大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸輪之王。
無量義経徳行品第一
絶地(ぜっち)・翻羽(ほんう)・奔霄(ほんしょう)・越影(えつえい)・踰輝(ゆき)・超光(ちょうこう)・謄霧(とうむ)・挟翼(きょうよく)の八頭の神馬・穆王(ぼくおう)八駿を駆使し、黄河の大地を高速で駆け巡ったと伝えられる周の穆王。
震旦(しんたん)の人々にとって幻の山と噂された崑崙(こんろん)山すらも、八駿に牽かせる馬車に乗れば、あたかも隣近所に行くがごとし。
崑崙の地にて西王母(全ての女性仙人を司る大仙女)と面会したという穆王。
さらに彼は震旦の人々にとって崑崙山以上に謎の土地、はるか西方の印度、王舎城(おうしゃじょう)は霊鷲山(りょうじゅせん)へと八駿のコースを取るのでした…。
千年も一瞬の光の矢。薄幸の美少年が流罪されてから、時は流れて一千年。
周王朝もやがて滅び、秦帝国、前漢帝国、新帝国、後漢帝国と震旦の支配者もその間に目紛(めまぐる)しく変わり、やがて魏・呉・蜀の三国が覇権を競う世、震旦歴史上最も人気のあるだろう、お馴染み三国時代でのことです。
あの三国志演義の悪のヒーローたる曹操の国・魏において、ある不思議なる噂が広まっていました。
縣山という険しい山から流れ出ている水を飲んだ人々の間で、「病が治った!」「元気になった!」「長生きしたよ!」と喜びの声が湧き上がっているというのです。
まさに霊水の流れるパワースポット。噂の大きさに興味をもった文帝(曹操の息子です)は、霊水の秘密を探るべく、調査隊を縣山へと派遣するのでした…。
イラスト 小川けんいち
元霊断院主任
福岡県妙立寺前住職