日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
法華経のお話 法華経のお話

#013
無量義経の段その一
(七)

お経の心たる義

無量義の無と量は「妙法蓮華経」の迹門と本門の教えを暗示するものでした。

この教えは経文として文字となったものです。

しかし実は「妙法蓮華経」はただ経文のみを追っていくだけでは、その真理を究めることはできません。

無量義の義とはものごとの意義、つまり心という意味でもあります。

つまり義とは「妙法蓮華経」というお経の経文には書かれていない、お経の心たる究極の教えを暗示したものなのです。

実はただ経文だけに従っていくだけではお題目の教えに行き着くことはできません。

経文を尊重し、独善な解釈に陥らずして「妙法蓮華経」の心を読み取る。

そこにはじめてお題目南無妙法蓮華経が現れてくのです。

まさに日蓮大聖人だからこそ、それは可能だったのです…。

法華三部経の開経たる「無量義経」はそのタイトルからして、既にあとの「妙法蓮華経」の迹門の教え、本門の教え、そして経文の心たる教え、その三つ全てを暗示していたのです…。

では「無量義経」その内容にいよいよ来月から入ってまいりましょう。

塩入幹丈

元霊断院主任

福岡県妙立寺前住職

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