日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#016
清澄寺ご修学
その二

「貴辺(浄顕房)は地頭のいかりし時、義城(浄)房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして、生死をはなれさせ給うべし」

(本尊問答鈔)

このご文章は、前回ご紹介しました浄顕房にお送りになったものです。これによると、諸国遊学を終え清澄での初転法輪(初めてのお説法)の折、熱心な念仏の信者であった地頭東条景信の怒りにふれ、山を追われることとなった日蓮さまに付き従い、浄顕、義浄のご両師も忍び山を下りられたというのです。

かつて山中での献身的な指導の日々は、高僧道善御坊よりの命とあらば理解もできますが、地元の権力者にお命をも狙われんばかりの身となった日蓮さまの後を追うことは、余程のお覚悟あってのことでなければできません。もちろん、日蓮さまの語られた法華経の深い教えに心打たれて、との考えもあるでしょう。しかし何分にも初転法輪での出来事、それまで耳にしたこともない教えを即座に理解し、命を捨てる程の行為に及んだと考えるのは、いささか強引ではないでしょうか。

そこで浄顕房の不思議なエピソードが浮かび上がるのです。

実はこの浄顕房は、日蓮さまの兄弟子であると共に、実の兄であったとの説があるのです。以前にご紹介した通り、日蓮さまには五人の兄弟がいました。長男は貫名藤太重政、次男は早くに亡くなられ、三男仲三郎重仲、そして四男が日蓮さま、五男は藤平重友と言われています。諸説により名前の相違等もみられますが、ほぼこの五人兄弟であったことは定説のようです(ただし兄三人は貫名次郎の先妻の子であり、日蓮さまと藤平だけが母梅菊の実子のようです)。

清澄寺ご修学

ある伝承によれば、長兄重政は出家して浄円房となったとされています。安房の国で浄円房と言えば、東条花房(現在の鴨川市花房)蓮華寺の住持としての浄円房が思い当たります。やはり日蓮さまが清澄を追われた時には、その身を自坊にかくまい、お助けしたことで知られています。そして三男重仲も同じく出家をし、彼(か)の浄顕房となったと言うのです。だいぶ荒唐無稽なお話しにも聞こえますが、確かに末弟の藤平重友だけに子孫の伝承が残り、他の兄弟の行く末がまったく語られないことを考えますと、出家説も一理あるのではないでしょうか。

さすれば浄顕房を始め、若き日蓮さまを取り巻く方々の決死の行いも、合点がいくというものです。善日麿の清澄ご入山に当たり、ご兄弟は大切な使命、即ち善日麿のお側近くにてお守りするために、先立ち出家を果たしてお待ち申し上げていたのでは・・・、との思いもよぎります。

そしてそれは結果として、日蓮さまが仰せのように法華経への大きなご奉公となっていくのです。お題目が導く、とても不思議なご縁を感じさせるエピソードです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成24年9月号に掲載された内容です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教学部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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