日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#006
お誕生にまつわる秘話
(その二)

さて、日蓮大聖人さまのお誕生にまつわるお話も、だいぶあらぬ方向へ進んでしまいました。特に意図して横道へそれているわけではありませんが、できるだけ皆さんに興味を持っていただけるようなお話をと思うと、どうしてもサイドストーリーをご紹介したくなってしまうものです。

実のところを申し上げれば、日蓮さまのお誕生に関しては、ほとんど知られていないのです。日蓮さまご本人は、後のお手紙や御書の中で、ご自身の出生についてほとんど触れられていません。ましてや後のご活躍を見越して、お誕生すぐよりお側近くで詳細な記録を残していた方などいるはずもなく、あまり知られていないのも当然といえば当然なのかもしれません。しかしその反面、実は出生について「触れてはいけない」理由があったのではないか、との思いも生じてくるのです。

その中でささやかれるのが、日蓮さまが本当はさる高貴なお方の御落胤(ごらくいん)ではないか、との説です。「御落胤」とは歴史に名を刻むことのない子供という意味で、ことに高貴な方の血筋ながら、命を狙われる恐れがあるなどの理由から、その出生を明かすことの出来ない子供を示しているのです。

ちなみに日蓮さまがお生まれになる前年には、かの有名な「承久の乱」が起こりました。その事変によって、『後鳥羽上皇』始め多くの皇族方が島流しにされてしまうのです。と、ここまで申し上げれば「なるほど」と思われた方もいらっしゃると思いますが、あくまで「一説には」ですので、それ以上のところは「委(くわしく)はかゝず、但おしはかり給べし」とさせていただきましょう。

天津小湊には「西蓮寺」という天台宗のお寺がありますが、不思議なことに代々そのご住職は、大本山誕生寺で行われる宗祖御降誕会などの大切な法会に、必ず来賓としてご招待され、上座にて参列されるという習慣が今なお残されているのです。

お誕生にまつわる秘話

この西蓮寺には大変興味深い伝承が残されています。それは、「ある日の早朝、お堂の裏で赤子の泣き声が聞こえてくるので、何かと思い声のする方へ行ってみれば、ただならぬ気高さ備えた赤子がそこに捨てられていた(意訳)」というものです。その時に赤子を包んでいた大変豪華なおくるみは、「錦の茵(にしきのしとね)」と呼ばれ、今なお西蓮寺宝物として大切に格護されています。しかも西蓮寺史によれば、その当時の住職とは、何と後に日蓮さまの師となられる「道善御坊」であったと伝えられているのです。

あまり知られてはいませんが、伝えによれば道善御坊の前身は天皇に仕える「北面の武士」であったと言われ、出家の後に"さる所願あって"全国行脚に出立し、日蓮さまお誕生の数年前に西蓮寺を訪れ、そのまま住職として小湊の地に定住したとされるのです。

色々なことが不思議なつながりを見せてゆきますが、八〇〇年近くの時を経た今となっては、謎はいつまでも謎のままであり、真相は誰にも知ることができません。

いずれにせよ、日蓮大聖人さまご自身は、私たちと同じく大衆の中に生まれ育ちながら、ご本佛さまより大切なご使命を頂戴したことに、何よりの誇りと喜びを感じていらっしゃいます。それは色々なお書き物を拝見しても明らかであり、それが唯一の真実なのかもしれません。

といったところで、此度の横道はこの辺に致しましょう。

イラスト 小川けんいち

小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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