日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#023
諸国遊学への道
その二

法然善導等等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候ひき

南条兵衛七郎殿御書

前号では修学時代の日蓮大聖人の意外な一面をご紹介しましたが、もちろん念佛に留まらずあらゆる学問を修得していった蓮長にとっては、もはや安房随一の学問所と言われた清澄山でさえ、満たされぬ場所となっていったのです。

「法然」や「善導」と言えば、浄土宗では日本や中国において開祖とも言える名だたる僧侶です。その二人が世に示す法門をして「それしきのことならば、十七、八(満では十六、七)の頃より既に知っていた」と言うのですから、知らぬ人が聞けば「それはいくらなんでも言い過ぎだろう」と思われるかも知れません。しかし、それを裏付けるような資料も、ちゃんと残されているのです。

それが以前にも少し触れました『授決円多羅義集唐決(じゅけつえんたらぎしゅうとうけつ)』(以下、『円多羅義集』)の書写です。大聖人のお書きになられた書は、仁治三(一二四二)年、御年二十一歳の『戒体即身成佛義(かいたいそくしんじょうぶつぎ)』がもっとも古い物であると長らく考えられて来ましたが、昭和の初めに金沢文庫で発見された『円多羅義集(えんたらぎしゅう)』には「嘉禎四年〈太歳戊戌〉十一月十四日 阿房(安房)の国東北の御庄 清澄山 道善房の東面にて執筆す 是聖房 生年十七歳」との奥書がありますので、ご出家の翌年にはこの書を書写されていたことになります。

『円多羅義集』は比叡山第五代座主ともなった円珍の書で、密教の奥義書とも言える大変難解なものです。それをわずか十七歳にて書写されたのですから、南条書のお言葉も頷けるというものです。

諸国遊学への道

またこの書写は、日蓮さまが密教に対して大変深い関心を寄せられていたことがうかがい知れます。後に同じく書写されたと言われる『五輪九字明秘密釈(ごりんくじみょうひみつしゃく)』やご述作の『不動愛染感見記(ふどうあいぞめかんけんき)』、また以前にご紹介した求聞持法を修したと思われる点など、天台密教の流れを汲む清澄山という環境での影響はもちろんですが、それ以上に「密教」の持つ神秘的要素に蓮長は惹かれていったような気がしてなりません。

後に日蓮さまは、お題目に秘められたご本佛の不思議な功徳こそ、末法の衆生を救う大光明なのだとの確信に至りますが、初期の修学時に培った密教への関心が、そうした日蓮さまの教えの根底を形作っていったのではないでしょうか。

いずれにせよ、辺国の地にて既に学ぶもの乏しき環境の中、蓮長はいよいよ諸国遊学への決意を固めていったのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成25年5月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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