先ずはじめに、膨大なる数のお経全部をひとまとめとしたうえで、これを三分に振り分けます。
佛教とは悟りを開く=本当の幸せの境地に到達されたお釈迦様が、皆もご自分と同じ幸せになれるように開かれた教え。ゆえにお経とは本来、皆が佛様になることが説かれているはずです。
ところがほとんどのお経には、その当然なことが説かれていません。
あるお経は佛様になれるのはごくごく一部のみと説きます。又、あるお経は女性や悪人は佛様になれないと説きます。
あるお経は佛様になることは棚上げし、二度と現世に生まれ変わらずにすむための修行が説かれます。あるいは又、この世をすてて別の次元に移動するためのお経もあります。
膨大な数を誇るお経の、その殆どは、さまざまな方法で佛様の教えと縁なきものたちを導き、その魂のレベルを上げていく方法は説かれています。
しかし肝心要のこと、誰もが皆、佛様になれるということが説かれていないのです。
その肝心なことが説かれているお経。それこそが、我らが法華経八巻、さらにその前篇たる無量義経一巻と後編たる観普賢菩薩行法経一巻、合わせて十巻、すなわち法華三部経十巻だけなのです。
ゆえに全てのお経の中では法華三部経こそがメインの正宗分であり、その他のお経は皆、その前座、序分となるのです。
更に正しい教えを信じ行う者の身の処し方、心構えを説くお経涅槃経は、法華三部経を拡散させ存続させ続けるためのマニュアルとなることから、流通分にあたるとされるのです。
次に大聖人様は正宗部たる法華三部経に更に三分を当てはめられます。
すなわち
法華三部経の正宗分が示されることで、そこには二つの大きなテーマがあることが浮き彫りにされます。
一つは先の「全ての命は佛様になれる」ということ…そして今一つが「本当の佛様」についてです…
そこで大聖人様はこの二つのテーマを対比させるため、あえて法華三部経を前半と後半の二つに分けたうえでそれぞれに三部に振り分けられます。
まず無量義経一巻から安楽行品第十四を前半とし、これを
次に従地涌出品第十五から仏説観普賢菩薩行法経一巻までの後半を
とします。
元霊断院主任
福岡県妙立寺前住職