日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#010
清澄寺ご入山
その二

「予はかつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、日本第一の智者となし給へ。十二のとしよりこの願を立つ。その所願に子細あり。今くはしくのせがたし」

(破良観御書)

かくして清澄寺への入山を果たされた善日麿は、改めて師となった道善御房により「薬王丸(麿)」の稚児名を授けられました。そして当初よりの「所願」を果たすべく、山内の誰もが驚くほどに勉学に打ち込まれたのです。

その傍らには、入山に際して生家より送られた品が、常に寄り添うように置かれていました。それは清澄寺宝物として今なお大切に保管されている、硯箱と筆箱です。小さな水差しを添えられた硯は、表裏に竹林の虎や撫子などの見事な蒔絵が施された硯箱に収められ、欅の玉木で作られた筆箱にも、同じく大変上質な細工が施されています。その見事な品々を見るにつけ、幼き我が子を単身で送り出さなければならなかったご両親の、切ない思いが伝わってくるようです。

それにつけても、今でさえ高価であろうこれらの品を用意するためには、当時いったいどれだけの金銭を必要としたのでしょうか。またこの品に留まらず、清澄寺入山に当たっては、当然ながら金品を含め大変な支度が必要であったと思われます。いったいそれだけの財源を、どのようにして確保できたのでしょうか。

実はそれらの財力を支えたのが、「領家の尼」と呼ばれる女性の存在でした。清澄寺の所在地も含む東条郷一帯の領主であった領家の尼は、日蓮さまの出家得度以降も深い縁を持つ方ですが、ご自身の幼少期よりご両親も含め大変な恩義を受けられたと思しきことを、ご消息(お手紙)などでしばしば語られています。

清澄寺ご入山

ではなぜ領家の尼は、それ程までに貫名一家を援助し続けたのでしょうか。おそらくは金銭援助のみならず、自身の領内である清澄寺入山自体にも、斡旋をしていることと思われます。そこまで助力をしている人物ながら、残念ながらその理由は定かではありません。と言うよりも、領家の尼の存在自体に謎が多く、ただ領主であった夫を亡くした後家尼であったこと以外は、その名前すら正確には分かっていないのです。

しかしながら、武家の新興勢力である地頭に対し、「領家」つまり御領地を拝領している荘園主は、公家勢力との強いつながりを持つ者たちであることは確かなことです。実はそこに貫名家との不思議な縁があったのでは・・・、とは考えすぎでしょうか。

これらの人々との不思議な縁と、日蓮さまのお生まれになった時代、そして目まぐるしく移り変わる世の有り様など、全ての事柄が幼き子の心中で所願として一つの道を示し、善日麿に新しい、そして大きな第一歩を記させたのかもしれません。

次回はそんなお話しにも触れてみたいと思います。

イラスト 小川けんいち

小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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