大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸輪之王。
無量義経徳行品第一
絶地(ぜっち)・翻羽(ほんう)・奔霄(ほんしょう)・越影(えつえい)・踰輝(ゆき)・超光(ちょうこう)・謄霧(とうむ)・挟翼(きょうよく)の八頭の神馬・穆王(ぼくおう)八駿を駆使し、黄河の大地を高速で駆け巡ったと伝えられる周の穆王。
震旦(しんたん)の人々にとって幻の山と噂された崑崙(こんろん)山すらも、八駿に牽かせる馬車に乗れば、あたかも隣近所に行くがごとし。
崑崙の地にて西王母(全ての女性仙人を司る大仙女)と面会したという穆王。
さらに彼は震旦の人々にとって崑崙山以上に謎の土地、はるか西方の印度、王舎城(おうしゃじょう)は霊鷲山(りょうじゅせん)へと八駿のコースを取るのでした…。
大転輪王、小転輪王、金輪、銀輪、諸輪之王の一人として、法華経説法の場に駆け付けた周の穆王。
この時にお釈迦様は、多数の転輪聖王(てんりんじょうおう)の中でも、特に印度からはるか遠く離れた東の地より訪れた穆王に、特に注目されたと伝えられます。
法華経は印度よりはるか遠く東にこそ、大いに縁ある故でしょう。
東方の転輪聖王こそが、やがて法華経に重要なる意味を持つ…。
故にお釈迦様は、法華経の経文より特に真の転輪聖王の証となるべき句を撰び、穆王のみに授けました。それこそが、
の八句、四海領掌の偈(またの名を帝王の偈)です。
お釈迦様より直々の口伝を授けられた穆王は教えを深く胸に刻み、帰国した後、何人にも秘して明かさなかったといいます。そう、ある一つの事件が王宮に起きるまでは…。
イラスト 小川けんいち
元霊断院主任
福岡県妙立寺前住職