日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
法華経のお話 法華経のお話

#023
無量義経の段その四
(一)

われ人の身を捨てて復讐せん

「一時佛住。王舎城(おうしゃじょう)。耆闍崛山中(ぎじゃくっせん)」

お釈迦様の時代より遥か以前の超古代の印度は摩伽陀(マガダ)国の物語…

日々に人の子を喰らい続けた斑足王(はんそくおう)は、その非道さゆえに配下であった千王たちの謀反にあい、その王位を剥奪されてしまいました。

されどその人食いの業ゆえでしょうか、斑足は同じ人食いの鬼神たる羅刹(らせつ)たちの王として耆闍崛山の山中に君臨するのでした。

法華三部経の主な舞台となる「王舎城」。今回もこの街の由来についてのお話です。

斑足王の伝承は複数の経典に記されていますが、その一つ「仁王経(にんのうきょう)」によれば、羅刹たちを率いることとなった斑足王は、その姿さえも人の身を捨て去り羅刹そのものとなっていたといいます。

羽を生やして空を自在に飛行する恐ろしい鬼の姿はまるでデビルマン。悪業の報いゆえにダークサイドに堕ちたか!と思う処ですが実はその真逆。

「これまで(人食いを始める以前)正しく国を治めてきた功徳、仙人に日々、お斎を続けてきた功徳を以て、ただちに飛行羅刹に転身せん!」と自身の積んできた良いことの報いを使って羅刹へと姿を変えているのです。これは鬼子母神様と同じパターンと言えます。

われ人の身を捨てて復讐せん

流産で嘆き悲しんでいたか弱き人間の女性が、人喰いの鬼女へ転生(生まれ変わり)できたのも、彼女が縁覚(自力で佛法を悟り、その境地を己が一人で楽しむ修行者)へマンゴーを布施した功徳を以て、鬼女への転生を願い成就した結果だと言います。

どちらも自分の積んだ善根を使って、悪いことのためでありながら願いを成就させてしまっています。

よい行いは悪いことや悪い思いでも帳消しにならずに本人にとってよいことに繋がるわけです。

ならば逆に悪い行いも(懺悔は別として)良い行いで帳消しには出来ないこととなります。

いいも悪いも報いとして発動するのは宇宙の厳全たる法則。行いにはほんとに気をつけないといけませんね。

イラスト 小川けんいち

塩入幹丈

元霊断院主任

福岡県妙立寺前住職

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