日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
法華経のお話 法華経のお話

#026
無量義経の段その四
(四)

赦し赦されし王たちの舎城

「一時佛住。王舎城(おうしゃじょう)。耆闍崛山中(ぎじゃくっせん)」

お釈迦様の時代より遥か以前の超古代の印度は摩伽陀(マガダ)国の物語…

日々に人の子を喰らい続けた斑足王(はんそくおう)は、その非道さゆえに配下であった千王たちの謀反にあい、その王位を剥奪されてしまいました。

されどその人食いの業ゆえでしょうか、斑足は同じ人食いの鬼神たる羅刹(らせつ)たちの王として耆闍崛山の山中に君臨するのでした。

法華三部経の主な舞台となる「王舎城」。今回もこの街の由来についてのお話です。

斑足王の驚愕は並大抵なものではありませんでした。死ぬと分っていながら自らここに戻ってくる、それもウキウキと凄く嬉しそうな表情でやって来るとは、彼の理解できることではありません。しかも普明王が戻ってくるやいなや、他の王たちも何故か皆、幸せモード全開状態…殺されることを恐れ苦しんでくれなければ、復讐の醍醐味もありません。

「なぜだ!なぜ泣かぬ、苦しまぬ!なぜそうも嬉しそうにしてられるのじゃ?」

悪行重ねる哀れな斑足王への憐れみ故に、普明王は大いなる慈悲心をもって無常の偈を説き聞かせ、さらには罪の報いの恐ろしさ、佛法の素晴らしさを懇懇と教え諭すのでした。

お釈迦様の教えの前に、千人斬りを誓った殺人鬼・央掘摩羅(おうくつまら)己が敬虔なる佛弟子となったように、あるいは子供たちを喰っていた鬼女が佛教守護の大善神鬼子母神となったように、斑足王もまた、心の暗闇を消し去り、己が罪を悔いて佛教の深き悟りを開くのでした。

怒りや悲しみ等の迷いに囚われた者を佛様の道に導いてくれる存在を善知識と言います。

斑足王にとって復讐のターゲット、宴会の食材でしかなかった普明王こそが、実は彼を悪の夢を覚ましてくれる善知識だったのです。(日蓮大聖人様は善知識の代表的な例として、この普明王の名を挙げておられます)

かくして悪の道を懺悔した斑足王は千王たちを赦し解放、彼らから一滴ずつの血と三条の髪の毛を貰って山神へ奉納し(正しいにしろ、悪しきにしろ、願掛けを解くことは重要です)、共に山を下って摩伽陀に戻り大いなる舎城を建設したといいます。

やがてこの城を首都として、摩伽陀国はますます大国として栄えたのでした。

そうです。斑足王と普明王はじめ千人の王たちが建てた舎城の街ゆえに、この首都の名は王舎城というのです。

さらにそれだけではありません。斑足王が赦し、また赦された千王たち(逆に言えば殺されそうになりながらも斑足王を赦した千王たちと赦された斑足王)が興した街ゆえに王の赦(しゃ)の城。すなわち王赦城ともいうのです。

この二つの意味を重ね合わせた上で、王舎城と読んでいるわけです。

塩入幹丈

元霊断院主任

福岡県妙立寺前住職

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