになりませんでした。それほど信仰に対し厳格であった日蓮さまですら、領家の尼だけはいかに信心弱くとも、最後までお救いになろうとされます。それは領家の尼より受けた恩義の大きさを考えれば、「とてもこの人を捨て置けない」と思われたのではないでしょうか。

鎌倉での修学

ただし、領家の尼とてそれほど潤沢に資金援助を続けられたものとは思えません。当時の世情を考えますと、各地の領家の受領(朝廷より授かった領地)は、幕府によって新たに設けられた地頭職の横暴によって常に脅かされていました。それ故に、領家の尼は聡明な善日麿の後ろ盾となって、ゆくゆくは優秀な弁護人に育て上げる望みを持っていたとも言われています。

いずれにせよ、そのような厳しい状況下にあった後家尼(ごけあま)には、それほど自由に使える財産があったとは考えられません。また清澄寺以上の力を誇る諸山や学問所に、自由に出入りさせることのできる者となれば、やはりそれなりの権力者の存在が考えられます。

もしかすると、資金援助の面にしても、あるいは様々な場所での口添えにしても、まだまだ私たちの知らない方々の、密かな力添えがあったのかもしれません。

その真相はまた歴史の闇の中・・・、と逃げたところで、此度の寄り道は終わりに致しましょう。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成25年7月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教学部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

pagetop

TOP