日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
法華経のお話 法華経のお話

#018
無量義経の段その二
(五)

佛教に導く四つの方法

第二には聴衆のレベルにあわせて、信心をおこさせるための「如是我聞」です。

佛教は聞いても習っても、信じなければ、何の意味もありません。どんなに専門用語を知り、教えを理解していても、信心がなければ唯の学者であり、自分一人救われることはないのです。信心が芽生えるには、その人の興味は勿論、理解力、好みに見合う内容でなければなりません。この人ならば是の如き内容で信心が芽生える。故にその人に対しては、こんなお経をききましたよと、提示するわけです。

第三は、一つの宗教や思想に囚われた人々の思い込みを打破する役割です。

特定の宗教信仰に熱中する人、思想信条を信じきった人、そして無宗教が当然と思いこんでいる人たち。そういう人たちは、自身の信仰や考えが正しいとして、他の話を聞くことを頭から否定します。他者の考えを否定する処、そこに争いが生じます。

例えばキリスト教とイスラム教は、共に、古代ユダヤ人のアブラハムやモーゼのもとに顕れた神様を信仰している宗教。根源の神話は同じなのに、お互いによくよく理解しようともせず、相手は邪教と思い込んで、十字軍の戦争を延々と繰り返したものです。

このような争いの元となる思い込みに対し、是の如き別の教え、異なる考えもありますよ、ともかくも聞きなさい!という意味を込めて「如是我聞」とあるわけです。

そして最後の四番目は佛様の教えを、そのままダイレクトに伝えるという役割です。

このように聞いたということは、自分が考えたのではない、聞いたまま、そのままであるということ。つまり迷える人間の考えでも、修行途中の聖者の考えでもない、佛様の教えそのままであるということです。

聞き手の主観、思い込みに歪められることなき、佛様のお言葉通りの内容であるということ、それを表明する意味での「如是我聞」なのです。

そもそも佛教の教え方は

  1. 多くの人に馴染みやすい、理解しやすいやり方を利用する。
  2. 相手のレベルに合わせた内容を提示する。
  3. 誤った考えを打破する。
  4. 佛教の内容をダイレクトに伝える。

の四つの方法が取られます。この四つの方法を時と場合によって選択し使っていくことで、佛様の教えは広く伝わっていけるのです。

だからこそ、お経の冒頭には、この四つの意義が全て込められた万能のフレーズともいうべき「如是我聞」が置かれるのです。

塩入幹丈

元霊断院主任

福岡県妙立寺前住職

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