日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#084
師厳道尊
~ひたむきな心~

宮崎県 龍雲寺聖徒団団長
霊断院弘宣局教宣部長
吉田憲由

「みなさんの師(先生)は誰ですか?」

「目を閉じると顔が浮かんできますか?」

九州の剣豪宮本武蔵は『我以外は皆、師である』と言われています。

師厳道尊 ~ひたむきな心~

振り返りますと私は今まで沢山の師に出会い教え導かれてきたことを実感いたします。

師父上人はもちろん、家族・霊断師会本部での先輩・法友・檀信徒の皆さん、全てのおかげさまが私の師であり、今の私を作っているのです。

特に私に僧侶として道・心構えを教えて下さった師が島根県妙本寺の吉田亮善先生です。

初めて先生とお会いしたのは、平成十年、霊断の修行に行った時でした。亮善先生の迫力のある大きな声。心根の太い信仰。その熱い講義に、正に目からが落ち「こんな私でもお祖師様のお役に立てる!衆生を救済していける」とが落ちたような衝撃を受け血沸き肉躍ったことを覚えています。

『先生のようになりたい』『先生のように布教していきたい』と憧れ、先生の門を叩き今日までの二十年、本当に沢山の事を学ばせていただきました。お茶くみ(コーヒー入れ)から始まり身の回りのお世話、先生の言われることを漏らさぬようにメモし小判サメのようについて歩きました。

教え方は「見て覚えろ。頭でなく体で覚える」なのでことさら詳しく教えて下さいません。

特にお説教にはの厳しかった。普通は正月から一年が始まるのが当たり前ですが、私の始まりは五月三日からです。何故かと言うと、その日島根の先生のお寺で一年かけて作ってきたお話を亮善先生、そして妙本寺の聖徒さんの前でお説教をさせていただくのです。そしてその後先生に厳しく講評をしていただき手直しをして、その話を一年間お説教をして行くのです。ですから私の一年は五月三日に始まり五月二日に終わるのです。それをコロナ禍になるまで十五年間毎年欠かさずにさせていただきました。説教の後の先生の講評は、それはそれは立っていられないくらい叱られます。しかしたまに励まして下さいます。

「憲由。お前は本当に不器用だな~。でもそこがお前の良い所だ!坊主は不器用な方がいい!不器用な人の方が、ひたむきさを持っている」「器用な人は、確かに物事を素早く吸収して上達は早いけれど、難しいことや、出来ないことに対しては、簡単に諦めてしまうものだ。逆に不器用であれば、たとえ失敗したとしても、難しいことにも腰を据えて出来るまで根気強くやるもんだ!憲由!諦めずに頑張れよ!」と背中をポンと叩いて励まして下さいました。それが励みとなって今日まで歩んで来れました。

日蓮大聖人は『上野殿御返事』で

法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時は燃立ばかり思へども、遠ざかりぬれば捨つる心あり。水の如くと申すはいつも退せず信ずる也

とお示しです。

師厳道尊 ~ひたむきな心~

法華経を信仰するということは、熱しやすく冷めやすい火の様な信仰ではだめだよ。いつまでも変わる事のない水の流れの様な信仰でなければいけないよ。我々の人生も同じこと、色んなことはあるけれど、あきらめずに水の流れのようにひたむきに生きていく事こそ大切なのだと、ご教示下さっています。

そして亮善先生もお経やお説教・霊断を通して、厳しい言葉の中『ひたむきな心』の大切さを私に教えて下さっていたのです。

「~師厳にして然る後に道尊し~」

森羅万象全てを師と受け取め、これからも団長上人・聖徒団のみんなと共に俱生神月守を着帯し、お題目を唱え、お題目を持ち・行い・護り・弘める尊い道をひたむきに歩み続けて参りましょう。

御本仏様は、振り返った時に必ずあなたに一番合った形で願いを叶えて下さいます。

※この記事は、教誌よろこび令和4年5月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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